
2月16日に行われたJANAのシンポジウムの感想シリーズです。
その1 たかが言葉されど言葉
その2 患者が最も興味を持つのは
その3 興味のない人に理解してもらう難しさ
その4 スタンダードやレギュレーションの必要性
その5 サクセスストーリーを重ねていく
その6 学歴に見合った給与と雇用環境で本領発揮を
その7 大学教育の限界
その8 技術だけの教育
その9 医師の業務の多さ
どんどん長くなってきました。
シンポジウムには厚労省から看護サービス推進室長も登壇されていました。その方への私の質問
「特定行為研修が行われるようになった経緯はり重々理解していますが、これはタスクについての行為のみを示していて、海外でAPNと呼ばれるNPとは全く異なるもの(海外のNP教育はタスクベースの教育ではありません)だ、と海外で働く私は理解してしまいます。海外のような医療の改革を行ったり、自律して医行為を行うNPはタスクベースの教育では海外と同じようなものを期待するのは限界があるのではないでしょうか?これほど日本の未来の医療の様子が予測されているのに、医行為を行えるNP制度に移行できない、厚労省の理由を教えていただけないでしょうか?」
その9で書いたように、欧米ではAPNと言うと修士学以上の教育修了者でNPとかCNSとなります。日本で言う特定行為看護師は、ふつうの看護師でOO看護師には入りません。しかし何故か日本ではAPNを語る時に特定行為看護師を入れ込もうとします。
それはNPを導入しようとして、「NPはダメだけど特定行為なら良いよ」の結果になったからかもしれませんが、特定行為をAPNと呼ぶことに私はかなりの抵抗があります。行為とはタスクでICNがかかげるAPNの定義には当てはまらないからです。
日本の看護は70年前から時が止まったようにタスクベースの教育です。包交とか体位変換などの技術をベースに教えています。カナダではでは看護学と言う立派な学問となり、3年制の教育を廃止。4年制の学士教育となりました。学問ですから考えること、セオリー、リサーチにも力を入れています。技術だけを教える職業訓練教育ではないのです。
6年も前に書いたものですが
私がカナダへ行った時に驚いたことは、看護学生の完成度の高さとプロ意識と思考展開できる力です。その学士の上にAPN教育が修士学として積み上げられているのです。そこで教育を受け、NPとして働いている私には特定行為をAPNと呼んでいるのを理解できないのです。特定行為を大学院で教えているところもあれば、指定施設で研修を受ける人もいます。それなのに名称は一緒。おかしくないですか?
厚労省の講演は特定行為一本でした。特定行為をバックアップしているのは厚労省なのですね、と感じました。本当に日本の未来を特定行為でサポートできると信じてやまないのでしょうね。ならばAPNと呼ぶのはやめてもらえないでしょうか?海外との差に混乱する人が増える前に。
続く
冒頭写真: 開拓時代に畜産業で金持ちになった人の家。今は州立公園の中のレストランになっています。