医療の主体性について シリーズ3。
そもそも主体性って何なのでしょうか?元々は哲学とか行動学から生まれてきた言葉で、書き出すと長くなります。超簡単にわかりやすく言えば
自らの意思や判断に基づいて行動すること。
で、よく言われるのが日本人はなんでも医者任せで自分の意思がない。だから主体性がない。
はて?そうなのか???と疑問に思う。殆どの人間が毎日自分の意思で何を食べるのか、どこへ行くのか決めて行動している。他者や歴史や慣習からの影響は受けても最終的には自分から動いている。その結果が負となるか、良と出るか?ある程度は予測して、もしくは全く考えず人間は毎日何千もの意思決定をして、それを行動に移している。この視点では世界中の誰もが主体性を持っているはず。
では何故医療についてはそうなれないのか?
いえいえ、医療だけではないはず。政治だって、司法だって、経済だって、自分が理解し難いものに直面した時、即決できますか?できませんよね。
Coffee Fund と言う小話があります。重大な決断をしなければならない会議は重苦しい空気が流れ、誰もが無口になります。しかし月のお茶菓子やコーヒー代を幾らにするか?のような題材は意見交換が活発に行われ、討論さえも起こる。つまり身近な問題に自分の考えを言うのは簡単だが、理解を超える問題には反応できないのが人間なのだ。
私は日本人の医者任せの理由は日本人という国民性に主体性がない云々ではなくて、本人が意思決定できるレベルまで医療者側が情報の提供をしていないからだ、と言いたい。
続く
冒頭写真:快晴のサンシャインビレッジ。360度ぐるりとカナディアンロッキーの山々に囲まれて最高です。気温は朝がマイナス17度。午後からマイナス7 度ほど。晴れていても雪質は良くて滑りすぎて足腰が〜