このまえ「すっごくなかよしの子とケンカなんてする?」と尋ねられました。
自信もって答えられます。
「しない!」です。
そもそもが平和主義な私。
幸いなことに私のまわりもそんな人たちばかり。
本当にありがたいなー、って思います。
小学生のころからの旧友がいるのですが
その彼女とも長いつきあいの中でケンカはしたことありません。
「ケンカしないのはおかしい!
そんなの本当の友だちじゃない!」と豪語した中学時代の友人もいて
ケンカさせようとふっかけてたみたいですが
むしろそのめんどくさい友人のほうが逆に音信不通になっちゃいましたね。
「ケンカするほど仲がいい」、は私にはあてはまらないと思います。
もちろん子どものころはやっぱり妹ともケンカはしてました。
でもいつのころか、まったくしなくなりましたね。
ケンカしたあとに残るのはイヤな、重苦しい思いだけだから。
で、なんでケンカにならないのかなぁとぼんやり考えてみたのですが
そもそもが平和主義というのもあるでしょうが
おたがいに「思いやり」を持ってるからなのだろうなぁということに気づきました。
似たようなことばで「気遣い」というのがありますが
個人的には「気遣い」と「思いやり」とは違うような気がします。
で、どう違うのかと言われるとなんとなく・・・なのではありますが
・「気遣い」は気を遣うこと。
もともともっている自分のエネルギーを減らしてまでも
相手にその気を使ったり与えたりするイメージ。
自分の状態がゼロの状態で気を遣うからマイナス状態になる。
・「思いやり」はあふれでるエネルギー、余ってる自分のエネルギーをお裾分けしてるイメージ。
自分の状態がプラスの状態で思いやるからどんなに思いやりを与えてもゼロの状態。
自己犠牲をともなってるのが「気遣い」で
見返りを求めないのが「思いやり」、
そんな感じがするんですよね。
(※個人の感想です)
で、悲しいかな、私は気遣いのできない人間です。
反対に母は気遣いの人で、
同じレベルのものを求めてきます。
私も妹も気はきかないし、気遣いもできないので
しょっちゅう怒られてました。
(っていうかいまだに怒られる)
これはもう生まれ持っての才能だから
私にも妹にもその才はなさそうです。
だから私は気を遣われるのも気を遣うのもニガテなのです。
同じように上手に気を遣うことができないので。
同等の気遣いを返せません。
と同時に気を遣われる、というのは
それだけ相手に気を許してないんだろうなぁとも思います。
壁を感じます。
気を遣う関係というのはどこか息苦しい。
居心地がいいのはやっぱり気を遣わないでいい関係なんですよね。
だからやっぱり気のおけない関係というのはとってもありがたいのです。
基本、自由が大好きな私(自由すぎるけど)なので
気を遣わずにのびのびと自分を出せる相手というのはとってもありがたいです。
(↑少しは気を遣え!ということばが聞こえてこないでもないけど/笑)
気遣いせず、自然に思いやりを出せる関係、
それが理想だと思うし
そんな人たちが周りにいて幸せだな、と思う今日このごろです。
ま、「気を遣え!」と言われても
そんなことできない私なんですけどね。
ヘタに気を遣うとそのあとぐったりです。
物理的にも心理的にも壁のない世界、
それが幸せな世界なのかもしれませんね。
さてさて画像は昨日のおやつ。
シュークリーム♪
皮にザラメが少し使われてるのかな。
パリっ、ザクっとした食感がおいしい。
そしてなによりカスタードがとっても濃くっておいしいです。
最近スイーツ三昧なので
おでこに一つ大きなニキビができてるのですが
なかなか治りません。
「食べ過ぎてるからだよー」と長女に言われる日々が続いてます。
あげくにこのニキビを押そうとするし。
最近スイーツ、控えめにしてたんだけどなー。
やっぱおいしいわ。止まんないわ。(笑)
自信もって答えられます。
「しない!」です。
そもそもが平和主義な私。
幸いなことに私のまわりもそんな人たちばかり。
本当にありがたいなー、って思います。
小学生のころからの旧友がいるのですが
その彼女とも長いつきあいの中でケンカはしたことありません。
「ケンカしないのはおかしい!
そんなの本当の友だちじゃない!」と豪語した中学時代の友人もいて
ケンカさせようとふっかけてたみたいですが
むしろそのめんどくさい友人のほうが逆に音信不通になっちゃいましたね。
「ケンカするほど仲がいい」、は私にはあてはまらないと思います。
もちろん子どものころはやっぱり妹ともケンカはしてました。
でもいつのころか、まったくしなくなりましたね。
ケンカしたあとに残るのはイヤな、重苦しい思いだけだから。
で、なんでケンカにならないのかなぁとぼんやり考えてみたのですが
そもそもが平和主義というのもあるでしょうが
おたがいに「思いやり」を持ってるからなのだろうなぁということに気づきました。
似たようなことばで「気遣い」というのがありますが
個人的には「気遣い」と「思いやり」とは違うような気がします。
で、どう違うのかと言われるとなんとなく・・・なのではありますが
・「気遣い」は気を遣うこと。
もともともっている自分のエネルギーを減らしてまでも
相手にその気を使ったり与えたりするイメージ。
自分の状態がゼロの状態で気を遣うからマイナス状態になる。
・「思いやり」はあふれでるエネルギー、余ってる自分のエネルギーをお裾分けしてるイメージ。
自分の状態がプラスの状態で思いやるからどんなに思いやりを与えてもゼロの状態。
自己犠牲をともなってるのが「気遣い」で
見返りを求めないのが「思いやり」、
そんな感じがするんですよね。
(※個人の感想です)
で、悲しいかな、私は気遣いのできない人間です。
反対に母は気遣いの人で、
同じレベルのものを求めてきます。
私も妹も気はきかないし、気遣いもできないので
しょっちゅう怒られてました。
(っていうかいまだに怒られる)
これはもう生まれ持っての才能だから
私にも妹にもその才はなさそうです。
だから私は気を遣われるのも気を遣うのもニガテなのです。
同じように上手に気を遣うことができないので。
同等の気遣いを返せません。
と同時に気を遣われる、というのは
それだけ相手に気を許してないんだろうなぁとも思います。
壁を感じます。
気を遣う関係というのはどこか息苦しい。
居心地がいいのはやっぱり気を遣わないでいい関係なんですよね。
だからやっぱり気のおけない関係というのはとってもありがたいのです。
基本、自由が大好きな私(自由すぎるけど)なので
気を遣わずにのびのびと自分を出せる相手というのはとってもありがたいです。
(↑少しは気を遣え!ということばが聞こえてこないでもないけど/笑)
気遣いせず、自然に思いやりを出せる関係、
それが理想だと思うし
そんな人たちが周りにいて幸せだな、と思う今日このごろです。
ま、「気を遣え!」と言われても
そんなことできない私なんですけどね。
ヘタに気を遣うとそのあとぐったりです。
物理的にも心理的にも壁のない世界、
それが幸せな世界なのかもしれませんね。
さてさて画像は昨日のおやつ。
シュークリーム♪
皮にザラメが少し使われてるのかな。
パリっ、ザクっとした食感がおいしい。
そしてなによりカスタードがとっても濃くっておいしいです。
最近スイーツ三昧なので
おでこに一つ大きなニキビができてるのですが
なかなか治りません。
「食べ過ぎてるからだよー」と長女に言われる日々が続いてます。
あげくにこのニキビを押そうとするし。
最近スイーツ、控えめにしてたんだけどなー。
やっぱおいしいわ。止まんないわ。(笑)