地下鉄烏丸線で烏丸御池まで。
京都文化博物館までは徒歩5分ほどでしょうか。
途中に咲くカシワバアジサイ。半日陰なのにしっかり咲いています。
辰野金吾による別館(手前)と本館(奥)。
今開催されているのは「横山崋山 まだいた、忘れられた天才絵師」展。
チラシは2種類あります。
横山華山(1781/4~1837)は、江戸時代後期に京都で活躍した絵師です。幼少の頃から曾我蕭白の絵に触れて独学し、岸駒に入門した後、呉春に私淑するなど、多くの流派の画法を身につけ、絵の幅を広げました。伝統や形式を重んじる諸画派には属さず、自由な画風と筆使いで人気を博し、その名声は当時日本中に広がっていました。海外からも早くから評価され、欧米の美術館に優品が多数所蔵されています。著名な画家を記した番付や、夏目漱石の作品に名前が登場するなど、明治から大正の頃までは世間に知られた存在でした。
華山は人物画、花鳥画、山水図など幅広い画題に秀いでていましたが、なかでも風俗画や祭礼図は真骨頂で、細やかな描写に目が奪われます。本展では、上下巻あわせて30mにおよぶ晩年の大作《祇園祭礼図巻》を一挙に公開するほか、ボストン美術館や大英博物館に渡った海外の作品も里帰りします。曾我蕭白や弟子たちの作品もあわせた約120点で、華山の多彩な画業を系統立てて紹介する初めての回顧展です。かつて有名であったにも関わらず、忘れ去られてしまった画家の全貌を掘り起こし、その魅力に光を当てます。
横山崋山という絵師は知りませんでした。
曾我蕭白、呉春は知っていましたが。
素晴らしい絵が沢山。堪能できました。
駅に置いてあった今回の展覧会の絵葉書、そして入場チケット。
ちょうど今祇園祭の真っ最中。祇園祭礼図巻がタイムリーです。
会場は4階、そして3階。
エレベーターで4階にむかうと、そこに今日の展覧会の看板。
このほかに2階では特集展示もあります。
「祇園祭 山鉾巡行の歴史と文化 ―鷹山復興にむけて―」
京都の歴史とともに現代まで連綿と受け継がれてきた祇園祭は、日本を代表する祭礼として名高いものです。絢爛豪華な装飾品で飾られた山鉾は「動く美術館」とも称され、国内はもとより遠く東アジアや中近東、そしてヨーロッパの美術工芸の粋が集結しています。祇園祭に登場する山鉾は、国の重要有形民俗文化財に指定されているほか、「山・鉾・屋台行事」のひとつとしてユネスコの無形文化遺産にも登録されています。
祇園祭の長い歴史の中には数々の変転がありました。時には災害にみまわれ巡行の行列からその姿を消していった山鉾もあります。そのひとつが鷹山です。鷹山は文政9年(1826)の大風雨の被害を受けて休み山となり、その後元治元年(1864)の大火によって部材を焼失し、長くその姿を見ることはありませんでした。しかし、近年鷹山復興の機運が生まれ、現在その取り組みが始まっています。2019年の山鉾巡行では、鷹山保存会が唐櫃巡行を行ない、鷹山復活へのあゆみは着実に進んでいます。
この展示では、祇園祭の山鉾に関する歴史や文化を紹介すると共に、鷹山について記録した江戸時代の資料も公開して、その様相に迫ります。
「池大雅」
池大雅(1723〜1776)は、近世日本の文人画を代表する巨匠の一人です。大雅が生を受けたのは、江戸幕府成立100年を経て、社会・経済が十分に成熟した江戸時代中期の京都。好奇心旺盛で学識に溢れたこの都市の住人に囲まれ、少年時代から書画に才能を発揮した大雅は、同時代の最新のモードであった中国の文人文化に大きな興味と憧れを抱き、書画家としての人生を歩み始めます。諸国を歴訪して見聞を深め、古今の漢詩、学問に触れ、まだ見ぬ大陸への憧れを自由でおおらかな独特の筆さばきで表現しました。その作品は個性的なもので、新たな文化を貪欲に求めていたこの時代に多くの支持者を集めました。
一方、彼自身は世俗の名利を意に介すること無く、古の君子、詩人のごとく雅・高潔さを追い求めたと伝えられています。文人画家として自らの個性を確立した大雅、そしてその生き方を喜んで支えた人々。大雅の生き方とその芸術作品は、まさしく18世紀の近世社会が産み出した豊かさを物語るものです。
本展示では、池大雅美術館より寄贈され、現在京都府が収蔵する池大雅のすぐれた書画や関連資料の数々をご覧頂きます。
「洛陽三十三所4 ―信仰のかたち―」
平安時代以降、西国三十三所等の観音菩薩巡礼が盛んとなり、京都(洛陽)においても三十三の観音を対象とする巡礼が行われるようになりました。応仁の乱や明治維新による衰退もありましたが、平成17年(2005)に平成洛陽三十三所観音霊場会が結成され、再興されることとなりました。
今年度は、2015年の再興から四回にわけて開催する展覧会の最終回です。洛陽三十三所の多角的な魅力をより多くの方に知って頂ければ幸いです。
ここだけで2時間かかりました。
もう頭の中がいっぱい。