こんなに楽しい!みやび流押絵

各教室での押絵の作品や、道端で出会った季節の移ろい、クスッと笑えるテーマもありますよ~

キロ いくら?(^0^)

2009年02月20日 | こんなの見っけ

入院中、週1回の体重測定があります。sunadokei
これは脳梗塞を起こし、24時間の点滴が始まってから1週間目の計測日。
まだ体を起こしてはいけない状態の時。
どうやって計るのかしら・・・と見ていると、体の下に大きなキャンバスの
ような布を広げ、その両端2ヶ所を半円状のパイプで固定。
そして、そのパイプ2本をクレーンで持ち上げ、計ります。
ハンドパワーで、浮いた浮いた~~!!symbol6

今はもうこれではありませんが、左足を地面につけてはいけないので、
車椅子ごと計れる体重計に乗って計り、その後、車椅子の分を引くやり方です。

希望と言う空気を一杯に吹き込んだ風船が破裂したような感じで、普段は
見ることの出来ない、淋しげでおとなしい絹甫です。
痛いほどに気持ちがわかるので、
「可哀想に・・・どんなにか辛いよね・・・」と太陽のように慰めるのが良いのか、
「気持ちをシャンと持って、しっかりしなかったら、いつまで経ったって退院できないよ!」と北風のように叱咤激励するのが良いのか・・・
聡甫に言われました。
「それって、まるで子育てやね~」


ウワッチャ~~!!

2009年02月19日 | あれやこれや

時が戻って欲しい・・・

な~んてこと、普段はまったく考えない私です。
でも今は・・・

いえ、二週間前の絹甫が脳梗塞を引き起こす前までなんて言いません!!

せめて、せめて・・・・

3日前の夜、病室を出る時、手を振って別れたあの夜まで!

精神的にかなりマイって来てる為、少しでも早く退院できるよう、家での環境を整え、すぐ近くで私がずっとお世話になっているリハビリの先生に毎日通院させるということで病院の了承も頂き、紹介状までご用意いただいたあの日、

夜中のトイレに度々連れて行って頂くのがイヤだからと、部屋にポータブルトイレを置いてはもらったものの、「絶対に一人で行っちゃダメよ」と言って帰ったにも拘わらず、一人で上手く行けたからと2回目をした時にこけて、手術した膝のすぐ横の小さな骨にヒビが入り、3週間固定のギプスをされる羽目になった・・・

あの、直前まで・・・!

いえいえ、こう書いている間にも、時はどんどん確実に前へ進んでいきます。
片膝を固定され、左手が不完全な状態でトイレをするという大変さは、見ているこちらにもなかなかの修行ですよ~~
しかも、あの体重で・・・ネッ!?be

先生方や息子達ともいろいろ試行錯誤の末、これなら上手くいけるという方法を考え出し、やっとちょっと安堵~トロワ~meromero2

修行と工夫の旅程がまたまた3週間ほど延びることに・・・run

ようやく旅日記が書ける気持ちになりました。


普通の有難み ふつふつと

2009年02月15日 | あれやこれや

ブログに絹甫のことを正直に書いたもので、色んな方からお励ましやご心配のお尋ねを頂き、それを伝えることがまた、何よりの元気付けになっております。
そんな中、初代から華道の手ほどきを受けていた、私の古~い友人Kちゃんgirlが絹甫に手紙を送ってきてくれました。
そこには、初代が亡くなる直前、孫にあたる絹甫に「何か困った時は、空を見て私に伝えたら、必ず助けます」と言った話しが書かれていました。
私は勿論、絹甫ですら忘れていたそのことを覚えていたKちゃん・・・

姉妹同様みたいに時を過ごしていた仲ですが、もともと初代は私よりKちゃんが大のお気に入り。
私はいつもヒガミ虫~~
ま、それはどうでもいいことで・・・wink

折しも真っ青に抜けるような青空。
絹甫は両手を合わせ、「おばあちゃん、一日も早く元どおりに押絵させてちょうだい」と拝んでいました。

このKちゃん、幼い時からいつも「普通がいい」と言ってた女の子(もう還暦ですがbe
私はと言うと「普通なんて面白くな~い!」

でも今、絹甫が与えられた試練を見ていると、普通のことを普通にできることが、いかに大変で素晴らしいことなのかをひしひし思い知らされています。

Kちゃんって、それこそ「普通」の人じゃなかったんですね~~~kirakira2


今までの秘密がバレンタイン

2009年02月14日 | お知らせ

 節分の日のブログで「オニでもなんでもいらっしゃ~い!」ナンて言ったら、ほんとに来てしまってたんです・・・
3日の夜中、2時半に病院から携帯が。
 丁度その頃私は、明くる日から始まるカルチャーロビー展に出す作品をドロナワで仕上げつつあるところでした。
「こちらは大阪○○センターですが、ご入院中の小西友(絹甫の本名)さんが脳梗塞をおこされまして、左半身にマヒが・・・」
12時頃、左手の感覚がないのに気づきナースコールをしたとか。
 電話で話している間は、落着いて状況を伺っていたのですが、聡甫に連絡して病院に向かう間中、ガタガタガタガタ全身の震えが止まりませんでした。
生まれて初めて感じるような衝撃・・・
 考えてみれば、こんな年で初めて親の生き死にに関ることでショックを味わうなんて、恵まれすぎてたんだな~って。
もっと早くに親御さんとの別れを体験した友たちの顔が次々浮かんできた途端、体の震えが収まりました。
 病院に着くと、意識はしっかりしており、ろれつが少し廻らないのと左手左足が動かないのと・・・
でも、右手が無事でよかった!左もそのうち、絶対に動く!
そう信じながら、朝までずっと、眠る間も揉み続けました。
 何より恵まれていたのは、入院中に起きたことと、しかも当直の先生が脳卒中のご専門でいらしたお蔭で即、検査をしながらの治療が始められたことです。
それと、膝の手術が済んでからだったのも、有難かったです。
でなければ、当分手術は出来ないどころか、痛みのある足で脳梗塞のリハビリをしないといけなかったわけですから。
 先生や看護師さん達の、それはそれは温かい治療と本人のたゆまぬ努力で、先生方も目を見張られる回復ぶりを見せております。
言葉も100%完璧に、左手もしっかり力が入り、自分でコントロールできるところまで戻りました。
ただ、皮膚の感覚に関しては、まだ時間がかかりそうです。
 再発の危険性が最も高いのが発症後1週間ということで、ず~っと点滴が3本つながれたままの絶対安静でしたが、それも無事通り越し、やっとひも付きから解放。
これまで、美しい世界を求め、仕事一筋にカリスマ性を発揮しながら生きてきた絹甫の身に、こんなことが起きようとは、思ってもみませんでした。
 何が待っているか、予想の立たないのが人生ですねぇ。
でも、3日目ごろ、こう言ってくれました。
「いつも言ってきたように、指先を使う押絵の作業が、どれほど良いリハビリになるか、これからは自分の体で見てもらうようになるね」と!!
この状態でこれを言えた絹甫は、やっぱりすごい!!と心から拍手を送りました。
 例え不自由な状態であろうと、出来るだけ早く教室に復帰し、今度は皆さまの力をお借りしながら押絵に携われることが、真の意味で生きる喜びになることでしょう。
昨日のちょっと不可解なブログのナゾ、お解りいただけましたか?

ネズの番

2009年02月13日 | こんな押絵(押し絵)がありますよ



これまで最強と思っていた者が、そうでない部分を知られると・・・

野生動物なら命を落とすことになるんでしょうね。

でも人間の場合、その強さに翳りが見えた時こそ、それまでの生き方が問われるのでは?

強さに憧れ慕われることは、勿論ステキなことですが、弱みを見せながら栄光に向かう姿こそ、真の強者として、天から新たな力を与えられる気がします。

な~んか、大そうやね~~~wink