夜に空を見ると、丁度三日月が生駒山に沈んでゆくところ。
さて、大阪の千日前にあった小さな書店によって、谷崎潤一郎の「蓼喰う虫」の文庫本を探すと、
そこに四冊の文庫本があり、買ってかえりました。
谷崎といえば、今までに読んだ本は「春琴抄」と「細雪」、そして最初の谷崎訳源氏物語。
蓼喰う虫、は、中学生のときに最初読み始めて???となって最初の十数頁で投げ出したものです。
いろんな文楽の話が盛り込まれていますねぇ。
当時の観劇のようすもなかなか面白いです。
あらすじは、Wikipedia蓼食ふ虫 にもありますが。
斯波要・美佐子という夫婦の話です。二人は東京出身なのですが、大阪・豊中に住んでいて弘という男の子がいる。
ところが前から要は女としての美佐子を捨てている、形式だけの夫婦なのです。
とはいえ妻の、身の回りの世話や細かい心づくしは良くわかっていて、息の合った夫婦なのですが。
その表現が驚き。
立っている彼には襟足の奥の背すじが見えた。肌襦袢の蔭に包まれている豊かな肩のふくらみが見えた。畳の上を膝でずっている裾さばきの袘(ふき)の下から、東京好みの、木型のような硬い白足袋をぴちりと嵌めた足首が一寸ばかり見えた。そう云う風ちらりと目に触れる肉体のところどころは、三十に近い歳のわりには若くもあり水々しくもあり、これが他人の妻であったら彼とても美しいと感ずるであろう。今でも彼はこの肉体を嘗て夜な夜なそうしたように抱きしめてやりたい親切はある。ただ悲しいのは、彼に取ってはそれが殆(ほとん)ど結婚の最初から性慾的に何等の魅力もないことだった。そうして今の水々しさも若々しさも、実は彼女に数年の間後家と同じ生活をさせた必然の結果であることを思うと、哀れと云うよりは不思議な寒気を覚えるのであった。
そうして要は妻に愛人をつくるようにとほのめかし、そして実際に須磨に愛人である阿曽を作ってしまっているのです。
冒頭はこの美佐子が阿曽に会いに行く前に、
京都鹿ケ谷に隠居生活をしている美佐子の父親と彼よりも30歳以上も若い妾と一緒に、
大坂の道頓堀の弁天座へ一緒に「心中天網島」を観に行くところからはじまります。
この四人を中心に、二人の子ども弘と、要のいとこで上海で働いている、夫婦の相談役の高夏秀夫、
要が訪れている 神戸娼館の女性ルイズがからんで話が進んでゆきます。
人形浄瑠璃について、否定的な意見を持っていた要は、なぜかこの日は違ったのです。
その表現が先日の記事に載せた文楽劇場の西のほうにある石碑に書かれていた文章です。
紅殻塗りの框を見せた二重の上で定規を枕に炬燵に足を入れながら、おさんの口説きをじっと聞き入っている間の治兵衛。―若い男には誰しもある、黄昏時の色町の灯を恋いしたうそこはかとない心もち。―太夫の語る文句の中に夕暮れの描写はないようだけれども、要は何がなしに夕暮れに違いないような気がして、格子の外の宵闇に蝙蝠の飛ぶ町のありさまを、―昔の大阪の商人町を胸にえがいた。
そして夫婦は途中で観劇をやめて、妻は須磨へ、夫は帰ってゆくということになります。
この後、二人の間を心配し、両親が離婚するのを恐れる弘の面倒を見るのが高夏です。
後日要は妻の父親とその妾と三人で、淡路島へ文楽人形を購入するために旅立ちます。
そこで観るのが「淡路源之丞大芝居」という人形浄瑠璃。
その演目は生写朝顔日記、太功記十段目、お俊伝兵衛、吃又平。
(生写朝顔日記、夏休み文楽特別公演ででます!)
観劇を楽しんだ翌日義理の父とその妾は三十三所巡礼へ、
要は戻ってくるのですが、訪れたところは豊中ではなく、馴染みの娼館のルイズの所・・・
そして義父に離婚となった経緯を手紙を送ると、夫婦二人で京都にくるようにとの手紙。
そして訪れると、義父と妻が南禅寺の瓢亭へ出かけることになり、
残された要とお久が・・・・
中学生のときによくわからなかったわけですねぇ・・・。
この本を買って店外に出ると、店の人が追いかけてきて、
こんなチラシをもらいました。
谷崎潤一郎全集が出るようです。156420円!
昨日、今日とずっと「蓼喰ふ虫」を読んでいたので、夕食はご飯とイトトウガラシの金平と、作りおきの煮黒豆、冷凍の小芋の土佐煮。