どんぐりの木の下で

日々の出来事を書き留めています。

今日のお弁当(02-27)

2009年02月27日 | お弁当
*とんかつ@冷凍
*卵焼き(青のり)
*揚げレンコンの甘酢だれ
*竹輪とピーマンのソティ
*ごま塩ご飯


今日の読売新聞朝刊の「編集手帳」。


<汽車の窓から手をにぎり/送ってくれた人よりも/ホームの陰で泣いていた/可愛いあの娘が忘られぬ…>と昔の流行歌「ズンドコ節」にある。
列車の窓が開かない今、こういう別れの光景も目にしなくなった。

窓のせいではない、携帯電話のせいだと、ジャーナリストの徳岡孝夫さんが月刊「文芸春秋」に「別れが消えた」と題する随筆を寄せたのは2年半ほど前である。
親指ひとつで、さっき別れた人にメールが送れる。すぐに返信が来る。駅に出向いて泣いたり、手を握ったりするまでもない。「ケータイは人から別離を奪った。別離の後に必ず来る孤独をも奪った」と。

別離のいとまがない”つながりっぱなし”の文化はさらに底辺を広げたようで、文科省の調べによれば中学2年生の約2割が日に50通以上のメールを送受信し、入浴中も携帯電話を手放せない子どもがいるという。

いつか散るから花がいとおしいように、別離と孤独があるから人もいとおしい。ホームの陰で泣いてくれる「可愛いあの娘」がいたわけではないが、携帯電話のない時代に青春期を過ごせたことを幸せに思うときがある。
(2/27読売新聞・編集手帳より)



専門学校を卒業して、東京の会社の女子寮に入りました。

外からかかってきた電話を受けられる黒電話は2台。
それも受信専用で、管理人さんが電話を取り次いでくれるのは22時までと決まっていました。

こちらから掛けられる公衆電話は寮内には2台だけ。
それもテレフォンカード用ではなく、コインタイプのピンク電話でした。

ポケベルも携帯電話もない時代。
毎晩この4台の電話をめぐって、30人余りの若い寮生の争奪戦が繰り広げられてました。(結局は早い者勝ちなのですが・・・)

外から電話がかかってくると、館内放送で呼び出しがかかります。
2人呼び出しがかかればそれで電話は埋まってしまいます。
若い娘達ですから、1時間くらいの長電話は当たり前。
かけてくれる相手も「話し中」にめげずに何度もトライです。

ピンク電話も同じです。
話始めれば、後ろが待っていようが関係ありません。
床にペタンと座り込んでどっぷりと二人の世界に入ってしまいます。

こんなですから、電話で話ができた時はとても嬉しかったし、誰かが使っているのを「早く終わらないかなぁ」とヤキモキしながら待ったり…。
今となっては懐かしい思い出です。

電話ひとつにキュンとしたり、ドキドキしたり。
そんな気持ちが青春だったと思います。

私も筆者と同じで、携帯電話のない時代でよかったと感じてます。