この子達はみんな、震災の後の世代です。
あれから14年。
我が家のネコも、震災を潜り抜けた子は1匹だけになりました。
あの前日、「さっき、揺れたな」と言う父。
「自分の体が揺れてるの、分からないんとちがう?」と、からかった私たち。
その夜中、ソファーベッドに横になり小さな部屋中を見渡すと・・・
天井まである棚にはぎっしりのCDとヴィデオの山と大きなスピーカー。
「うわ~、地震になったら、これ全部落ちるなぁ~」
軽い気持ちで眠りに付いた3時間後、まさか現実のことになろうとは・・・
天井が落ち階段も使えず、2階の息子は窓から裸足で飛び降り、家の外でやっと再会。
それからは、家と想い出の品を失ったものの、再びの命を紙一重で与えられた現実に向き合う日々が始まりました。
数知れない方々から頂いたあの時のご恩は、一生忘れません。
大変な道を歩いて遠くから届けて下さった温かいもの、油で揚げたもの、体を気落ち良く保てるもの、
そして、同年代の友からもらったお札の重み・・・
この世でのお役がまだまだ終了していないのだから、もうひと頑張りするようにと、与えられた命だと思います。
毎年、お地蔵様をお納めしている常光院さまでの法要。
今年は大阪の初稽古と重なってしまい、私だけ夕方に伺うことにしました。
震災の3日後、大阪へ出た次男は「大阪ではみんな、ラヂオは聞いてるんじゃなくて流れてた」と。
地理的な背景や、全壊か無事かの違い。
そして何より、大切な方を失ったかどうか・・・
様ざまな温度差は、事あるごとに直後から感じましたが、14年もたってみると、自分のこととして語れる人も、何分の一になってしまったんですねぇ。
自然の威力や防災に関する悔しさ無念さを語り継ぐのが大切なことなのでしょうが、自分としては、犠牲になられた方々の生きた証しをいつまでも思い、そのお蔭で今あることに感謝していくことしかできません・・・