「仏様からの預かりもの」
仏教に限らず、宗教の考え方の一つとして、「無所有」とか「無所得」ということがあります。このように言いますと、社会主義や、共産主義のようですが、決してそうではありません。社会主義や、共産主義なら、財産は国家のもの、公のものなのですが、仏教では、自分のものはすべて仏様からの預かりものであると考えます。財産に限らず、自分の子どもも仏様からの預かりもの、自分の体さえも、仏様からの預かりものなのです。生きたくても死に、死にたくても生きているのは、自分では自分の体をどうすることもできないということなのです。自分の体でさえ、自分に思うようにならないのです。
獄窓の歌人と言われた死刑囚、島秋人の歌に、
身にもてるもの みな神に還すもの 生命(いのち)ひとつは愛(かな)しかれども
というのがあります。
誰でも最後には、自分の体さえも、神仏にお返ししなければならないのです。
わが子であれ、他人の子であれ、仏様からの預かりものだと思えば、接し方も変わってくるものです。
仏教に限らず、宗教の考え方の一つとして、「無所有」とか「無所得」ということがあります。このように言いますと、社会主義や、共産主義のようですが、決してそうではありません。社会主義や、共産主義なら、財産は国家のもの、公のものなのですが、仏教では、自分のものはすべて仏様からの預かりものであると考えます。財産に限らず、自分の子どもも仏様からの預かりもの、自分の体さえも、仏様からの預かりものなのです。生きたくても死に、死にたくても生きているのは、自分では自分の体をどうすることもできないということなのです。自分の体でさえ、自分に思うようにならないのです。
獄窓の歌人と言われた死刑囚、島秋人の歌に、
身にもてるもの みな神に還すもの 生命(いのち)ひとつは愛(かな)しかれども
というのがあります。
誰でも最後には、自分の体さえも、神仏にお返ししなければならないのです。
わが子であれ、他人の子であれ、仏様からの預かりものだと思えば、接し方も変わってくるものです。