私にブログを読んでいて、何故ホームレスになったり、子供を取り上げられたり、薬に溺れたりするのだろうと不思議に思われる方もいらっしゃると思います。
私も大学院に通う前までは理解する事ができませんでした。それを個人のせいにする事は簡単でした。
勉強をしなかったから
良い環境で育たなかったから
良い仕事に就かなかったから
心が弱いから
頑張った事がないから
などなど全て個人のレベルで考えている答えばかりです。
そういうミクロ見方ではなく国の政治、行政レベルつまりマクロの見方が必要だという事は以前も書きました。
それに加えて法律を理解しなければならない。その法律の隙間に落ちてしまう人の存在も考えなければならないので今日はそれについて。
昨日のコメントで日本のような民生委員の相談を受けれれば、、、と。
カナダにももちろんあります。お気づきでしょうか?社会の構造は全て標準の人に合わせて作られている事を。
標準というのは字が読めて、物事が理解でき、損得を考える事ができ、将来を考慮に入れ、道徳を理解し、勤労感謝の意があり社会で普通に生きていく事ができる人たちです。そうだから、役所に相談窓口があると知る事ができ、相談しようと言う気持ちになり、バスの時刻表を調べ、計画を立て、バス代を用立てして行くことができ、相談を受け最大限の援助を行政から受けることができるのです。
もし鬱になったら?鬱の始まりは仕事のストレス、家族の死など誰にも起こる事から始まる時もあります。普通に生活していた人が鬱によってどんどん生活障害が増えていく事もあるのです。そう言う人こそ助けが必要なのに、助けられる事なく惨事になる事もあるのです。
それを早期に見つけられなかったら行政のせいでしょうか?いいえ、今の社会は先ほども言ったように自分で行動を始めなければ何も始動しないようになっているのです。
基本的人権が守られていているからです。そしてハイリスクな生き方も個人の自由の一部として認められているからです。
行政は本人の意思なしでは何もできないのです。それは私も同じです。本人が望まない治療を強制する事はできません。
本人の意思で行政機関を使わないのか、それとも知らないから使わないのか、それとも使う術がないから使わないのか、その見極めは難しく、基本的人権の擁護を前にして本人の意思が確認できていないのにズカズカとは入り込む事はできないのです。
一つだけ、その垣根を越える事ができるのが、マイナー(子供) と意思決定ができない大人(老人、メンタルの病気で)の虐待が疑われる時と、自分や他人に危害を与えようとしている人の場合のみなのです。
だから、昨日のケースで子供は保護される事に至ったのです。そして2年後母親は母親に戻れたのです。
昨日のケースで理解ある夫が妻のサポートでいてくれたら、両親や兄弟や友人が支えてくれていたら、職場の人が、、、、治療を勧めていてくれてたら、窓口に付いて行ってくれていたら、、、しかしこれもミクロに頼る事ですよね。
続く
写真借用
http://highheelshotflashes.blogspot.ca/2012/05/national-anxiety-and-depression.html
より
私も大学院に通う前までは理解する事ができませんでした。それを個人のせいにする事は簡単でした。
勉強をしなかったから
良い環境で育たなかったから
良い仕事に就かなかったから
心が弱いから
頑張った事がないから
などなど全て個人のレベルで考えている答えばかりです。
そういうミクロ見方ではなく国の政治、行政レベルつまりマクロの見方が必要だという事は以前も書きました。
それに加えて法律を理解しなければならない。その法律の隙間に落ちてしまう人の存在も考えなければならないので今日はそれについて。
昨日のコメントで日本のような民生委員の相談を受けれれば、、、と。
カナダにももちろんあります。お気づきでしょうか?社会の構造は全て標準の人に合わせて作られている事を。
標準というのは字が読めて、物事が理解でき、損得を考える事ができ、将来を考慮に入れ、道徳を理解し、勤労感謝の意があり社会で普通に生きていく事ができる人たちです。そうだから、役所に相談窓口があると知る事ができ、相談しようと言う気持ちになり、バスの時刻表を調べ、計画を立て、バス代を用立てして行くことができ、相談を受け最大限の援助を行政から受けることができるのです。
もし鬱になったら?鬱の始まりは仕事のストレス、家族の死など誰にも起こる事から始まる時もあります。普通に生活していた人が鬱によってどんどん生活障害が増えていく事もあるのです。そう言う人こそ助けが必要なのに、助けられる事なく惨事になる事もあるのです。
それを早期に見つけられなかったら行政のせいでしょうか?いいえ、今の社会は先ほども言ったように自分で行動を始めなければ何も始動しないようになっているのです。
基本的人権が守られていているからです。そしてハイリスクな生き方も個人の自由の一部として認められているからです。
行政は本人の意思なしでは何もできないのです。それは私も同じです。本人が望まない治療を強制する事はできません。
本人の意思で行政機関を使わないのか、それとも知らないから使わないのか、それとも使う術がないから使わないのか、その見極めは難しく、基本的人権の擁護を前にして本人の意思が確認できていないのにズカズカとは入り込む事はできないのです。
一つだけ、その垣根を越える事ができるのが、マイナー(子供) と意思決定ができない大人(老人、メンタルの病気で)の虐待が疑われる時と、自分や他人に危害を与えようとしている人の場合のみなのです。
だから、昨日のケースで子供は保護される事に至ったのです。そして2年後母親は母親に戻れたのです。
昨日のケースで理解ある夫が妻のサポートでいてくれたら、両親や兄弟や友人が支えてくれていたら、職場の人が、、、、治療を勧めていてくれてたら、窓口に付いて行ってくれていたら、、、しかしこれもミクロに頼る事ですよね。
続く
写真借用
http://highheelshotflashes.blogspot.ca/2012/05/national-anxiety-and-depression.html
より
アメリカでもそれを強く感じました。
This is my life. Leave me alone.
こういう台詞を何度聞いたことか。
15年ぶりに日本社会で生活を再開して、ここらへんの温度差を肌で感じています。
日本の自由とは大きな枠の中での自由、制限のある自由であると感じます。
自由の行使も、時には自身の意思以上に大きいのが地域社会からの影響(圧力)であると。
どちらが良い悪いではないけれど、これだけ大きな違いのある社会なので、
わたし自身も頭を切り替えないといけないなと痛感しています。