谷あり谷あり。

鬱と自律神経失調症と若年性更年期障害とパニック歴15年です。それでも何とか一児の母やってます。

昔話Vol.5 ~鬱病編~

2014-07-08 19:51:59 | お薬

地獄のような精神科を後にし、大量の薬を手にしながら私の心は希望に満ちていた。


これで治る!
普通の暮らしに戻れる!


まるで魔法の薬を手に入れたような気持ちだった。


そして帰宅して早速処方された通りに薬を飲んだ。
確かかなり種類があったので一瞬怯んだがその時の私はもう生きるか死ぬかの所まで追い詰められていたため「薬を飲む」という選択肢しかなかった。



数種類の薬を飲んで30分程経っただろうか。
突如として頭がグルグルし始め、吐き気が襲ってきた。



え?何これ?


意味が分からずただひたすらのたうちまわっていた。
その時は薬の知識もなかったため何を処方されたのかも全く覚えてないが、恐らくかなり強い薬を処方されたのではないだろうか。

とにかく酷い副作用に苦しみ、薬を飲む前より酷い状態になってしまった。


これには物凄い衝撃を受けた。
精神科の薬を飲めば治るとどの鬱病の本にも書いてあったからだ。


嘘じゃん、治らないじゃん。


数時間後、薬の副作用も薄まってきた中で私は絶望のドン底にいた。



もう死ぬしかないんだな。



結論は1つしかなかった。



私は実家の工具箱を探して業務用の大きなカッターを取りだし車に乗った。


その時に父が玄関に出てきて「今夜、カレー作ったんだけど食べるか?」と聞いてきた。
私は「これから死ぬから食べられないんだけどな」と思いながら「うん」とだけ返事して車に乗り込んだ。
借金問題でグチャグチャになっていた時期で久しぶりにした父との会話だった。
私はその時どんな顔をしていただろうか。
食べられず眠れずに死を決意していた私はどんな顔をしていただろうか。

それから今日まで私はその時に交わした父とのたった一言の会話と私を心配そうに見つめる父の顔が忘れられずにいる。
きっとこれからも一生忘れる事はないと思う。



昔話Vol.4 ~鬱病編~

2014-07-08 19:31:02 | お薬


どうにもこうにもならない体で寝たきり生活に突入し、ただひたすら部屋の天井を見て終わるだけの日々が過ぎていく。



おかしい、私は何かとても悪い病気になったに違いない。



そう思った私は鉛のような体を引き摺りながら色々な病院を受診した。

頭のMRIを調べても、胃カメラをのんでも、大腸検査をしても、どこまで調べても異常はないと言われる。
まだ今のように鬱がメジャーになってない時代。
どの科の先生からも鬱病の「う」の字も出てこなかった。




もう医者なんて信用ならん。
そう思って本屋に行くと、「鬱病」の本が目についた。
「まさか自分が」と思いながら読むと鬱病チェックの項目全てに自分の症状が当てはまった。
自分は「鬱病」なのか…。
鬱病なんて全然自分の関係ない世界の話だと思っていたので本当に世界が音を立てて崩れ落ちるようなショックを受けた。
と、同時に原因が分かった安堵感もあった。

精神科に行けば治る!(当時はまだ心療内科というものはほとんどなかったような気がすする)
本にはそう書いてあったので「良かった、この苦しみから解放されるんだ」と涙した。

すぐに最寄りの精神科を調べて待合室に入ってギョッとした。
そこは有名な精神科だったらしく廊下にまで患者が溢れていて、酷い有り様だったからだ。
奇声を発してる者、壁に頭をぶつけてる者、死んだような目で私を見上げて地面に寝っ転がってる者…
余りの壮絶ぶりに一瞬帰ろうと思ったがここで引き返してもまたあの地獄の日々だと思い私は目を瞑りながら待合室でひたすら自分の順番を待った。
かなり長く待たされて診察室に入ったら年配の怖そうな医師がいて、私の症状が書かれた問診票を見て「鬱だね。薬出しておくから」とだけ言った。


え?それだけ?


そう思いながらも怖そうな医師に質問する勇気も気力も無くなく薬をもらい病院を後にした。



昔話Vol.3 ~鬱病編~

2014-07-08 19:08:48 | 日記

Dと別れる半年位前から発症しだした鬱病。
それから15年間闘ってきたこの病を、今まで辛くて振り返る事が出来なかったので子供が産まれる前に何とか振り返ってみようと思う。



まず最初の症状は

「無気力」
「無感情」

何をしても楽しくなくなり意欲が無くなり集中力が無くなり何もかもどうでも良くなっていった。
食欲が無くなり、体重が一気に5㎏落ちた。
髪や化粧もどうでも良くなっていった。


次に「不眠」



生まれて初めて「眠れない」とい☆う経験をした。
とにかく眠れない。
何をしても眠れない。
やっと眠れても2時間程で目が覚めてしまう。
そんな感じで仕事に行っても全然使い物にならず、ミスを連発し早退するようになる。
フラフラで帰宅して、こんなに眠いなら眠れるだろうと布団に入った途端目がギンギンになって眠れない。
本当にこれには参って周りの友人に相談するがそんな経験をした友人がいなかったため解答は得られずまた落ち込む。
今みたく「鬱病」というものがメジャーになってない時代だ。



悪い事は重なるものでその時、なんて事のない店の段差で転んで向かい側にあったイスかなにかにぶつかり肋骨を骨折してしまう。

そしてその肋骨が治りかけていた時に、相手の過失で交通事故に遭いなんとまた治りかけていた肋骨を骨折してしまい更に酷いムチウチになり病院に通った。
その時ムチウチで全身が痛くてたまらないという体験をして初めて交通事故の怖さを思いしった。
一応整体や電器に通ったが良くなったのかはよく分からない。


でも今思えばその事がきっかけで「自律神経」が狂い始めたと思われる。



次の症状は「体温調節が出来ない」

これは今でもかなり悩まされている症状でちょっと暑いだけで体にどんどんと熱が籠っていき汗も出ないため熱中症のような症状を起こし、ちょっと寒いとどこまでも体は冷えつづけブルブルと震えてしまうのだ。
鬱はかなり良くなった今でもまだまだ改善されていない症状だ。



そして「過呼吸」

当時実家で初めて発作を起こした私を見て母親が慌てて救急車を呼び病院に運ばれた事があるが、結局病院についたらケロッと治ってしまいどこを調べても異常は見られなかった。
今ならそれがパニック発作だと分かるが、当時は両親も私も訳が分からなくて謎だった。




そうこうしてる内にこれ以上職場に迷惑をかけられないと退職をして家で寝たきりの生活に突入していった。

昔話Vol.2

2014-07-08 18:25:24 | 妊娠
しがない過去の恋愛話第2段。




私の過去の彼氏の中で最高の黒歴史だったMと親を介してやっと別れられて恋愛にコリゴリだった私はバイトに明け暮れる日々を送るように。
その時に告白してきたのがバイト先の二つ上のT。
最初はいつも嫌みとか言ってきて大嫌いだったから告白された時はびっくりし過ぎて何度も聞き直したくらい。
でも私はTの事全然好きじゃなかったし、束縛男Mのトラウマがあったから丁重にお断りした。
それでも何度も色々なところに誘ってくれて凄く大切にしてくれたので私も段々惹かれるようになり付き合う事に。
Tとの付き合いはとにかく濃かった。
ベッタリとした付き合いだった。
とにかく優しくて、愛情表現もマメだし大切に大切にしてくれて私も凄く幸せだった。



…んだけど!
Tもだんだん束縛魔になってきてそれで喧嘩ばかりするようになった。
でも私も大好きだっからそれでも一緒にいたくてずっと一緒にいたけど結局束縛に耐えきれず別れた。
別れ話もかなり長期に渡った。
Tとは結局6年位付き合っていたから情もあったし、私もなかなかキッパリは別れられなかった。
それから15年程経った今でもTからは「ヨリを戻したい」と連絡が来るけど
当たり前だが全く未練はない。
Tもモテるタイプみたいで何人か付き合った彼女はいるみたいだが上手くいかないらしい。
Tは「私の事がまだ好きだ」と言うけどそれは違うと思う。
別れてから15年間、1度お互いにコンビニでバッタリ会っただけで全く会ってないから、彼の中で私はかなり美化されてるんだと思う。
付き合ってた6年間もきっと良い思い出ばかりが心に残ってるんだろう。
私が結婚したと知った時もかなりショックを受けたようだが、どうやら共通の友人曰く「あいつはきっと離婚するから大丈夫」と言ってたらしい(笑)
何が大丈夫なのだろう(--;)
例え離婚してもTと寄りを戻す事なんてありえない。
別れて15年も経つのに今さら寄りを戻すなんて、じゃあもっと早く寄りを戻すよねって話だよね。
Tは過去に付き合った彼氏の中で旦那の次に長い付き合いだったし、本当に若さゆえの濃い付き合いだったから今でも人としては嫌いになれない。
ただ、それは全く恋愛感情ではない。
こういう所が男と女の違いなんだろうか。



Tと別れて付き合ったのが一回りも歳上のD。
長年付き合ったTの事がまだ心にくすぶっていた時期に知り合った人。
6年もTと付き合っていたから、他の男との付き合い方なんて忘れてるんじゃないかと思って友人に「彼氏紹介して」と言って紹介してもらった人。
初めて会った時正直ビックリした。
彼女がいないなんて信じられない位のイケメンだったからだ。
ほんと、俳優みたいな顔立ちで背も高くスタイルが良くて私の好みではなかったけど、彼にアプローチされて堕ちない人はまずいないだろうと思うくらい良い男だった。


彼と付き合い始めた私は常にストレスを抱えるようになった。
凄く歳上の彼とはいくら会話をしてもしっくりこないのだ。
彼は無口なタイプでいつも穏やかで喧嘩にはならなかったが、いまいち何を考えてるのかが分からなった。
その前に付き合っていたTは心の内を全てさらけ出し、本人が隠していても単純で分かりやすいタイプだったので正反対のDとの付き合いはいつも心が落ち着かなかった。
穏やかで優しいけど、正直一緒にいてもつまらなかった。
そう、今こうやって書き出してみて改めて思った。
彼との付き合いは至極退屈でつまらなかったのだ。
彼の趣味は昼寝と麻雀。
私の趣味は外に出掛ける事。
今でこそ鬱で引きこもりだが、その時は20代前半で若くて遊びたい盛りだった。
最初こそ彼に合わせてビデオを借りて部屋で映画鑑賞に付き合ったりしたが、そもそもがお互いの映画の趣味も合わない。
彼は一回りも歳上だったので、主導権はいつも彼にあったと思う。
私もそんな彼にワガママや意見を言う事もなかった。
心のどこかで彼の好みの女を演じていた。
彼と一緒にいるのはつまらなかったけど、私はDの事が好きだったから背伸びをして付き合っていた。
そしてたまったストレスは友達と朝までハメを外して遊んだりして解消していたような気がする。
1年が経ち、私は自分が次第に心のバランスを失っていくのが分かった。
彼の事が好きだけど自分を出す事が出来ない。
その頃、私の実家には本当にたくさんの問題が起こりその事でも私は頭を痛めていた。
父が事業に失敗し借金取りに追われる日々が始まっていたのだ。
それをきっかけに坂道を転げ落ちるように我が家は落ちていった。
私はその事をDに話す事が出来なかった。
好きなのに何故か悩みを話した事がなかった気がする。
私はそれらの悩みを元彼のTに話すようになっていた。
その頃から私はDと会う気にならなくなっていった。
嫌いになった訳じゃないし、好きだったけどやっぱり自分を出せない付き合いは限界があった。
時を同じくしてDの母親が末期癌に侵されてるのが分かりDの意識も完全にそちらの事にいっていた。
そうやってお互いはすれ違っていき、Dは「お前の事が信用出来ない」と言った。
私は心の中で言われて当然だと思っていたので何も反論しなかった。
その頃の私は借金取りに追われ喧嘩が耐えなくなった両親を見るのが嫌で毎晩友達と飲み歩いていた。
Dから電話か来てもほとんど無視をするようになった。
Dからしてみたら自分の母親が末期癌で大変な時に遊び歩いて「なんて思いやりのない女だ」と思っただろう。
当然だ。
当然なのだが、私は私でDに言わないだけでたくさん悩みをを抱えておかしくなっていたのだ。
ご飯も食べられなくなり5㎏も体重が落ち、不眠症を発症し始めていたのもこの頃からだ。
何に対しても無感情になり、毎日怠くて怠くて体が鉛のように重かった。
もう何もかもどうでも良かった。
寝なくちゃいけない時間に寝れなくなり、仕事の始まる朝方になると気絶するように眠ってしまうようになり仕事もやめた。
その時は何も知らなかったけど今思えば「鬱病」の始まりだったのだ。

私を信用出来ないといったDとはそれで別れた。
「もうこれ以上俺達は無理だよな」
そんな事を言っていたような気もするが、ボーッとしててほとんど覚えてない。
「お前、最近いつもボーッとしてるけど俺の話聞いてるのか?」そんな事を言われ頭のまわってない私はお門違いの返事をしてDが苛ついて目の前のテーブルを蹴って「俺をバカにしてんのか?!」と怒鳴った事だけはハッキリ覚えてる。
いつも優しくて穏やかだったDの初めて怒った瞬間だったからだ。
それでもその時の私は目の前で起きてる事にまるで現実味を感じなくてひたすらボーッとしていたような気がする。


Dと別れて、私の鬱病は一気に重症化していった。