『四門出遊』
若き頃のお釈迦様は、思索にふけって、何となく危うい感じがしました。それを心配そうに見ていたお父さんが、「東の門から出て、遊びに行ってきんさい」と言いました。お釈迦様は、お父さんに言われるように東の門から出て行きました。すると、一人の老人が歩いていました。お釈迦様は、おそばのひとに「あれは何かいのう?」と聞きました。おそばの人は「あれは、老人というものでごさいまする。みんな、あがあな姿になるのでございます。」と言いました。お釈迦様は愕然としました。次の日に、元気のないお釈迦様を見て、お父さんは「今度は南の門から出てみんさいや。気晴らしになるけえ。」と言ったので、お釈迦様は出てみました。すると、病気になって、よろよろ歩いている人に出会いました。お釈迦様は、おそばの人に「あれも老人かいのう?」と聞きました。おそばの人は「あれは、病人というものでございまする」と答えました。また次の日にはお釈迦様は西の門から出てみました。すると死者の葬列に出合いました。おそばの人に同じように聞くと、「あれは死者というものでございまする。人間は誰でも最期にはこのような姿になるのでございます。」と言いました。最後に、北の門から出てみると、立派な沙門(修行者)に出合いました。お釈迦様は「わしは、あがに、立派な出家者になりたいぞ」と言いました。
さて、この四門出遊のお話が語っているのは、人間には「老病死」がの苦しみがやってくるぞ。しかしこれが現実なのだ。「老病死」を迎える人間はどう生きたらいいのか。ということなのです。キリスト教文化圏では、老いや病、死といかに戦うのかと言うことを考えます。しかし、仏教は老病死をまっすぐに見つめることを勧めています。そして、どのように生きたらいいかを重要視しているのです。人間は、老い、病み、死ぬ存在だからこそ、充実した人生を送らなければならないのです。
若き頃のお釈迦様は、思索にふけって、何となく危うい感じがしました。それを心配そうに見ていたお父さんが、「東の門から出て、遊びに行ってきんさい」と言いました。お釈迦様は、お父さんに言われるように東の門から出て行きました。すると、一人の老人が歩いていました。お釈迦様は、おそばのひとに「あれは何かいのう?」と聞きました。おそばの人は「あれは、老人というものでごさいまする。みんな、あがあな姿になるのでございます。」と言いました。お釈迦様は愕然としました。次の日に、元気のないお釈迦様を見て、お父さんは「今度は南の門から出てみんさいや。気晴らしになるけえ。」と言ったので、お釈迦様は出てみました。すると、病気になって、よろよろ歩いている人に出会いました。お釈迦様は、おそばの人に「あれも老人かいのう?」と聞きました。おそばの人は「あれは、病人というものでございまする」と答えました。また次の日にはお釈迦様は西の門から出てみました。すると死者の葬列に出合いました。おそばの人に同じように聞くと、「あれは死者というものでございまする。人間は誰でも最期にはこのような姿になるのでございます。」と言いました。最後に、北の門から出てみると、立派な沙門(修行者)に出合いました。お釈迦様は「わしは、あがに、立派な出家者になりたいぞ」と言いました。
さて、この四門出遊のお話が語っているのは、人間には「老病死」がの苦しみがやってくるぞ。しかしこれが現実なのだ。「老病死」を迎える人間はどう生きたらいいのか。ということなのです。キリスト教文化圏では、老いや病、死といかに戦うのかと言うことを考えます。しかし、仏教は老病死をまっすぐに見つめることを勧めています。そして、どのように生きたらいいかを重要視しているのです。人間は、老い、病み、死ぬ存在だからこそ、充実した人生を送らなければならないのです。