こんにちは!
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は日光市に跨る細尾峠(ほそおとうげ)、粕尾峠(かすおとうげ)
を取り上げてみたいと思います
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細尾峠(ほそおとうげ) 標高 1192m
渡良瀬川流域と鬼怒川流域の分水界にあたる峠
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細尾峠(ほそおとうげ)は
古くは日光山の修行僧の峰修行の路として開かれ、
足尾銅山が発見され採掘が始まってからは、
往来が盛んになり銅山の発展とともに賑わった
明治時代になり、銅山の発展と共に道路が拡張され、
峠に停場が設けられ、荷物交換の行列で賑わったという
1890年には日本で最初の索道が峠の両側に架設されるが、
当時の足尾鉄道(旧国鉄足尾線・現わたらせ渓谷鐵道)の開通により
利用は衰退した
1936年には、自動車道として舗装・改修され足尾日光間の大幹線となり
国道122号となった
1978年に全長2,765 mの日足トンネルが開通
これにより細尾峠ルートは国道指定を解除されたが、
現在でも旧道には数か所で国道標識が残されている
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静かに佇む細尾峠(ほそおとうげ)
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粕尾峠(かすおとうげ)
栃木県鹿沼市(旧上都賀郡粟野町)から、
同県日光市(旧上都賀郡足尾町)を結ぶ峠
標高1,100m 例年12月から3月にかけて積雪・凍結する
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現在の峠道は栃木県道15号鹿沼足尾線が通っている
鹿沼市粟野地区の栃木県道32号栃木粕尾線の交点から
日光市足尾地区の国道122号足尾バイパス交点までが峠となっており
鹿沼市から日光市に抜けることができるが、急勾配・つづら折れが多く、
さらに狭隘な区間が多い
秋の紅葉シーズンなどは交通量も増え、見通しの悪い区間も多い
鹿沼市と日光市の市境の場所で栃木県道58号草久足尾線と接する
この県道58号線から前日光牧場や古峰ヶ原高原へアクセスが可能である
また、沿線に粕尾川が流れており、
ここは渓流釣りが盛んで利用者の路肩駐車も多い
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静かに佇む粕尾峠(かすおとうげ)
最後まで御覧頂きありがとうございます
次の投稿までご機嫌よう
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は日光市に跨る細尾峠(ほそおとうげ)、粕尾峠(かすおとうげ)
を取り上げてみたいと思います
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細尾峠(ほそおとうげ) 標高 1192m
渡良瀬川流域と鬼怒川流域の分水界にあたる峠
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細尾峠(ほそおとうげ)は
古くは日光山の修行僧の峰修行の路として開かれ、
足尾銅山が発見され採掘が始まってからは、
往来が盛んになり銅山の発展とともに賑わった
明治時代になり、銅山の発展と共に道路が拡張され、
峠に停場が設けられ、荷物交換の行列で賑わったという
1890年には日本で最初の索道が峠の両側に架設されるが、
当時の足尾鉄道(旧国鉄足尾線・現わたらせ渓谷鐵道)の開通により
利用は衰退した
1936年には、自動車道として舗装・改修され足尾日光間の大幹線となり
国道122号となった
1978年に全長2,765 mの日足トンネルが開通
これにより細尾峠ルートは国道指定を解除されたが、
現在でも旧道には数か所で国道標識が残されている
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静かに佇む細尾峠(ほそおとうげ)
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粕尾峠(かすおとうげ)
栃木県鹿沼市(旧上都賀郡粟野町)から、
同県日光市(旧上都賀郡足尾町)を結ぶ峠
標高1,100m 例年12月から3月にかけて積雪・凍結する
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現在の峠道は栃木県道15号鹿沼足尾線が通っている
鹿沼市粟野地区の栃木県道32号栃木粕尾線の交点から
日光市足尾地区の国道122号足尾バイパス交点までが峠となっており
鹿沼市から日光市に抜けることができるが、急勾配・つづら折れが多く、
さらに狭隘な区間が多い
秋の紅葉シーズンなどは交通量も増え、見通しの悪い区間も多い
鹿沼市と日光市の市境の場所で栃木県道58号草久足尾線と接する
この県道58号線から前日光牧場や古峰ヶ原高原へアクセスが可能である
また、沿線に粕尾川が流れており、
ここは渓流釣りが盛んで利用者の路肩駐車も多い
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静かに佇む粕尾峠(かすおとうげ)
最後まで御覧頂きありがとうございます
次の投稿までご機嫌よう
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