今日は母校の定期演奏会でした。
結局行けた練習が4回かな?
少ないね。改めて言ってみると。
でも、最初に公言したくらいの回数ではある。
◇
うちの母校は4年に1回第九をやる習慣がある。
それが特殊なことなのかどうかと言われると、多分多少は特殊なこと。
或は、言い換えて考えたときには、伝統的に行われているイベントは
そのくらいであるという言い方もできる。
大学に在籍していたと仮定すれば10年目なんだけど
(この数字は現役の人から見たら凄いのだろうと思う)。
それと細く関係を持たせようと思う話をここから書こう。
(1)20年前
今日隣で弾かせてもらった方は20年近くチェロから離れて
お子さんが大きくなったことでまた復活するきっかけができたという
背景をもつ方だった。そして普段共演している大学の出身でもあり、
随分とブランクのあるOGさんだったことになる。
20年のブランクと言いながらも音はきちんと出ており、
人柄も社交的でありながら出過ぎないと言った感じで、
流石大人の女性だな、という感じだった。
俺は現役の下の子らに緊張感を与えない努力が足りていなかったので、反省。
レセプションまでの空き時間が長く、Macでお茶をご一緒させて頂いた。
"一旦ブランクがあると、渇望がやってくるんですよ"と仰っていた。
なんとなく、本来なら今の僕にはブランクを置く必要があるように感じる。
色々なものに流されたりしながらここまで続けてきたが、
渇望なんて感じたことは、多分ない。
(2)今
終演後に泣かないようにしているような不思議な表情をしていた
コンミスの娘。結局口をきく機会がなかったが、
どうせ俺のことだから"お疲れ様"くらいしか言えなかったかもしれないな。
コメント時は存外しっかりした声(内容よりも声)で虚を突かれた思いだったが、
へにゃるんとした笑顔はやっぱり学生の初々しい感じがあった。
(3)50年くらい前なのかな?
今回で演奏会の参加を最後にされることを決心なさったという
大御所も大御所の大先輩。大学のオケの創始者のメンバでもある。
普段の乾杯での挨拶でもそこからの差分でお話をされることの多いお方で
オケの成長を喜んで下さるコメントが一種の恒例ではあったのだが、
本日のお話は、"最後"という言葉から龍の尾が見えてしまったからなのか、
お話になっている内容はそれほど変わらないのだけど、
受け手である僕が感傷的な気持ちになって聞いた。
胸の熱くなるお話だった。
◇
(1)~(3)の人々のことを考えながら帰途に就いた。
オケの歴史に名を刻むほどではないが時間は経ち、
現役とは決して呼べないが若者のフリをしている。
今ぐらいの立ち位置がちょうど現役と歴史の狭間とでも言うべきタイミングであり、
自分たちの話が"昔話"として語られることになるのはいつだろうと思った。
もしそれが語られることがあるならば、それを聞いてて辛い気持ちになりそうだと思った。
◇
おまけ
一緒に現部長にビールを注ぎに行ってくれた2個下の部長には感謝している。
十何年ぶりにスキップをした。
結局行けた練習が4回かな?
少ないね。改めて言ってみると。
でも、最初に公言したくらいの回数ではある。
◇
うちの母校は4年に1回第九をやる習慣がある。
それが特殊なことなのかどうかと言われると、多分多少は特殊なこと。
或は、言い換えて考えたときには、伝統的に行われているイベントは
そのくらいであるという言い方もできる。
大学に在籍していたと仮定すれば10年目なんだけど
(この数字は現役の人から見たら凄いのだろうと思う)。
それと細く関係を持たせようと思う話をここから書こう。
(1)20年前
今日隣で弾かせてもらった方は20年近くチェロから離れて
お子さんが大きくなったことでまた復活するきっかけができたという
背景をもつ方だった。そして普段共演している大学の出身でもあり、
随分とブランクのあるOGさんだったことになる。
20年のブランクと言いながらも音はきちんと出ており、
人柄も社交的でありながら出過ぎないと言った感じで、
流石大人の女性だな、という感じだった。
俺は現役の下の子らに緊張感を与えない努力が足りていなかったので、反省。
レセプションまでの空き時間が長く、Macでお茶をご一緒させて頂いた。
"一旦ブランクがあると、渇望がやってくるんですよ"と仰っていた。
なんとなく、本来なら今の僕にはブランクを置く必要があるように感じる。
色々なものに流されたりしながらここまで続けてきたが、
渇望なんて感じたことは、多分ない。
(2)今
終演後に泣かないようにしているような不思議な表情をしていた
コンミスの娘。結局口をきく機会がなかったが、
どうせ俺のことだから"お疲れ様"くらいしか言えなかったかもしれないな。
コメント時は存外しっかりした声(内容よりも声)で虚を突かれた思いだったが、
へにゃるんとした笑顔はやっぱり学生の初々しい感じがあった。
(3)50年くらい前なのかな?
今回で演奏会の参加を最後にされることを決心なさったという
大御所も大御所の大先輩。大学のオケの創始者のメンバでもある。
普段の乾杯での挨拶でもそこからの差分でお話をされることの多いお方で
オケの成長を喜んで下さるコメントが一種の恒例ではあったのだが、
本日のお話は、"最後"という言葉から龍の尾が見えてしまったからなのか、
お話になっている内容はそれほど変わらないのだけど、
受け手である僕が感傷的な気持ちになって聞いた。
胸の熱くなるお話だった。
◇
(1)~(3)の人々のことを考えながら帰途に就いた。
オケの歴史に名を刻むほどではないが時間は経ち、
現役とは決して呼べないが若者のフリをしている。
今ぐらいの立ち位置がちょうど現役と歴史の狭間とでも言うべきタイミングであり、
自分たちの話が"昔話"として語られることになるのはいつだろうと思った。
もしそれが語られることがあるならば、それを聞いてて辛い気持ちになりそうだと思った。
◇
おまけ
一緒に現部長にビールを注ぎに行ってくれた2個下の部長には感謝している。
十何年ぶりにスキップをした。