行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

『自灯明、法灯明』

2012年03月13日 | 禅の心
『自灯明、法灯明』

自らをひかりとせよ 法をひかりとせよ

これは釈尊最後の教えです。つまり、他のものをよりどころとしてはならぬということなのです。実はこれが仏教の最大の特徴であり、仏教らしいところなのです。私は、このことを次のように解釈しています。「教祖とか、実力のある人間を崇拝するな」ということです。また、仏教には崇拝する「神」というものがない。神を崇拝しないのです。したがって、釈尊そのものも崇拝の対象ではなく、釈尊の悟られた、真理(法=ダルマ)と自分の中に輝き続ける光をよりどころにしなさいということです。鈴木大拙先生の有名なことば「依頼心を捨てよ」はまさにこのことを言っているのだと思います。
 自分自身が頼りないと、英雄的なものにあこがれたり、超人的なものに惹かれたりするものです。若い人が新興宗教の教祖様を崇拝したり、過激な発言をする政治家に群がるのはこのことだと思います。これはこれで悪いことではないと思うのですが、自分の頭で考えることなく、引き寄せられていくのは、危険なことです。
「自灯明 法灯明」は、簡単に言えば、「情報に惑わされず、自分の頭で考えなさい、宇宙に流れる真理に従って生きなさい」ということになりましょうか。
 自分の中に輝き続ける光と宇宙の真理(法=ダルマ)こそよりどころとするべきものなのです。
 光はどんな暗闇でも照らします。トンネルの奥でも井戸の中でも。自分の心の光を探し、見つめるのが仏教の使命なのです。キャンドルサービスのように、自分の心の中の光を隣の人に伝えていくのです。

このことを、詩人の高見順は、次のようにうたいます。

光は 声を持たないから 
光は 声で人を呼ばない
光は 光で人を招く

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