気ままなピークハンターズの山旅

日本百名山の頂と風景や国内旅行を中心とした絶景を掲載致します

細尾峠(ほそおとうげ)、粕尾峠(かすおとうげ)日光市に跨る峠

2024-12-15 13:58:23 | 登山に通った峠道
こんにちは!
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は日光市に跨る細尾峠(ほそおとうげ)、粕尾峠(かすおとうげ)
を取り上げてみたいと思います

細尾峠(ほそおとうげ) 標高 1192m
渡良瀬川流域と鬼怒川流域の分水界にあたる峠





細尾峠(ほそおとうげ)は
古くは日光山の修行僧の峰修行の路として開かれ、
足尾銅山が発見され採掘が始まってからは、
往来が盛んになり銅山の発展とともに賑わった
明治時代になり、銅山の発展と共に道路が拡張され、
峠に停場が設けられ、荷物交換の行列で賑わったという
1890年には日本で最初の索道が峠の両側に架設されるが、
当時の足尾鉄道(旧国鉄足尾線・現わたらせ渓谷鐵道)の開通により
利用は衰退した
1936年には、自動車道として舗装・改修され足尾日光間の大幹線となり
国道122号となった
1978年に全長2,765 mの日足トンネルが開通 
これにより細尾峠ルートは国道指定を解除されたが、
現在でも旧道には数か所で国道標識が残されている

静かに佇む細尾峠(ほそおとうげ)

粕尾峠(かすおとうげ)
栃木県鹿沼市(旧上都賀郡粟野町)から、
同県日光市(旧上都賀郡足尾町)を結ぶ峠
標高1,100m 例年12月から3月にかけて積雪・凍結する

現在の峠道は栃木県道15号鹿沼足尾線が通っている
鹿沼市粟野地区の栃木県道32号栃木粕尾線の交点から
日光市足尾地区の国道122号足尾バイパス交点までが峠となっており
鹿沼市から日光市に抜けることができるが、急勾配・つづら折れが多く、
さらに狭隘な区間が多い
秋の紅葉シーズンなどは交通量も増え、見通しの悪い区間も多い 
鹿沼市と日光市の市境の場所で栃木県道58号草久足尾線と接する
この県道58号線から前日光牧場や古峰ヶ原高原へアクセスが可能である
また、沿線に粕尾川が流れており、
ここは渓流釣りが盛んで利用者の路肩駐車も多い

静かに佇む粕尾峠(かすおとうげ)


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金精峠(こんせいとうげ)日光市と群馬県利根郡片品村との境の峠

2024-11-24 14:20:35 | 登山に通った峠道
こんにちは!
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は栃木県日光市と群馬県利根郡片品村との境の
金精峠(こんせいとうげ)を取り上げてみたいと思います

初冠雪の日光側 金精トンネル出口付近

初冠雪の金精トンネル 栃木県日光市側

金精トンネル 栃木県日光市側 金精峠登山口
2024.11.07撮影 AM6:00頃、金精峠へ向かう予定であったが、思わぬ突風吹く気象と
初冠雪等の影響で2024m標高の金精峠へは断念する事になりました
登山装備が不十分で残念ながら諦めました 来年は必ず来たいと思っております

群馬県利根郡片品村側 金精トンネル

群馬県利根郡片品村側 金精道路 路面は凍結していました

金精トンネル 栃木県日光市側出口付近景観

金精トンネル 栃木県日光市側出口
金精峠(こんせいとうげ)は、
栃木県日光市と群馬県利根郡片品村との境にある標高2024mの峠
多くはその付近を指すが、山道の峠を金精峠と呼ぶ 周りを白根山、
男体山などの高山で囲まれる高所のため、
峠の標高は2000m超と高い 峠下には
国道120号の金精トンネル(全長755m)が、
標高1840mの高度を貫いている

金精トンネル 栃木県日光市側出口付近景観

金精峠(こんせいとうげ)登山口付近
峠下を貫く国道は国道120号であり、
日本ロマンチック街道の一部に属す
1965年に開通した道路はかつて有料道路(1995年無料化。普通車840円)であったことから
「金精道路」という名称がつけられており、
その名残りで金精トンネルの看板は現在も一般道路向けの青色のものではなく、
高速道路等の自動車専用道路で用いられる緑色のものである
日光側はいろは坂を登り、中禅寺湖、戦場ヶ原、湯ノ湖の先に位置し、
沼田方面の片品側は片品村役場から丸沼、菅沼を通った先に位置する
前後の区間には急なヘアピンカーブが続く場所もある
寒冷な高地で積雪が多く5月頃まで残るため、
峠近くはスノーシェルターで覆われ、
12月中旬から4月中旬までの冬季は完全閉鎖となる
たびたび付近で雪崩が起こるため、
春期に開通してからも一時通行止めになることがよくある

早朝7時前の戦場ヶ原

早朝7時前の戦場ヶ原と初冠雪の日光男体山

風雪が止み青空が現れた日光戦場ヶ原景観
初冠雪の日光白根山方面が見える

風雪が止み青空が現れた晩秋の日光戦場ヶ原景観
撮影 2024.11.07


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釜伏峠、塞神峠(さいじんとうげ)奥武蔵グリーンライン沿いにある峠

2024-09-09 16:18:20 | 登山に通った峠道
こんにちは!
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は大里郡寄居町と秩父郡皆野町の境界にある釜伏峠、
みかん山のある寄居町の風布付近にある塞神峠(さいじんとうげ)
を取り上げてみたいと思います

奥武蔵 釜伏峠
大里郡寄居町と秩父郡皆野町の境界にある標高539mの峠
釜山神社に隣接し、広い駐車場がある

釜伏峠付近案内図

釜山神社参道入口

釜伏峠付近 釜山神社参道入口景観

ひっそりとした釜伏峠景観

釜伏峠は、寄居の市街地の南西にある釜伏山の南東の尾根を越える峠で、
定峰峠・粥新田峠・二本木峠・塞神峠・葉原峠と同じ稜線上にある
展望は特にいいわけではないが、激しく折り返す道の様子、
急峻な山腹の風景、その中にある山村の雰囲気が楽しめる

釜伏峠は武蔵野から秩父盆地に入る峠で、
古くから秩父への往来の重要な交通路でした
この峠にはかつて関所が設けられ、
約10畳ほどの建物が明治期まで残っていましたが、
現在では、ひっそりと歌碑だけが立っています

釜伏峠にひっそりと建つ歌碑
歌碑「志乃ノ免(しののめ)の空まちか祢(ね)て旅人の者(は)
やく毛こ遊(ゆ)る釜伏の関 二位子爵時満」
作者時満、交野時万(カタノ トキツム1834-1913)とあるが
資料が見つかっていないとの事(埼玉県立久喜図書館)
実際は「明治元年、新田時萬氏建立になるもので」と記述があった
短歌の作者については、
(『山村と峠道 山ぐに・秩父を巡る シリーズ山と民俗 13』のp214に)

塞神峠(さいじんとうげ) 標高450m
古くから山萩の道とも呼ばれ、空青く晴れた日には遠く浅間山、谷川岳、赤城山などの
顔もうかがうことが出来るスポット
みかん山のある寄居町の風布は、
西側から南側にかけて500m級の尾根に取り囲まれている
それを越える車道の峠は3つあり、北から葉原峠、
この塞神峠、そして釜伏峠である
寄居町大字風布(ふうっぷ)は、元秩父郡で、氏邦の文書でその地名が初現になります
小田原から蜜柑を移植したと伝えられ、現在でも蜜柑狩りなどができます
また、集落中央を流れる釜伏(かまふせ)川の水源である
「日本水(やまとみず)」は、名水百選に選ばれています

長瀞八景 山萩の道解説板

ひっそりと佇む塞神峠(さいじんとうげ)


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神坂峠(みさかとうげ)古代祭祀の遺跡がある峠

2024-08-25 13:53:25 | 登山に通った峠道
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日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は木曽山脈南部の岐阜県中津川市と
長野県下伊那郡阿智村の間にある神坂峠(みさかとうげ)
を取り上げてみたいと思います

神坂峠(みさかとうげ)
神坂峠(みさかとうげ)は、木曽山脈南部の岐阜県中津川市と
長野県下伊那郡阿智村の間にある  標高1,569 mの峠
木曽山脈南部の主稜線の富士見台(富士見台高原である)と
恵那山との鞍部である 木曽川水系落合川支流の冷川と
天竜川水系阿知川の支流園原川との分水嶺となっている
岐阜県側からは林道大谷霧ヶ原線で峠までの
車両乗入れは可能であるが、
長野県側の峰越林道は崩落の危険がありゲートが設けられ
一般車両の通行が禁止されている

岐阜県中津川市山麓より神坂峠(みさかとうげ)へ向かう

岐阜県中津川市山麓より狭い林道を13K程進むと神坂峠に到着

神坂峠(みさかとうげ)付近の景観

神坂峠(みさかとうげ)の景観
左方向に恵那山登山口

神坂峠 恵那山登山口道標

神坂峠(みさかとうげ)の景観

車道より徒歩100m程で神坂峠(みさかとうげ)へ

神坂峠遺跡は、古墳時代の中期以降石製模造品を主体とする
峠神祭祀の場となり、また、奈良・平安時代以降は、
東海地方の須恵器・緑釉陶器・灰釉陶器の搬入路として、
これらの陶器類を主とする峠神祭祀の場となった
全国的にも数少ないこの種の遺跡の中にあって、
神坂峠遺跡は、古墳時代から古代・中世に及ぶ峠神祭祀の
実態をうかがうことのできる代表的な遺跡として
重要なものである
神坂峠の頂上からは、古代に祭祀で使用された
(滑石で作った鏡、刀子、剣、勾玉、臼玉、管玉、棗玉など)や
須恵器、土師器、灰釉陶器、鏡、刀子などが発掘されており、
神坂峠遺跡と言う 遺跡は1972年(昭和47年)に
全国初の峠祭祀遺跡として長野県史跡に指定され、
1981年(昭和56年)には国史跡に指定された
これらは現在阿智村の中央公民館に保管・展示されている

神坂峠は、古くは信濃国の伊那郡と美濃国の恵那郡(木曾谷)との境であった
古代において坂とは「峠」の意味であり、
東山道が通る交通の要所であり難所であった
その険しい道程から東山道第一の難所として知られ、
荒ぶる神の坐す峠として「神の御坂」と呼ばれた
神坂峠は、急峻で距離も長かったため、峠を越えられずに
途中で死亡する者や、盗賊が出ては旅人を襲ったとの記録が、
いろいろな古典に書かれている後に、
東山道(中山道)は神坂峠を避けて、
木曾谷を通るようになったため、神坂峠を越える者は減少した



神坂峠(みさかとうげ)付近の景観

神坂峠(みさかとうげ)周辺の案内図


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伊勢神峠(いせがみとうげ)お伊勢参りが出来る峠

2024-08-11 10:02:12 | 登山に通った峠道
こんにちは!
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は愛知県豊田市(旧足助町)にある伊勢神峠(いせがみとうげ)
を取り上げてみたいと思います

伊勢神峠(いせがみとうげ)
一番上の峠には中馬や善光寺参りの人々が往来した当時の道が残り、
その下には明治30年(1897年)竣工の伊勢神旧トンネルがあります
さらに昭和35年開通の国道153号には新トンネルがあり、
3代にわたる、道の歴史があります
なお、中馬街道の一部は、東海自然歩道となっており、
峠には江戸時代末期に設けられた伊勢神宮の遥拝所があります
(現在の遥拝所は再建されたもの)ここからは伊勢湾一帯が一望でき、
その眺めは素 晴らしい
また、ここには「南無大慈大悲観世音」と彫られた石仏や、
「八百比久尼」の伝説も残されています

伊勢神峠(いせがみとうげ)は、愛知県豊田市(旧足助町)にある峠

伊勢神峠(いせがみとうげ)の景観

伊勢神峠にある石仏群 馬頭観音

「八百比久尼」の伝説が記されています

「八百比久尼」碑

中馬街道の雰囲気を残す伊勢神峠

伊勢神峠(いせがみとうげ) 標高780m



伊勢神峠(いせがみとうげ)から伊勢神宮を拝するための遥拝所へ



伊勢神峠(いせがみとうげ)伊勢神宮遥拝所
伊勢神宮への参拝は庶民のあこがれでした
今のように交通機関も発達していない時代の神宮への参拝は大変なこと
そのため、日本各地に遥かはなれた
伊勢神宮を拝するための遥拝所が作られました

伊勢神宮遥拝所にあった苔むした水手洗

伊勢方面が美しく望めますと記されています

伊勢神峠(いせがみとうげ)伊勢神宮遥拝所

伊勢神宮方面に向けて拝礼しました

伊勢神宮遥拝所と記されています

標高は780メートル 東加茂郡(旧足助町)と
北設楽郡(旧稲武町)の境に位置し、
かつては飯田街道の難所だったが多くの中馬や善光寺への
参拝者がこの峠を往来した
古くは石神峠、石亀峠などと呼ばれていたが、
文久4年(1864年)に稲橋村(現・豊田市稲武町)
の庄屋・古橋家の6代当主であった古橋源六郎暉皃によって
伊勢神宮遥拝所が峠に設けられ、伊勢拝峠と改められたという

東海自然歩道伊勢峠周辺の案内図

中馬街道について記されています

1897年(明治30年)に標高705メートルの位置に
造られた現役の伊世賀美隧道
奥三河の山道を抜けると、
小型車一台がやっと通り抜けられそうな幅の道が現れる
豊田市明川町の「伊世賀美隧道(いせがみずいどう)」、
通称旧伊勢神トンネルは、
どこか時代から取り残されたような雰囲気が漂う
このトンネルの真上に伊勢神峠、伊勢神宮遥拝所があります

1960年(昭和35年)には標高640メートルの位置に造られた
国道153号(飯田街道)の伊勢神トンネル


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