砂漠の朝

大人になれない人の育児日記。
奇跡講座ワークブックを実践中。

5月31日

2022-05-31 12:59:18 | 奇跡講座テキスト or ワークブック
奇跡講座ワークブック編のことを書こうと思いつつ、いつも脱線するのは
やってないからではないです。全部の文章にハッとさせられるのですが、
結局全部同じ意味で、学ぶことはひとつ、なのに、これまでの考えをひっくり
返すことなので物凄く、ハードで忙しくて責任重大です。

ハタからみれば、生まれて生きて死ぬ。

そしてなるべく病気にはなりたくない、死にたくない、というのは、
他人に迷惑かけたくない、自分が哀れな人間と思われたくない、
苦しみたくない。
逆に病気になりたい、死にたい人は、この社会が苦しい、生きてることが苦しい。

どちらにせよ、同じ。

余命を告げられても死なない人、ささいなことでほんとに死ぬ人、
自死でほんとに死ぬ人/死なない人、交通事故で死ぬ人/大怪我する人/
無傷の人・・・

全て心の在り方かなぁと思う。知らない。知る由もない。
でも、奇跡講座ワークブック編を学習すると矛盾がない。
今見えてないものを信じるか、見えているものを信じるか。
しかし、その肉体の結果は、やはりそれとは無関係なので、
その死について議論することさえも無意味であり、そもそも
不可能、なんです。よね?(知らんし

私の中途半端な学びによる思考回路は、

幸せな心(健康・経済力・人間関係などに依存せず)
 ↓
神の心と一致する
 ↓
この世に未練なし
 ↓
お迎え(肉体の死)が来る

なので、死んだ人について「この人神さまとひとつになったんだなぁ」
とか、お迎えが来ない私は、「神さまにも要らんと思われてるのかなぁ」
などと、思ってしまう。がしかし、そういうことでもないのだろうなぁ。
この世界のもの(地球、宇宙、目に見えるもの、それについての考え、
思い)と、神さまとは一切関係性がない。関与していない。
しかし、私達の心の中、意識の中、内面にだけ、神さまと一致する場所が
ある。それはひとりにひとつ、皆でひとつ。強く、完璧だが、
弱さや完璧でないものたちのちょっかいや攻撃に無抵抗なため、
常に隠れた状態(隠れないでプリーズ)

とにかくいつも、心だけが幸せであることだけに一生懸命になります。
(ナンバーワンにならなくていい♪w
私は、おそらく、親も何気に長生き、身近な人の死を簡単には
経験させてはもらえない、医者が興味を持つような立派な病気もしない、
社会的立場も要求されない、となると、私のやるべきことは
ひたすら知覚のみ。5感のみ。長いです。これのみでは長過ぎです。
しかし、ネガになっても、本当にみじめなことが起こっても、
自分がつまらなさ過ぎても、退屈でも、心底面白くなくても、
選択することに失敗しまくっても、悪いことをしてしまっても、
娘が泣いても・・・

「不平不満は神さまへの攻撃です」
全ては、神さまの計画どおりにしかならないので
とにかく心だけは幸せでいて、と自分に言い聞かせます。


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5月31日

2022-05-31 10:51:39 | 生活
奇跡講座ワークブック編 レッスン74

「神の意思以外にはいかなる意思もありません」

”意志“だと思ってたわ。これに関してはどちらでも同じですが。

昨日、娘は発熱してしまいお休みでした。先週金曜日の娘の言動や振る舞いに
心を乱されましたが、やはり体調が悪かったのですね。ごめんね。
そんな中、日曜日の夜、なぜかテレビが付かなくなり、7時半には消灯した
ですが、そのまま夫はいびき、肝心の、早く寝て欲しい娘はお目目ぱっちり。
私が何気にトイレに入ったとき、突然娘のなく声が。

お父さんは寝てるし、いつもは付いてる電器もテレビも付いていない、
家は真っ暗ら、しかし、外の明かりは若干入ってくるという、
いつもとは違う薄暗さが恐かったようだ。そして、外で洗濯物が揺れている
影も恐いと言ってた。まるでこどもみたい。私の知ってるこどもの概念に
娘がはまった。ちょっと喜んでしまった。すまん。

そして、昨日診察を受けたあと、スーパーへ買出し。混む時間帯だったので、
「(車で)待っててね」と娘へ。買出しを終え、車に戻ると、娘のぽっぺから
涙がつーっと流れた跡がある。
「おかあさんいないとおもって・・・」
そういえば、昨日も「おかあさん、にげないでね」と言ってた。
どんだけ信用されてないんだ。

車でひとりで待つのは、はじめてじゃないし、むしろ、自ら「行かない!」
と言ってたくらいなので、これは変化だろうと思った。

皮膚の薬も飲んで昨日はぐっすり寝ておった。物凄い熱だった。
自分で所望した熱さまシートをおでこに張って。そして朝、復活。
それでも休ませるつもりだったが、「学校行きたい人!」と言ったら
元気よく「はい!」
よっしゃー!と5分で準備して、晴れていたが車を出してなんとか間にあった
仲の良いお友達が車まで走ってきた。娘、いつもは見ない運転席の私の顔を
じーっとみつめていた。

・・・あ、しまった。。。またやってしまった。
「学校行きたい人?」と手を挙げることを促せば、どんな子だって
手をあげるわ。orz

昨日1日中私と一緒だったから、お母さんと離れたくないと思うのがこどもだ。
はぁ。またやってしまったが、もう仕方ない。






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