DNAR (Do Not Attempt Recersitation ) の講演を聞きました。私が日本を去った25年前から日本は変わっていない、と言う残念な気持ちになりました。
以前よく聞いていた言葉はAttemptがないDNR。これらに関して勘違いをしている医療者が多い、と言う内容でした。
DNRもDNARも共に心肺停止の場合に蘇生をしない(後者は試みない)と言う意味。カナダBC州ではそれを望まない人のためにあるものです。指示として書けるのは医師かNPのみ。誰の意思表示で誰が公的に記入できるか?のところが重要ですから押さえておいてください。
元々医療は治療のために始まり、命を救うことが目的でした。しかしどんな医療を使っても助けることのできない病状はあり、また国民全てが治療を求めているとは限らない。つまり人権と言う観点でDNRやDNARは患者側から医療者へのコミュニケーション道具として生まれてきました。
今、日本で起こっているのはこの上記のポイントを勘違いして
この人は助からないに決まっていると医療者が本人の意思表示が不明な場合でも緊急医療(蘇生)を行わない、本気でしていない(スローコード)、緊急時に家族の判断を誘導していくなどが行われている、DNR やDNARは心肺停止時のことなのにそれらがあるからと治癒できることも治そうとしない、などが起こってるのです。これらは医療者としてあってはならない対応です。
こんなことをしたら、カナダでは免許を管理する団体から指導、免停、プラクティスが変わらない場合は免許取上げにさえなるかもしれない内容。
長いシリーズになりそうな予感。
冒頭写真: 小樽駅は120年の記念年の方です。ノスタルジックな素敵な駅。