「身体が求めるものは、私を幸せには絶対にしてくれない、
それはまさに死を意味する」
という理解の中、ピアノが逆に楽しくなってしょうがないです。
身体が苦痛を連れてくる、というのは確かにそうかもしれない。
実際、私はピアノを毎日弾ける環境であるにも関わらず、
満足していないし、上達したところで、老化、ピアノの破棄問題、
新しいピアノを調達できない&維持できない経済力のなさ、
無意味さ、からっぽ、頑張った過去、弾けた嬉しさ、
弾けたとしてももはや誰にも興味を持ってもらえないどころか
ピアノ関係なしに死ぬ気配すらない存在を疎まれる老人になっても
ピアノを弾きたがる自分を憎み、窓に石を投げられ、
弾けなくなった今、弾けたことを誰にも話せない虚しさに
苦しめられる未来、見えてしまう。
けども、そんな未来など存在しない雲のようなもの、と思って
一瞬一瞬だけを生きれば確かにそんな未来あるはずもない。
遠くから見る分厚い雲なんだ。進んでいけば何の抵抗も無い。
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