
さあ、医療の主体について。シリーズ2日目。
私が言っていた医療者はどうして人を変えられる、と思うのか?!の投げかけ。そう思いませんか?
医療者が知り得る情報は患者の歴史のほんの一部。時間軸で考えても70歳の方が初めて2週間入院したとして共に過ごすのは70年の中の2週間。1/1820の人生ですよ。タッチポイントと言っても良いくらい短い間。他の1819/1820を理解するなんて無理がありすぎるのです。それに退院すれば、あなたの目の届かないところへ行ってしまう。生活習慣をつきっきりでモニターするわけでもないのだし、嘘を申告する人だっているでしょう。薬を飲んでると言いつつ訪問してみれば山のような飲んでいない薬を見つけるってありませんか?
ダンスフロアの話もしました。それはこちら。
医療者が患者を無意識的に傷つけることについてはこちら。
何が言いたいか?と言うと医療者は患者家族に対して、謙虚になるべきですよ、と言うこと。私たちは全知全能でも超人でもないのだから。
で、木村さんが言っていた、主体性のない日本の国民に欧米の概念は適切なのか?ようやく本題に辿り着けそう。続きは明日、、、
冒頭写真: バンフからカルガリーまでは車で1時間。末娘がカルガリー大学からオファーをもらい(こっちでは合格とは言いません)、見学へ行ってきました。コンパクトなキャンパスでバイブもとても良い印象を受けました。私と長女が通ったUBCよりずっと良い印象。でも娘には言えない。だって遠い(1000km。車で11時間)。母は心の準備ができていません。

