土曜日、姉と九州物産展に行くことになった。
私が最も苦手とする部類のものです。逆に姉は、むしろ主催者側です。
こんなにも違います。反動だろうか?
私もイヤなら断ればいいのに、姉の誘いはなぜか、ふたつ返事になってしまう。
本当になんだろうこれは!姉のように生きたかった自分をが未だに残ってん
のかしらね・・・自分が拒否しているのにね。
あぁぁ、コロナだよ、そういや、空いてる午前中でなく混みこみの午後よ。
長居しないようにしないと。
今日の奇跡講座ワークブック編は、レッスン67
「愛は不平不満を抱きません」
というもの。
この60番台は、「私(の本性)は、(肉体ではなく)世界の光であり
(レッスン61)、そんな私の機能は、唯一、神が与えた赦しであり
(レッスン62)、その赦しを通して全てのマインドに安らぎを
もたらし(レッスン63)、それを忘れてはならず(レッスン64・65)、
そうすることで幸せになれ(レッスン66)る」
という練習です。
私は普段、考えないようにしているが、嫉妬、悔しさ、恨み、それは
連絡が入るたびにもくもくっと私を支配します。
大好きな人に、私は近づきさえ出来ないのに、いとも簡単にその人と
お友達になれる輩への嫉妬。そしてそれを知らなかった私。
そして落ち込む私。
姉や、義兄、義母、義妹たちへの昔傷付けられた記憶(被害妄想)。
それは彼らのこども(姪っ子)たちに対してさえ受け継がれるでしょう。
まだまだ思い出しては、悔しいと思う。でも、会ったときに、その思いが
何の機能も果たせないことを私はもう知っています。無効なんです。
その思いはそこにあるだけで、何の成果も生まない。
それだけはいつも実感しています。私は、あとで責められないように、
自分は悪くないと言うために、せっせと証拠を残すことをよく
やりがちですが、いつも失敗に終わります。そのたびにホッとしています。