走るナースプラクティショナー ~診断も治療もできる資格を持ち診療所の他に診療移動車に乗って街を走り診療しています~

カナダ、BC州でメンタルヘルス、薬物依存、ホームレス、貧困層の方々を診療しています。登場人物は全て仮名です。

患者中心のケアの補足

2017年08月23日 | 仕事
先日患者中心のケアについて書きました。補足を。

日々のケアの中で患者が求めるものを実行するのが患者中心のケアと呼んでいたのではありません。以前傾聴について書いた時のようにただの聞くだけなら医療者である必要はないのです。

例を挙げてみます。医療のケアの目標を健康とします。健康の定義は人それぞれです。喫煙は体に及ぼす害が多い嗜好品です。なので禁煙する事が健康へ一歩近づきます。しかし体に悪いと思っていてもやめられない、やめたくないと思っている人もいます。そういう人に対して禁煙を目標に挙げることは患者中心のケアではありません。患者が喫煙についてどう思っているか問診し、医療者として何ができるか考えてみます。喫煙の害を知らない人に対しては知識を向上するために教育ができます。知識はあってもやめられない。やめられない理由は?仕事を失うかもしれないと言う不安からタバコに頼っているとわかればタバコ以外で不安を解消できるようにコーピングスキルのコーチングを行うとか、もしかしたら薬の処方が必要なのかもしれません。こういう風に患者が生活(寿命)の中でどこにいて健康に対しては何を思い、しようとしているのか、そこからどこへ行きたいのかそう言う患者個人個人の事を知らずしてケアの計画を立てるのは教科書から引き出した計画を医療者が押し売りしているのと同じです。

心を病んでいる人たちが入院する施設が白い壁とカーテンに囲まれ見上げるビルの谷間にある小さい窓だけだったら、精神的に回復する事ができるでしょうか?ドアには鍵がかかり自殺予防とと言う名目でカメラで監視され、持ち物の持ち込みは一切できない。そんな治療施設に入院経験がある人だからこそ、壁の色、外の景色、自分を感じれる安全な持ち物を持ちたいと言う、患者の人間らしい思いを医療者に伝える事が出来ると思います。そう言う声を活かした環境づくりを心がける病院設計などが大切です。

たらい回しにされた。よく聞く事です。そう思う人と思わない人の差はどこから生まれるのでしょうか?もしくはたらい回しにされたなんて声を聞かないようにするには入院や専門医への紹介のシステムの見直しが必要なのではと感じませんか?

医療システムや施設もケアも完璧ではありません。世の中の変動と共に変わって行くものです。これが当たり前と信じきっていては疑問は浮かんできません。世界で権威のある看護博士だって研究の元になるのは患者の声であり現場の疑問から始まるのです。どんなレベルの医療でも患者の声を聴く、ケアの中心に患者を置く事を忘れはいけません。

で、患者の愚痴を聞いていて定時に帰れなかった、これは患者中心のケアとは違います。愚痴については以前書きました、セルフケアについても以前書きました。セルフケアは家族だけではなく医療者にも当てはまります。ケアするサイドも健康になるためには労働条件や環境は重要です。それは労働基本法から成り立つもので患者がどうのこうのとは別問題です。2つをごっちゃにしないように。



我が家のラズベリーは収穫時期を3期にずらした品種を植えています。これが最後の種類。親指の半分ぐらいの超特大級のラズベリーの収穫時期がやってきました!

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