おはようございます♪
昨日、久しぶりに
「やってみたい」が湧いてきた
このカテゴリー。
早速書いてみたい。
1、あきらめかた
私は田舎の長男の嫁。
夫の両親と同居している。
結婚して、もうすぐ21年になる。
最初の頃は、食事、お風呂、リビングなどすべて同じ。
2階のみ自分の聖域。
三食の食事、義母のお弁当も作っていた。
今は、台所、食事も別、お風呂のみは同じで変わらないが、元気でがんばってくれている義母のおかげで、ずいぶん楽をさせていただいている。
夫は、交代勤務で、休みが多く家にいることが大変多い。
夜勤の日は、夜はいないが昼間はいる。
8日のうち、昼勤は2日。
それ以外は家にいる。
夫は、特に趣味もなく、
私と行動をともにしたい人。
私も仕事があるので、自由に出かけられる日は、その2日のうちの自分の仕事のない日。
となると、非常に限られてくる。
前置きが長くなったが、
そんな環境の中にいるので、
友達と会うこと
夜のお出かけ
イベントに出かけること
何かに参加すること
などが難しい。
行きたければ行けばいいじゃん
と
言われるかもしれない。
色々な場所に顔を出していたときもある。
しかし、それが少し重なると
出かけすぎ
と言われる。
気にしなければいいじゃん
と
言われるかもしれない。
しかし、それがなかなかできない性格なのだ。
だから、厳選する。
ムダに出かけないように
直感に従い
タイミングの合うものだけ
出かけるようにしている。
友達の集まり
楽しそうなイベントなど
行きたいな~と思いながら
行けないことがある。
これは自分だけでないだろうが
予定が入っていても
お互いの都合でダメになることもある
そんなときの
私の気持ちのクリエイティビティ
行けたときは
神様が許してくれたとき
ご縁があったということ
行けなかったときは
神様が行くなと言ったとき
ご縁がなかったということ
直感に従い
行けたときは
神様がくれたプレゼント
きっと意味のある日
行けなかったときは
今日はそのタイミングではなかったのだ。
また行けるときが来る。
まわりの環境のせいにするのではない。
それは結局自分の意志。
ただ現実的に抑制する条件があると
厳選するきっかけになる。
本当に行きたいのか?
自分の心に聞く。
タイミングが合い、もし合わなくても
本当に行きたいのなら
行っている。
「むやみに」じゃないだけだ。
そして、何かをあきらめることができるということは、
どうしても、あきらめたくないことがあるということ。
どうしてもあきらめたくないことがあるから、それ以外をあきらめることは、何でもないのだ。
そんな自分の中心が今はできたから
あきらめることができるようになった。
そして、たまにタイミングの合った出来事が、ものすごく貴重で、心から味わい、自分の記憶の中で、いつまでも輝きを放つのである。
ID:uq3os7