立川談志は常々「ふとしたやまいで死にたい」といっていました。
まさかその談志が癌であっちに行くとは思いませんでしたけど。
まあその話を始めると長くなるので、今回は「ふとした」話を。
ひょんなことから(「ふとした」じゃねえのかよっ)、うちに 32 型のテレビがやってまいりました。
これまで 20 型のデジタル非対応・画面 4×3 のテレビを使ってまして、画面はもちろん上下に黒い帯が入り、昔の番組などはさらにそこから左右が切られる、実質的には 16 型になる。
さらにチャンネルと番組によっては、その上下左右を切られた上に横長画面として上下を切られる、ほとんどカーナビで観ているような状態になりました。
私は放送局で扱う大元の素材、つまり最高画質のものを知っている人間なんで、家庭では「観られればいい、画質なんぞはそこそこでいい」んです。
どうせ高画質デジタル放送なんていっても、電波に乗せる段階で圧縮してますからね。完全に同じものなんぞ最初から無理です。
CD はノイズがなくて高音質ってのも、超高域をフィルタでカットしてますから、入っている音の豊かさはアナログレコードのほうが上なのですよ。
デジタル放送は「切り捨てる+圧縮」で、もともとが不完全なものなのです。
それはさておき、この新参者をここでは仮に「びえらくん」と呼ぶことにしましょう。
こちとら 100 型のモニタも仕事で扱ったことがあるから、びえらくんが家にきた時点では「あら、さほど大きくないな」。
プロ機材の配線も仕事でやってたから、設置までサービスというのをやんわり遠慮いただいて、自分で箱から出して設置し配線しました。
何の問題もなく、画面に番組が。うむうむ、うい奴じゃ。ほめてつかわす。
ところが。NHK のニュースが流れたとき。
で、でけぇ。
画面がでかいのは当たり前。字がでかい。
これまで字が小さいのに悩むというか、最近は局が「あれぇー、大きいテレビ持ってないんですかぁー」といわんばかりの、ごま粒のようなテロップを多用するので、最初から読むことを放棄して感覚的に観ていたのですよ。
それが読めるようになったのは、とてもうれしいです。
でもニュースの文字が、めちゃくちゃ、でかく感じます。
なんか、何でもないニュースが、とんでもなく重大なことのように思えてしまいます。
びえらくんで観ると、日本のどこかのコンビニに強盗が入ったことも、日本のどこかの花が咲いたことも、まるで地球の終末であるかのように「これでもかっ」と画面から自己主張してくるのです。
マヤの暦が終末だと思い込んだ連中と似たような精神状態に、なってしまうということですね。
画面の大きさにも画質にも、半日で慣れました。
でもこのニュースの字がでかいことは、慣れるのにしばらく時間がかかりそうです。