昨日の記事からの続きといえば続き。
妊娠してから未知だったママの世界を覗き見して
驚いたり
気が重くなったり
吹き出したり
考えさせられたりしてる最近の私。
何でも二極化して白か黒に分類分けしようとするママの世界。
(もちろん一部のママさん達だけだと思いたい)
私は未熟者で決して人をどうこう言える人間ではない。
でも人それぞれのライフスタイルを無視して○○だから勝ち組、○○だから負け組というののは余りにも浅はかではないだろうか。
保育園に行っている子供を見て、幼稚園じゃないからダメだと見下すのは何故だろう。
専業主婦を見て、働いてないダメな人間と見下すのは何故だろう。
男の子を持つママを見て、女の子を持てなくてかわいそうだと見下すのなんてのはもう滑稽すぎて笑えてくる。
ちょっと話はズレるがいつの頃から女はこんなに前に出たがるようになったのだろうと思う時がある。
女性の社会進出と共に女はどんどんと変化してきているように思う。
私は同じ女でありながら、所謂「今時の上昇思考の強い女性」には嫌悪感を覚えている。
これはデリケートで難しい問題なのであまり適当な事は言えないが、今の女性は正直痛々しく感じてしまう。
そもそも男性と女性とは全く逆に作られた生き物だ。
男の体は元々外に出て働くようにできている。
外に出て敵だらけの中で戦い、家に帰ってきて羽を休めまた外に戦いにでる。
男の本能の中には家の中に目を向け、家族の顔色、少しの変化に気がつくような部分はあまりない。
自分の巣である我が家に一番信頼出来る妻を置き、全てを妻に任せて外に働きに出る。
それが妻子のためであり、責任だと思っているからだ。
逆に女の体は毎月毎月生理があり、体力も男よりはない。
外に出て敵と戦う能力より、家にいて家族の顔色の変化を見て体調を気づかったりケアする能力に長けている。
男より共感意識に長け、包容力と慈愛に溢れ、弱者の心に寄り添い守ろうとする。
この男女の基本的構造の違いはいくら時代が変わろうとも、変わらない部分ではないだろうか。
それが今はどうだろう。
女は何て欲張りになったんだろうと思う。
欲張りになり「評価」されたがるようになった。
外で戦い自分の力を試したがるようになった。
結果結婚率が下がり、出生率が下がり、離婚率が上がった。
でもこうなるのも当然だろう。
家の中に男が二人いる状態になっているのだから。
ぶつかるに決まっているのだ。
男は女と結婚したはずなのに、どこを探してもその「女」が見当たらないのだから。
男も女も外で戦って帰ってきて羽を休めたいと思っている。
でもケアをする人がいないのだ。
その役割を担う人がいないのだ。
女がそれを放棄してしまっているから。
女は自分で生きていける力を身につけ男を必要としなくなり、男はそんな女といても気が休まらないため女を必要としなくなる。
そりゃあそうだろうなと思う。
こんな事言っては申し訳ないが、外でバリバリ働いている女性にそこはかとなくつきまとうギスギスした痛々しさ、可愛いげの無さを見ると女の私でさえあまりお近づきにはなりたくないなと思ってしまう。
自分の母親がこんなんだったらキツいなとさえ思ってしまう。
そんなギスギスした女と暮らすよりはどんなに寂しくても一人暮らしした方がよっぽどマシだとの思いで結婚をしたがらない男の気持ちも多いに分かる。
散々外で働いて生活力を身につけ自分磨きを尽くした女は30半ばになって、今度は子供が欲しくなる。
慌てて婚活をしてようやく相手を見つけ結婚して子作りを始める。
しかし、人生そんなに思うようにいかず授からない。
医療の力を借りて不妊治療を始める。
こういったパターンが私の周りを含め非常に多い。
でも、こういった女性が増えた事を決して女性だけが問題だと思わない。
これは日本という国の男性が、長い長い長ーい間男社会なのをいい事にそこにあぐらをかいて好き放題してきた事がそもそもの原因なのではないかと思っている。
全ての法律は男に都合の良いように作られ、女を見下し、侮辱してきた事への女からの反乱ではないだろうか。
この前の議会での女性への暴言が良い例だ。
あのアホな議員は口に出してしまったが、口に出さないだけでああいった女性蔑視の考え方は多かれ少なかれまだまだ多くの男の心の中にはあるはずだ。
男が外で働いてきて、女は家で料理を作って帰りを待ち身の回りの世話をする。
それは別に男が偉い訳でも、女が飯使いな訳でもない。
お互いがお互いの役割があるだけだ。
夫婦は二人三脚であってどちらが上でも下でもない。
それを日本の男は何を勘違いしたんだか、男は女より偉いと思っている。
甘やかせば甘やかすほど付け上がって、酷いのになると浮気はするはDVはするやりたい放題。
妻を自分の母親か何かと勘違いして何をしても許されると思っている。
日本の男は女に感謝の言葉をあまり口にしない。
妻が夫に「お疲れさま」といえば、夫も妻に「お疲れさま」と言えばいい。
日本男児は照れ屋でなかなか思った事を口に出来ないと言うのも単なる言い訳、逃げでありこれも男に都合の良く作られた日本の悪しき風潮だと思う。
ったく、モジモジした5歳児じゃないんだよと言いたい。
いくら夫婦でも口に出さないと伝わらない事はたくさんある。
口に出さなくて伝わっている事でも、口に出して言ってもらうと嬉しいものだ。
そんな当たり前の事が何故出来ないのだろうか。
夫の定年が60歳なのに、どうして妻の定年がないのかも不思議でならない。
夫が無事に定年まで働けたのは、妻のおかげでもあるのではないか。
何十年も自分一人で頑張ってきた顔をされたら、妻は本当にやってられない。
男が定年して周りに「長い間お疲れさま」と言われるのに、妻は誰にも労いの言葉をかけてもらえないのだ。
男が定年した途端に家でゴロゴロできて、何故女は変わらずに(いや旦那が家にいるだけで仕事は倍量)あくせくと家事をこなさなくてはならないのか。
それを当たり前と言われ、誰にも労いの言葉をかけてもらえず。
そして妻は夫に離婚を叩きつける。
もうたくさんだ、残りの少ない人生自由に生きたいと。
寝耳に水の夫は驚く。
引き留めても女が1度決めた決心は揺るがない。
妻は出ていき、夫は家の事なんて何一つ出来ずボーゼンとしながらカップラーメンにお湯を入れ侘しい老後を過ごす。
当然だろう。
女は奴隷じゃないのだ。
自分に寄り添って陰でサポートしてくれる妻を労るどころかふんぞり返ってあぐらをかいていた報いだ。
こんな母親世代を見て誰が結婚に夢を抱くだろう。
自分の母親を見て「こんな人生だけは絶対に送りたくない」と思い一人で生きていけるよう社会で戦いながら生活力を身につけようとする女性を誰が責められるだろう。
こうやって書き出してみると、どこからどう間違って今の現代社会に流れ着いたのか一概には言えないが社会が今一度女性が「結婚って素晴らしい」と思うような社会にならなければ離婚率の上昇も少子化にも歯止めがかからないのではないかと思う。
男と女。
お互いにもう少し思いやりをもっていたら。
最後は人間として一番大切なそこの部分に突き当たるのではないだろうか。
※この記事の内容はあくまでも私の主観です。
多種多様な考え方、生き方があるのを十分理解した上で私自身の勝手な主観を書きなぐった記事だという事をご理解頂ければと思います。
いつも私の拙いブログを読んで頂きありがとうございます。
妊娠してから未知だったママの世界を覗き見して
驚いたり
気が重くなったり
吹き出したり
考えさせられたりしてる最近の私。
何でも二極化して白か黒に分類分けしようとするママの世界。
(もちろん一部のママさん達だけだと思いたい)
私は未熟者で決して人をどうこう言える人間ではない。
でも人それぞれのライフスタイルを無視して○○だから勝ち組、○○だから負け組というののは余りにも浅はかではないだろうか。
保育園に行っている子供を見て、幼稚園じゃないからダメだと見下すのは何故だろう。
専業主婦を見て、働いてないダメな人間と見下すのは何故だろう。
男の子を持つママを見て、女の子を持てなくてかわいそうだと見下すのなんてのはもう滑稽すぎて笑えてくる。
ちょっと話はズレるがいつの頃から女はこんなに前に出たがるようになったのだろうと思う時がある。
女性の社会進出と共に女はどんどんと変化してきているように思う。
私は同じ女でありながら、所謂「今時の上昇思考の強い女性」には嫌悪感を覚えている。
これはデリケートで難しい問題なのであまり適当な事は言えないが、今の女性は正直痛々しく感じてしまう。
そもそも男性と女性とは全く逆に作られた生き物だ。
男の体は元々外に出て働くようにできている。
外に出て敵だらけの中で戦い、家に帰ってきて羽を休めまた外に戦いにでる。
男の本能の中には家の中に目を向け、家族の顔色、少しの変化に気がつくような部分はあまりない。
自分の巣である我が家に一番信頼出来る妻を置き、全てを妻に任せて外に働きに出る。
それが妻子のためであり、責任だと思っているからだ。
逆に女の体は毎月毎月生理があり、体力も男よりはない。
外に出て敵と戦う能力より、家にいて家族の顔色の変化を見て体調を気づかったりケアする能力に長けている。
男より共感意識に長け、包容力と慈愛に溢れ、弱者の心に寄り添い守ろうとする。
この男女の基本的構造の違いはいくら時代が変わろうとも、変わらない部分ではないだろうか。
それが今はどうだろう。
女は何て欲張りになったんだろうと思う。
欲張りになり「評価」されたがるようになった。
外で戦い自分の力を試したがるようになった。
結果結婚率が下がり、出生率が下がり、離婚率が上がった。
でもこうなるのも当然だろう。
家の中に男が二人いる状態になっているのだから。
ぶつかるに決まっているのだ。
男は女と結婚したはずなのに、どこを探してもその「女」が見当たらないのだから。
男も女も外で戦って帰ってきて羽を休めたいと思っている。
でもケアをする人がいないのだ。
その役割を担う人がいないのだ。
女がそれを放棄してしまっているから。
女は自分で生きていける力を身につけ男を必要としなくなり、男はそんな女といても気が休まらないため女を必要としなくなる。
そりゃあそうだろうなと思う。
こんな事言っては申し訳ないが、外でバリバリ働いている女性にそこはかとなくつきまとうギスギスした痛々しさ、可愛いげの無さを見ると女の私でさえあまりお近づきにはなりたくないなと思ってしまう。
自分の母親がこんなんだったらキツいなとさえ思ってしまう。
そんなギスギスした女と暮らすよりはどんなに寂しくても一人暮らしした方がよっぽどマシだとの思いで結婚をしたがらない男の気持ちも多いに分かる。
散々外で働いて生活力を身につけ自分磨きを尽くした女は30半ばになって、今度は子供が欲しくなる。
慌てて婚活をしてようやく相手を見つけ結婚して子作りを始める。
しかし、人生そんなに思うようにいかず授からない。
医療の力を借りて不妊治療を始める。
こういったパターンが私の周りを含め非常に多い。
でも、こういった女性が増えた事を決して女性だけが問題だと思わない。
これは日本という国の男性が、長い長い長ーい間男社会なのをいい事にそこにあぐらをかいて好き放題してきた事がそもそもの原因なのではないかと思っている。
全ての法律は男に都合の良いように作られ、女を見下し、侮辱してきた事への女からの反乱ではないだろうか。
この前の議会での女性への暴言が良い例だ。
あのアホな議員は口に出してしまったが、口に出さないだけでああいった女性蔑視の考え方は多かれ少なかれまだまだ多くの男の心の中にはあるはずだ。
男が外で働いてきて、女は家で料理を作って帰りを待ち身の回りの世話をする。
それは別に男が偉い訳でも、女が飯使いな訳でもない。
お互いがお互いの役割があるだけだ。
夫婦は二人三脚であってどちらが上でも下でもない。
それを日本の男は何を勘違いしたんだか、男は女より偉いと思っている。
甘やかせば甘やかすほど付け上がって、酷いのになると浮気はするはDVはするやりたい放題。
妻を自分の母親か何かと勘違いして何をしても許されると思っている。
日本の男は女に感謝の言葉をあまり口にしない。
妻が夫に「お疲れさま」といえば、夫も妻に「お疲れさま」と言えばいい。
日本男児は照れ屋でなかなか思った事を口に出来ないと言うのも単なる言い訳、逃げでありこれも男に都合の良く作られた日本の悪しき風潮だと思う。
ったく、モジモジした5歳児じゃないんだよと言いたい。
いくら夫婦でも口に出さないと伝わらない事はたくさんある。
口に出さなくて伝わっている事でも、口に出して言ってもらうと嬉しいものだ。
そんな当たり前の事が何故出来ないのだろうか。
夫の定年が60歳なのに、どうして妻の定年がないのかも不思議でならない。
夫が無事に定年まで働けたのは、妻のおかげでもあるのではないか。
何十年も自分一人で頑張ってきた顔をされたら、妻は本当にやってられない。
男が定年して周りに「長い間お疲れさま」と言われるのに、妻は誰にも労いの言葉をかけてもらえないのだ。
男が定年した途端に家でゴロゴロできて、何故女は変わらずに(いや旦那が家にいるだけで仕事は倍量)あくせくと家事をこなさなくてはならないのか。
それを当たり前と言われ、誰にも労いの言葉をかけてもらえず。
そして妻は夫に離婚を叩きつける。
もうたくさんだ、残りの少ない人生自由に生きたいと。
寝耳に水の夫は驚く。
引き留めても女が1度決めた決心は揺るがない。
妻は出ていき、夫は家の事なんて何一つ出来ずボーゼンとしながらカップラーメンにお湯を入れ侘しい老後を過ごす。
当然だろう。
女は奴隷じゃないのだ。
自分に寄り添って陰でサポートしてくれる妻を労るどころかふんぞり返ってあぐらをかいていた報いだ。
こんな母親世代を見て誰が結婚に夢を抱くだろう。
自分の母親を見て「こんな人生だけは絶対に送りたくない」と思い一人で生きていけるよう社会で戦いながら生活力を身につけようとする女性を誰が責められるだろう。
こうやって書き出してみると、どこからどう間違って今の現代社会に流れ着いたのか一概には言えないが社会が今一度女性が「結婚って素晴らしい」と思うような社会にならなければ離婚率の上昇も少子化にも歯止めがかからないのではないかと思う。
男と女。
お互いにもう少し思いやりをもっていたら。
最後は人間として一番大切なそこの部分に突き当たるのではないだろうか。
※この記事の内容はあくまでも私の主観です。
多種多様な考え方、生き方があるのを十分理解した上で私自身の勝手な主観を書きなぐった記事だという事をご理解頂ければと思います。
いつも私の拙いブログを読んで頂きありがとうございます。