軽井沢のいろいろ~♪ 軽井沢で静かに暮らす 深山のイノシシ があれこれ見たこと聞いたこと

軽井沢に静かに暮らす深山のイノシシが 軽井沢の春夏秋冬 今昔、あれこれ・・ 見たまま聞いたまま書いてるよ

 軽井沢のいろいろ 追分の跨線橋・・倉賀橋の通行止め

2017-06-11 | 避暑地 軽井沢のあれやこれ

  



 国道18号線じゃなくて   軽井沢の西側から 信濃追分駅方面に向かう 県道佐久軽井沢線

 少しづつ   拡張工事や舗装工事が長年続いて 道路状態がよくなって今は ・・   おっそろしく交通量がある

   しなの鉄道の上を横切る跨線橋のところで   うまく車同士がすれ違えず 歩行者用の歩道も無い・・

 そんな 跨線橋の 橋の名前は   「 倉賀橋 」(くらがばし)

 この名前は、いつかボクが話した  軽井沢の前身の 「 西長倉村 」と 

 今の御代田町の 「 伍賀村 」の地域を結ぶことから 村名から一字ずつとって  倉賀橋と命名したとのこと  

 命名したのはなんと  尾崎行雄氏(政治家「憲政の神様、議会政治の父」と呼ばれる) 

 大正3年には 英国公使別荘近くに   別荘を建て「莫哀山荘」と名づけ 軽井沢が好きで 訪れていたんだって

 昭和2年(1927)12月に、  有志の寄付で(橋長90尺、幅員9尺)架けられ

 その後 昭和34年(1959)架設)に  架け替えられたまんまなんだって

 最初に架ける時には  著名人が寄付に  協力して応援したと伝えられているけれど

 修理じゃなくて   また架け替える時期が来ている気がするよね・・

 看板の日付 時間帯に この道を通りそうな人・・忘れないでね ~ !  

 
 


 
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2 コメント

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Unknown (大江武)
2017-10-16 13:02:47
追分倉賀橋のすぐ先に私の山荘がありますが、その隣に尾崎咢堂さんの別荘があったそうです。今は花木台という別荘地になっていますが、60年くらい前には廃墟になった8角型の石積みの咢堂さんの別荘のがありました。父の話によると私の生まれる前に火災に合い廃墟になったとのこと。父は隣同士ということで咢堂さんとの交流があった聞いております。
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 (風の盆)
2017-06-12 19:47:40
いや詳しいものだ

憲政の父か
いや憲政の父と崇められた

詳しい事は分からないが、憲政の父とはたいしたものだ

昔の人は、漢学の素養があった。漢学が必須だったな
漢学とは、一種の哲学なんだな
西洋では哲学があったが、東洋では漢学なんだな

それに、キリスト教が入ってきた
日本では、当時の知識人や支配者にとってキリスト教の影響は大きいな
何瀬、博愛、平等だから
宗教よりも、考え方であったろうな
まさに、光だったろうな

それが、どうして戦時体制、独裁体制に突入したか、突入してしまったか、分からないな

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