球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

非人道的なことを味わう時間

2009-12-29 | 日常
人の想像力はたかが知れている、という考え方がある。
同じくらい、人の想像力には際限がない、という可能性論もある。

今日は警察の遺失物管理部も休みのようだったのでいよいよやることがなく、
先日から気になっていたみんなのトラウマゲーを引っ張り出し
"年末特別企画 トラウマゲー 臥薪嘗胆(?)"を実施することにした。

その中で残ったのが
 ・大貝獣物語(バイオベース)
 ・ゼノギアス(ソイレントシステム)
 ・天外魔境II(浜田村の豚汁など)
の3本なのだけど、どれも今から買ってやれるほどの入手性はなく
(お陰でゲーム屋に無駄に足を運ばせてもらった)
ゼノギアスのソイレントシステムの元ネタになる映画などを見ては、
その緑色の煎餅みたいなものを目にしながら
いかにもその人工物らしい趣に身の毛のよだつ思いがした。

いわゆる"残酷"かそうでないかという感覚というのは何によって磨かれるのだろうか。
少なくとも、CEROで規制することが好ましいとは思えない。



昔あった作品を愛で今あるものを評価できない懐古厨という言葉もあるものの、
自主規制によって表現の翼(それは醜いかもしれない)がもがれている現状を思い、
そういった意味では昔のストレートな表現を好むというのは
正しいことのように思えて仕方がない。




コメント (4)
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