今月は日本映画専門チャンネルで、伊丹十三の全作品を放映しています。
しかも「天皇の世紀」まで流すという、ずいぶんな力の入れようです。
てめえらの勝手な理屈で伊丹十三を殺した創価学会は存在そのものが地獄に堕ちるでしょうが、存命時に伊丹十三は、再三いっていました。
「映画は、撮影と現像が終わってからがおもしろい。あとはよくなるばかりで、悪くなる要素がひとつもない」
たとえば北野武のように「事前の台本は薄っぺらで、現場で猛烈な才能を発揮する」タイプの監督もいますが、逆に伊丹十三は徹底的に事前の作り込みを構築する、黒澤明タイプです。
さすがに黒澤のような「あそこの家、じゃまだな。壊せ」という無茶はいわなかったようですが。
で、この特集は今月のもので、いま「お葬式」が終わり、次の日曜は「マルサの女」「マルサの女2」が流れるというタイミングです。
ひなまつりの日に流れたのは「タンポポ」です。
私、この映画、大好きなんですよ。
私はもともと小食な上、めんどくさいと何日も食事をしないこともあります。
空腹というものを、めったに感じないんですね。
本能の部分が欠落してるのはまずいと思うのですが、治療でどうなるものでもないし。
ビタミンのサプリの世話にはなっているものの、すでに体はもうぼろぼろだと思います。
で、この「タンポポ」。
ご存知のとおり、たまたま立ち寄ったラーメン屋の主(宮本信子)に「弟子にしてください、この店を一流のラーメン屋にしたいと思っちゃったんです、お願いします」と乞われ、主人公(山崎努)がそれに尽力する物語です。
時には頼み、時にはなりゆきで、先生(スープ担当)、正平(麺担当)、ビスケン(内装担当)が加わってプロジェクトチームが店を改善していきます。
まさに行列のできる店になった日、彼等はさりげなく、ちりぢりに去って自分の元の居場所に帰っていきます。
演出としては「シェーン」に近い位置づけといえるでしょう。
私はこの映画で、いつも、あることを思い出します。
おそらくテレビ創世記のことでしょう。
父が、熱く語ってくれたのです。すばらしい番組のことを。
国宝級の寺を、修復することになった。
国から依頼された、宮大工。相手(寺)のあまりにひどい現状と、修復に要するあまりに膨大な職人技に直面した。
彼は、修復にかかる前に、老骨に鞭打って全国を訪れ始めた。
「お前さん、あの寺を直すのに、手を貸してくれないかね」
スカウトキャラバンです。全国の宮大工に声をかけたのです。
もともと日本の古代建築てものは、いまの土建屋が総力かけても手をつけられないノウハウの、集大成です。
田舎の辻堂を修復してほしいと思っても、何々建設や何々工務店では、どう触っていいものか、何もわからないのです。
いにしえの匠の技を伝承した、宮大工にしか触れられない代物です。
日本中の匠を集めたプロジェクトチームは、寺の修復にかかりました。
イチローが9人いるようなチームです。倒せない敵などどこにもいない。
寺はまさに、いにしえの匠が建造した当時と同じものを、再現しました。
そして落成の日。
彼等は「達者でな」とことばを交わし、何もなかったかのように、それぞれの故郷に帰っていきました。
番組のラストは、呼びかけた宮大工の、杖をつきながら歩く後ろ姿で、終わっていました。
いや、私は、観てないんですよ。
父に聞かされて、まるで自分が観たかのように、一発で刷り込まれてしまったのです。
余韻を楽しむ、あるいはそれをきっかけに知古になる、てのは誰でもやってることです。
しかし世の中には、ものすごいことをなしとげて、何もなかったかのように「当たりめぇだろこれくらい」と、振り返りもせずに去っていく人が、いるのです。
きょうびの「つながりたい」を求めたがる連中には想像もつかない、美学です。
「タンポポ」は、序盤の納豆や味噌汁や糠漬けの朝食の場面をはじめ、「何も食いたくないときはこれを観る」私のサプリメントのような存在であると同時に、いまの時代にはほとんど忘れられた大切なものを思い出させてくれるものでもあるのです。