落語に「あたま山」という噺があります。
ある男が落ちているサクランボを拾って種ごと食べたところ、翌日頭に桜の木の芽が生えた。
芽はみるみる育って、周囲八尺もあろうかという桜の大木に成長。
これが近所の評判になり、男の頭の上で花見をやらかす。
茶店を出す奴、酔っ払って滑り落ちる奴、しまいには頭に穴を掘って火を焚き酒の燗をつける奴。
これはたまらんというので、男は根元から木を引っこ抜いた。
ところが抜いた後の大穴に水が溜まり、大きな池になった。
鮒や鯰や鯉がわいて、今度は釣り師が押し寄せた。釣り船まで出て大騒ぎ。
つくづく嫌になった男は、自分の頭の池に身投げをしてしまった。
考えてみればシュールな内容です。自分の頭の池に身投げをする。
元になった小噺は、18世紀には存在していました。
鎖国の中で江戸の人たちは、こんな噺を楽しんでいたのです。
ところでこの「自分に身投げ」、ただのホラ話と思いきや、数学の大命題のひとつといえます。
自分に身投げをするには、人間を裏返さないといけない。
つまり人間の表面(皮膚)を「表裏の区別がない閉じた曲面」にする必要があるのです。
これはトポロジー(位相幾何学)の概念が必要で、多くの数学者が頭を悩ませてきました。
「クラインの壷」は曲がりなりにもそれを実現したものです。
そもそもトポロジー自体が18世紀頃に生まれたもので、江戸の庶民が知るはずもありません。
いつもいっている事ですが、江戸の人たちの精神世界は現代人より豊かだった。
20世紀は「文明」はめざましく発展しました。江戸とは較べものにもなりません。
しかし「文化」は、大きく衰退してしまったといえるのではないでしょうか。
ある男が落ちているサクランボを拾って種ごと食べたところ、翌日頭に桜の木の芽が生えた。
芽はみるみる育って、周囲八尺もあろうかという桜の大木に成長。
これが近所の評判になり、男の頭の上で花見をやらかす。
茶店を出す奴、酔っ払って滑り落ちる奴、しまいには頭に穴を掘って火を焚き酒の燗をつける奴。
これはたまらんというので、男は根元から木を引っこ抜いた。
ところが抜いた後の大穴に水が溜まり、大きな池になった。
鮒や鯰や鯉がわいて、今度は釣り師が押し寄せた。釣り船まで出て大騒ぎ。
つくづく嫌になった男は、自分の頭の池に身投げをしてしまった。
考えてみればシュールな内容です。自分の頭の池に身投げをする。
元になった小噺は、18世紀には存在していました。
鎖国の中で江戸の人たちは、こんな噺を楽しんでいたのです。
ところでこの「自分に身投げ」、ただのホラ話と思いきや、数学の大命題のひとつといえます。
自分に身投げをするには、人間を裏返さないといけない。
つまり人間の表面(皮膚)を「表裏の区別がない閉じた曲面」にする必要があるのです。
これはトポロジー(位相幾何学)の概念が必要で、多くの数学者が頭を悩ませてきました。
「クラインの壷」は曲がりなりにもそれを実現したものです。
そもそもトポロジー自体が18世紀頃に生まれたもので、江戸の庶民が知るはずもありません。
いつもいっている事ですが、江戸の人たちの精神世界は現代人より豊かだった。
20世紀は「文明」はめざましく発展しました。江戸とは較べものにもなりません。
しかし「文化」は、大きく衰退してしまったといえるのではないでしょうか。
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