気ままなピークハンターズの山旅

日本百名山の頂と風景や国内旅行を中心とした絶景を掲載致します

釜伏峠、塞神峠(さいじんとうげ)奥武蔵グリーンライン沿いにある峠

2024-09-09 16:18:20 | 登山に通った峠道
こんにちは!
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は大里郡寄居町と秩父郡皆野町の境界にある釜伏峠、
みかん山のある寄居町の風布付近にある塞神峠(さいじんとうげ)
を取り上げてみたいと思います

奥武蔵 釜伏峠
大里郡寄居町と秩父郡皆野町の境界にある標高539mの峠
釜山神社に隣接し、広い駐車場がある

釜伏峠付近案内図

釜山神社参道入口

釜伏峠付近 釜山神社参道入口景観

ひっそりとした釜伏峠景観

釜伏峠は、寄居の市街地の南西にある釜伏山の南東の尾根を越える峠で、
定峰峠・粥新田峠・二本木峠・塞神峠・葉原峠と同じ稜線上にある
展望は特にいいわけではないが、激しく折り返す道の様子、
急峻な山腹の風景、その中にある山村の雰囲気が楽しめる

釜伏峠は武蔵野から秩父盆地に入る峠で、
古くから秩父への往来の重要な交通路でした
この峠にはかつて関所が設けられ、
約10畳ほどの建物が明治期まで残っていましたが、
現在では、ひっそりと歌碑だけが立っています

釜伏峠にひっそりと建つ歌碑
歌碑「志乃ノ免(しののめ)の空まちか祢(ね)て旅人の者(は)
やく毛こ遊(ゆ)る釜伏の関 二位子爵時満」
作者時満、交野時万(カタノ トキツム1834-1913)とあるが
資料が見つかっていないとの事(埼玉県立久喜図書館)
実際は「明治元年、新田時萬氏建立になるもので」と記述があった
短歌の作者については、
(『山村と峠道 山ぐに・秩父を巡る シリーズ山と民俗 13』のp214に)

塞神峠(さいじんとうげ) 標高450m
古くから山萩の道とも呼ばれ、空青く晴れた日には遠く浅間山、谷川岳、赤城山などの
顔もうかがうことが出来るスポット
みかん山のある寄居町の風布は、
西側から南側にかけて500m級の尾根に取り囲まれている
それを越える車道の峠は3つあり、北から葉原峠、
この塞神峠、そして釜伏峠である
寄居町大字風布(ふうっぷ)は、元秩父郡で、氏邦の文書でその地名が初現になります
小田原から蜜柑を移植したと伝えられ、現在でも蜜柑狩りなどができます
また、集落中央を流れる釜伏(かまふせ)川の水源である
「日本水(やまとみず)」は、名水百選に選ばれています

長瀞八景 山萩の道解説板

ひっそりと佇む塞神峠(さいじんとうげ)


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神坂峠(みさかとうげ)古代祭祀の遺跡がある峠

2024-08-25 13:53:25 | 登山に通った峠道
こんにちは!
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は木曽山脈南部の岐阜県中津川市と
長野県下伊那郡阿智村の間にある神坂峠(みさかとうげ)
を取り上げてみたいと思います

神坂峠(みさかとうげ)
神坂峠(みさかとうげ)は、木曽山脈南部の岐阜県中津川市と
長野県下伊那郡阿智村の間にある  標高1,569 mの峠
木曽山脈南部の主稜線の富士見台(富士見台高原である)と
恵那山との鞍部である 木曽川水系落合川支流の冷川と
天竜川水系阿知川の支流園原川との分水嶺となっている
岐阜県側からは林道大谷霧ヶ原線で峠までの
車両乗入れは可能であるが、
長野県側の峰越林道は崩落の危険がありゲートが設けられ
一般車両の通行が禁止されている

岐阜県中津川市山麓より神坂峠(みさかとうげ)へ向かう

岐阜県中津川市山麓より狭い林道を13K程進むと神坂峠に到着

神坂峠(みさかとうげ)付近の景観

神坂峠(みさかとうげ)の景観
左方向に恵那山登山口

神坂峠 恵那山登山口道標

神坂峠(みさかとうげ)の景観

車道より徒歩100m程で神坂峠(みさかとうげ)へ

神坂峠遺跡は、古墳時代の中期以降石製模造品を主体とする
峠神祭祀の場となり、また、奈良・平安時代以降は、
東海地方の須恵器・緑釉陶器・灰釉陶器の搬入路として、
これらの陶器類を主とする峠神祭祀の場となった
全国的にも数少ないこの種の遺跡の中にあって、
神坂峠遺跡は、古墳時代から古代・中世に及ぶ峠神祭祀の
実態をうかがうことのできる代表的な遺跡として
重要なものである
神坂峠の頂上からは、古代に祭祀で使用された
(滑石で作った鏡、刀子、剣、勾玉、臼玉、管玉、棗玉など)や
須恵器、土師器、灰釉陶器、鏡、刀子などが発掘されており、
神坂峠遺跡と言う 遺跡は1972年(昭和47年)に
全国初の峠祭祀遺跡として長野県史跡に指定され、
1981年(昭和56年)には国史跡に指定された
これらは現在阿智村の中央公民館に保管・展示されている

神坂峠は、古くは信濃国の伊那郡と美濃国の恵那郡(木曾谷)との境であった
古代において坂とは「峠」の意味であり、
東山道が通る交通の要所であり難所であった
その険しい道程から東山道第一の難所として知られ、
荒ぶる神の坐す峠として「神の御坂」と呼ばれた
神坂峠は、急峻で距離も長かったため、峠を越えられずに
途中で死亡する者や、盗賊が出ては旅人を襲ったとの記録が、
いろいろな古典に書かれている後に、
東山道(中山道)は神坂峠を避けて、
木曾谷を通るようになったため、神坂峠を越える者は減少した



神坂峠(みさかとうげ)付近の景観

神坂峠(みさかとうげ)周辺の案内図


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伊勢神峠(いせがみとうげ)お伊勢参りが出来る峠

2024-08-11 10:02:12 | 登山に通った峠道
こんにちは!
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は愛知県豊田市(旧足助町)にある伊勢神峠(いせがみとうげ)
を取り上げてみたいと思います

伊勢神峠(いせがみとうげ)
一番上の峠には中馬や善光寺参りの人々が往来した当時の道が残り、
その下には明治30年(1897年)竣工の伊勢神旧トンネルがあります
さらに昭和35年開通の国道153号には新トンネルがあり、
3代にわたる、道の歴史があります
なお、中馬街道の一部は、東海自然歩道となっており、
峠には江戸時代末期に設けられた伊勢神宮の遥拝所があります
(現在の遥拝所は再建されたもの)ここからは伊勢湾一帯が一望でき、
その眺めは素 晴らしい
また、ここには「南無大慈大悲観世音」と彫られた石仏や、
「八百比久尼」の伝説も残されています

伊勢神峠(いせがみとうげ)は、愛知県豊田市(旧足助町)にある峠

伊勢神峠(いせがみとうげ)の景観

伊勢神峠にある石仏群 馬頭観音

「八百比久尼」の伝説が記されています

「八百比久尼」碑

中馬街道の雰囲気を残す伊勢神峠

伊勢神峠(いせがみとうげ) 標高780m



伊勢神峠(いせがみとうげ)から伊勢神宮を拝するための遥拝所へ



伊勢神峠(いせがみとうげ)伊勢神宮遥拝所
伊勢神宮への参拝は庶民のあこがれでした
今のように交通機関も発達していない時代の神宮への参拝は大変なこと
そのため、日本各地に遥かはなれた
伊勢神宮を拝するための遥拝所が作られました

伊勢神宮遥拝所にあった苔むした水手洗

伊勢方面が美しく望めますと記されています

伊勢神峠(いせがみとうげ)伊勢神宮遥拝所

伊勢神宮方面に向けて拝礼しました

伊勢神宮遥拝所と記されています

標高は780メートル 東加茂郡(旧足助町)と
北設楽郡(旧稲武町)の境に位置し、
かつては飯田街道の難所だったが多くの中馬や善光寺への
参拝者がこの峠を往来した
古くは石神峠、石亀峠などと呼ばれていたが、
文久4年(1864年)に稲橋村(現・豊田市稲武町)
の庄屋・古橋家の6代当主であった古橋源六郎暉皃によって
伊勢神宮遥拝所が峠に設けられ、伊勢拝峠と改められたという

東海自然歩道伊勢峠周辺の案内図

中馬街道について記されています

1897年(明治30年)に標高705メートルの位置に
造られた現役の伊世賀美隧道
奥三河の山道を抜けると、
小型車一台がやっと通り抜けられそうな幅の道が現れる
豊田市明川町の「伊世賀美隧道(いせがみずいどう)」、
通称旧伊勢神トンネルは、
どこか時代から取り残されたような雰囲気が漂う
このトンネルの真上に伊勢神峠、伊勢神宮遥拝所があります

1960年(昭和35年)には標高640メートルの位置に造られた
国道153号(飯田街道)の伊勢神トンネル


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国見峠(くにみとうげ)伊吹山系の峠

2024-07-30 11:43:02 | 登山に通った峠道
こんにちは!
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は滋賀県上板並地区と岐阜県春日美束地区の県境にある
国見峠(くにみとうげ)を取り上げてみたいと思います

伊吹山系にある国見峠(くにみとうげ)
国見峠(くにみとうげ、標高:840m)は
伊吹山系の北尾根に位置し、滋賀県上板並地区と
岐阜県春日美束地区の県境にあります
国見峠へのアクセスは、
滋賀県側の国見林道(工事や落石など通行止めに注意)と
岐阜県側の春日から国見スキー場を経て峠に至るコースがあります
現在滋賀県側の国見林道は道路崩落により通行止めです

国見峠の景観
石碑、祠、お地蔵様の豪華仕様の峠でした

国見峠之碑 平成6年12月国見林道開通記念

国見峠の景観 滋賀県側を眺める

国見峠(くにみとうげ)より眺める滋賀の百名山 伊吹山

国見峠に佇む祠と長寿大師像

国見峠に佇む石碑、祠、お地蔵様の豪華仕様の峠

峠ゲートから岐阜県北側展望 貝月山、鍋倉山方面を望む

国見峠の景観 滋賀県側を眺める

国見峠(くにみとうげ)より眺める滋賀の百名山 伊吹山

国見峠の景観

国見峠之碑

国見峠の碑文
国見とは太古の謎を偲ばせる言葉である
この峠道は近江と美濃を結ぶ歴史の間道であり、
塩と絹の道として往来する村人の暮らしの道であった
教如上人をかくまった鉈が岩屋は峠にも近く、
落ちのびた武将や子女の哀史は尽きない
また明治、大正期には伊吹の野麦峠でもあったのである
宮本武蔵が駆け抜けた峠、判団右エ門の大滝、
炭山村跡、さざれ石の伝説もある 
峠を下れば寝仏、尻まくり地蔵が、
訪れる人々に歴史の歳月を語りかけると記されています

現在滋賀県側の国見林道は道路崩落により通行止めです

国見峠の景観 滋賀県側を眺める

国見峠(くにみとうげ)より岐阜県側に下りてきました
これから愛知県にある伊勢神宮を遙拝できる伊勢神峠へと向かいました


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暗峠(くらがりとうげ)日本随一の酷道と言われる峠

2024-07-19 17:02:14 | 登山に通った峠道
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日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は奈良県生駒市西畑町と大阪府東大阪市東豊浦町との境にある
暗峠(くらがりとうげ)を取り上げてみたいと思います

暗峠(くらがりとうげ)は、奈良県生駒市西畑町と
大阪府東大阪市東豊浦町との境にある国道308号及び
大阪府道・奈良県道702号大阪枚岡奈良線(重複)の峠
古くは闇峠とも書かれた 標高455m

暗峠を通る暗越奈良街道は「日本の道100選」に選定されており、
峠頂部の石畳の道端には、日本の道100選の顕彰碑が置かれている

国道308号線として現役の道路
石畳の峠頂上にある標識 奈良県生駒市側

奈良県側から暗峠へ向かうと車幅1.8m、ロングボディーの車
通行不可と掲示

狭いシェードをくぐり暗峠へ
上部の車道は大阪府道・奈良県道702号大阪枚岡奈良線
上記車道から車で下りることは出来ません

暗峠頂上にある標識 大阪府東大阪市
頂上付近は国道には珍しい石畳道路
峠の頂上には小さな集落があり、現在でも営業している茶店もある
この付近の路面は江戸時代に郡山藩により敷設された石畳となっている
この50mほどあるコンクリート舗装の石畳のそばに
大神宮灯篭や往年の道標などが見られる
この石畳は、暗峠が急坂であることから、
参勤交代で殿様が乗った籠が滑らないようにするために
敷かれたものである
これは現在においても健在であり、
石畳の道路が国道に指定されている道は極めて稀である

暗峠頂上の景観
1694年10月27日(元禄7年9月9日)、
松尾芭蕉が奈良から大坂へ向かう途中
この峠を通ったこのときに「
菊の香に くらがり越ゆる 節句かな」という
重陽の節句にちなんだ句が詠まれたといわれる

暗峠(くらがりとうげ)
「暗がり」の名称の起源は、樹木が鬱蒼と覆い繁り、
昼間も暗い山越えの道であった説や、
「椋嶺峠」が転じた説、「鞍借り」、「鞍換へ」が訛って
「暗がり」となったとする異説もある
上方落語伊勢参宮神乃賑の枕では、
「あまりに険しいので馬の鞍がひっくり返りそうになることから、
鞍返り峠と言われるようになった」と語られている

暗峠から奈良県生駒市方面の景観



峠の頂上には小さな集落があり、現在でも営業している茶店もある

上部の車道は大阪府道・奈良県道702号大阪枚岡奈良線
車で峠に下りることはできませんが、ガードレール下に
人がやっと歩ける細い小道有り

暗峠を奈良県生駒市に下りてくると集落があります

暗峠付近より眺める奈良県生駒市の景観


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奈良県ビジネスホテルに宿泊し翌日早朝、関ヶ原古戦場へ向かいました
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