シリーズ3日目。
急性期病院の医療機器について考えてみましょう。ここ50年の医療機器の発達は目覚しいものです。それらを使用する診断技術も発達しました。しかし医療の基本。問診、身体所見、検査そして診断治療のプロセスは変わりません。診断機器が増えたから、進化したからこのプロセスを端折ることはあってはならない事だと思います。しかしながら、そうではない医療界の傾向について以前こちらに書きました。
最近日本にいる知り合いが心房頻脈を診断されました。他の病気の術前準備の心電図で偶然見つけられたそうです。つまり自覚症状がなかったという事です(自覚症状がないほど高齢ではなく、運動も活発にするような方であっても無症状だった)。しかしこの際しっかり心臓を調べましょうとまずは未診断の狭心症がないか(この時点でこの思考過程はかなり疑問)とカナダでは絶対第1選択にならないとても高価な画像診断機械を使用しました。狭窄部分が見つかり血管手術となりました。しかし短期入院をし血管から管を入れてみると狭窄はなく手術は拡張作業をする必要もなく終了。いわゆる画像診断による誤診だったのです。手術は事なく終わりましたが入院費、そして手術へのリスクは患者の負担です。これまた同じ方の心臓のエコー。頻脈があると心臓の内側に血栓が形成されやすい。なのでエコーによりそれらがないか確認する事が重要です。以前からある心臓のエコーは経皮(皮膚の上から心臓を映し出す)で行うものでした。しかしこれでは体型や意識状態(手技者の指示に協力できるかどうか)などで写しにくい箇所が出てくる事がありました。そこで最近開発されたのが経食道のエコーです。画像は綺麗にできますが、経皮に比べ患者への浸潤が大きいテストです。カナダではまず経皮で行い、どうしても視野が十分でなく、かつ血栓の有無を確認する重要性が高いのであれば経食道となります。しかしこの方ストレートに経食道です。驚きました。そしてその検査の結果は血栓なし。そうでしょう、そうでしょう。なんせ他のリスクファクターは低いので血栓がある方が驚きってことです。つまり非常にリスクの低い事象に対し、浸潤性の高い検査が使用された、という事です。何故こんな事が起こるのでしょうか?急性期病院として、その専門性として掲げている専門科で、最新の診断機器を持ち、それを使わなければならないから、使うのでしょうか? もしそうだとすれば本末転倒にもほどがあります。
医療は常に患者のベネフィット(有用性)とハーム(負荷)を考えてベネフィットがハームを上回る事を確認しなければなりません。この方は何もなかったから良かったものの、全ての手技には危険が伴いその1〜3%の不幸なアウトカムにその人がなってしまわない保証は誰もしてくれないのです。危険度が50%以上ならば一般人の人でもその危険率はピンときますが、1〜3%と聞けばそのガードが緩みます。しかしその100人手術をした時1〜3人に可能性と言えばもっと具体的でしょうか?先のプロセスでほぼその診断の可能性が高く、それを確かめる重要な検査であるのなら1〜3%の危険度の検査をすることもわかります。しかしこの方のように無症状な人に診断機器があるからのごとくあれよこれよと行うのは如何なものかと考えてしまいます。
しかし考えてみてください。診療報酬は以前病床数があり高度な医療を提供していれば病院の収入につながる仕組みでした。こぞってそれに従うのが賢い経営者でしょう。しかし医療費の削減案としてその辺りを厳しく管理する形式に移行してきたのです。以前のやり方では経営が成り立たない時代になったのです。
「診断機器があるから使う」の考えが当たり前のように広がり、そのような高価な医療機器がなくしても診断できる、対応できる事に不必要な医療機器を利用する文化が医療者にも国民にも定着している状態では専門性を高める事でこの診療報酬の変化に対応する傾向が出てきてもおかしくありません。人口が過密している地域は利用率が高くサバイバルできるかもしれませんが人口が低い地域ではどうでしょうか?閉鎖、もうしくは統合を迫られているのは大都市から離れた小規模の地域病院が殆どです。
続く
ローマの街にはお風呂にサウナやジム、マッサージ室までありました。
急性期病院の医療機器について考えてみましょう。ここ50年の医療機器の発達は目覚しいものです。それらを使用する診断技術も発達しました。しかし医療の基本。問診、身体所見、検査そして診断治療のプロセスは変わりません。診断機器が増えたから、進化したからこのプロセスを端折ることはあってはならない事だと思います。しかしながら、そうではない医療界の傾向について以前こちらに書きました。
最近日本にいる知り合いが心房頻脈を診断されました。他の病気の術前準備の心電図で偶然見つけられたそうです。つまり自覚症状がなかったという事です(自覚症状がないほど高齢ではなく、運動も活発にするような方であっても無症状だった)。しかしこの際しっかり心臓を調べましょうとまずは未診断の狭心症がないか(この時点でこの思考過程はかなり疑問)とカナダでは絶対第1選択にならないとても高価な画像診断機械を使用しました。狭窄部分が見つかり血管手術となりました。しかし短期入院をし血管から管を入れてみると狭窄はなく手術は拡張作業をする必要もなく終了。いわゆる画像診断による誤診だったのです。手術は事なく終わりましたが入院費、そして手術へのリスクは患者の負担です。これまた同じ方の心臓のエコー。頻脈があると心臓の内側に血栓が形成されやすい。なのでエコーによりそれらがないか確認する事が重要です。以前からある心臓のエコーは経皮(皮膚の上から心臓を映し出す)で行うものでした。しかしこれでは体型や意識状態(手技者の指示に協力できるかどうか)などで写しにくい箇所が出てくる事がありました。そこで最近開発されたのが経食道のエコーです。画像は綺麗にできますが、経皮に比べ患者への浸潤が大きいテストです。カナダではまず経皮で行い、どうしても視野が十分でなく、かつ血栓の有無を確認する重要性が高いのであれば経食道となります。しかしこの方ストレートに経食道です。驚きました。そしてその検査の結果は血栓なし。そうでしょう、そうでしょう。なんせ他のリスクファクターは低いので血栓がある方が驚きってことです。つまり非常にリスクの低い事象に対し、浸潤性の高い検査が使用された、という事です。何故こんな事が起こるのでしょうか?急性期病院として、その専門性として掲げている専門科で、最新の診断機器を持ち、それを使わなければならないから、使うのでしょうか? もしそうだとすれば本末転倒にもほどがあります。
医療は常に患者のベネフィット(有用性)とハーム(負荷)を考えてベネフィットがハームを上回る事を確認しなければなりません。この方は何もなかったから良かったものの、全ての手技には危険が伴いその1〜3%の不幸なアウトカムにその人がなってしまわない保証は誰もしてくれないのです。危険度が50%以上ならば一般人の人でもその危険率はピンときますが、1〜3%と聞けばそのガードが緩みます。しかしその100人手術をした時1〜3人に可能性と言えばもっと具体的でしょうか?先のプロセスでほぼその診断の可能性が高く、それを確かめる重要な検査であるのなら1〜3%の危険度の検査をすることもわかります。しかしこの方のように無症状な人に診断機器があるからのごとくあれよこれよと行うのは如何なものかと考えてしまいます。
しかし考えてみてください。診療報酬は以前病床数があり高度な医療を提供していれば病院の収入につながる仕組みでした。こぞってそれに従うのが賢い経営者でしょう。しかし医療費の削減案としてその辺りを厳しく管理する形式に移行してきたのです。以前のやり方では経営が成り立たない時代になったのです。
「診断機器があるから使う」の考えが当たり前のように広がり、そのような高価な医療機器がなくしても診断できる、対応できる事に不必要な医療機器を利用する文化が医療者にも国民にも定着している状態では専門性を高める事でこの診療報酬の変化に対応する傾向が出てきてもおかしくありません。人口が過密している地域は利用率が高くサバイバルできるかもしれませんが人口が低い地域ではどうでしょうか?閉鎖、もうしくは統合を迫られているのは大都市から離れた小規模の地域病院が殆どです。
続く
ローマの街にはお風呂にサウナやジム、マッサージ室までありました。