行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

烏鷺滝が仏について語る

2011年12月02日 | 禅の心
○キリスト教では、人間はキリストになることはできないが、仏教では、人間は仏になるのだ。これが、キリスト教と仏教の大きな違いである。

○仏教で、「人間が仏になる」と言っても、すぐにはなれない。

○塩水が人間、純水が仏とたとえよう。

○塩水をいくら水で薄めていったところで、純水になるわけではなく、塩水は塩水である。ただ、だんだんと純水に近づいていくだけである。

○人間がいくら修行を積んだところで、仏にはなれないが、仏に近づくことができるのだ。

○ただ、実在の人物の中で、仏になったのは唯独り、釈尊のみである。

○だから、仏教は「人間が仏になる」というよりも、「人間が仏に近づく」教えだと言った方がいいだろう。

○仏教徒は、とりあえず、仏様の真似をして生きるのだ。

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