晴れのち曇り。33-28℃
暑い、暑いと言ったら罰金、と言いたいところだけど、やはり暑い。
が、午後からお墓参りに。
道の駅にて、チーバ県の物産など。ろくなもの(ry
もはや、混ざってチバラキ。
面白い企画発見。
メダカも売っているが、色変わりは、常温で生きれるグッピーを作ったみたいだと思う。
ここら辺はお墓を大事にする土地柄で、切り花も季節的にお墓参り用のアレンジばかり。
従弟の家に立ち寄り、鋏を借りる。
イソギクが元気だ。
母方の祖父母、いや数えきれないご先祖、叔母の実家の人々、母も眠る菩提寺は、
お盆の時は、全てのお墓につけた石灯篭に明かりがともり、それは、それは、見事だ。祭りのように屋台まで出る。
同じく、迎え火の盆提灯の群れも見事なのだ。しかも、夜中に墓参りをする。
そこでさらに便利なように、手作りの灯篭が増えた模様。
ベニヤ板で作る方も、器用だと思う。こういう人は鳥の餌台も綺麗に作るだろうなぁ。
LEDを入れるらしい。火事もない。
ここは小江戸と呼ばれているが、こういう死者への想いというか、ドライな私と違い、とにかくご先祖様を大事にする土地柄で驚く。
もう既に伯母が育てた花が、祖父母にも、母にも、伯母の実家の墓にも、ぎゅうぎゅうに供えられていた。
私は枯れた花数本取り除き、新しい花をさらに挿した。
私は何故かいつも以上に機械的に、淡々と動いた、故人の事はもうどうしようもない事だと。あの最期とそれ以降を脳内にリピートしたくない、悲しい事を思い出したくなかった。(実際、常に傷をえぐり、かさぶたをはがしている。)
水を汲む場所の傍に、叔母の実家の墓があり、17で戦死した叔母の兄が眠っている。
ここからさらに離れた海沿いの街、
私や姉の青春を過ごした故郷の、高校のあの長い長い坂、心臓破りの坂と呼ばれていたあの坂の途中で、
空からアメリカ軍の爆撃を受けて亡くなったのだと、母の死後、つまり最近に叔母から聞かされて知った。(叔母は沢山の兄弟姉妹の末っ子だが、「何人も兄弟がいるからって、兄弟が亡くなって平気なわけがない、」つまり、まだ沢山の兄弟がいるからマシだ的な事を、当時周りからいわれて傷ついた模様。)
高校の正門に続く坂の途中に、彼の石碑も建っている、その場所で即死したからだが、その場所すらも気に留めずに、その前を単語帳をめくったり、カンパスを抱えて学校へ通っていた。親子喧嘩と大学受験以外の憂いは無かった。
その私でさえ、従弟でさえ、もう中年になってしまった、戦争が風化されていく。
母の墓よりも、近頃の政治上、今日はこっちの墓が痛ましい気がした…。
さて、こちらはもう稲刈りの準備です。
準備している従弟に挨拶をして帰宅。
従弟達は「屋根の上のヴァイオリン弾き」と、私をからかうが、それだって『屋根の上のバイオリン弾き』(原題: Fiddler on the Roof)1971年のアメリカ映画の音楽担当は、ジョン・ウィリアムスなんだよなぁ。映画も借りなくては。
最後に関東平野の田んぼなど。
除草剤が効かないスーパー雑草になってしまったが、オモダカは可愛いと思う。
今年の前半は冷夏、実際は刈ってみないと実りはまだわからぬのだ。
目の前をサギがよぎる、彼等は今ご飯が豊富な時期。
川沿いの長い長いサイクリングロードを、従弟を従え走ったあの16の夏休みと景色は変わらない。
変わったのは自分だ。
あの頃から何も成し遂げていない、変わらなくて良かったこと少し(あるのか?)、変わらなくてはいけない、変わりたいことと、一生葛藤なんだろうなあ。
憧れは手に入らなかったし、今も手に入らない。
しかし、どうあがいても、もう(人生の)ゴールは見えている。
家に帰ると、クーラーの部屋でクロが涼んでいる。ペットの熱中症も心配で、外出もままならない夏。
少しバイオリンの練習をした、
温暖化の進行と自身の老化で、夏バテで崩れている生活リズムを取り戻さなくては。毎年暑さ対策を練ろうと言いながら、必ず夏バテしているのが辛い。農家だって、辛いと言っている。
これ、来年のオリンピック案を見ていても、頭にじかにかぶる日傘発表程度wで、もう、クーラー以外の暑さ対策は無いと思うの;つД`)熱中症で死人が出なければいいが…。
東京五輪向け 小池知事 “頭にかぶる傘”試作公開(19/05/27)
台風10号の被害が心配です、どうか、これ以上の 被害がありませんように。(フェーン現象含む)