2025/04/17
夕陽に透ける花はその光を受けて、いつもは見せない葉脈や花脈を見せることがあるから、とても好みなのですよ、
ぉひとも同じ、見せなくていいのなら見せなきゃそれでいい、見せたいのなら透かしてもいいという趣向があって、私も
時折り「そこまで書かなくても~」という事を書いたりして、そして削除して、また書いたり、この遊び(私にとっての)
は実に私には合ってるんですよ、それがなくなったらどうなっちゃうのかしら?よく手順を読んで移転を試みよう!
以前も plala から goo へと試みて何とかなったんだし、80 の勢いにのっかってやってみよう、先ずは日数がたっぷりある
ので皆さんの狭間をス―――ッとね、目標があるっていいことだから歳に臆せずやってみますわ、80 の勢いって侮れない
花は人の心を優しく宥めて難解な出来事をも「まあ、いっか ̄ ̄ ̄ ̄」と思わせてくれるからいい、人生なんて思い通り
にゆく方が稀、それならば身に起こった事柄を、自分に都合のいい(この表現は今までは得手じゃなかった)方向へ無理
やりにでも運んじゃおう!と思って動いた方が利口じゃない?
利口ならこんなことを思わなくてもいいんだけれど、生憎、自分が思ってたより限りなくぉバカに近かった、から、こん
な風にグチャグチャしてたわけで(笑)
私が母を介護しておくった時と今は全然違う世の中になったのだと実感した、そこには想像を超えた家族形態も増えて、
今までなら、ただただ介護を実践してればよかったけれど、その複雑な人間関係がますます増えてるようだから尚更、
一言で”介護” だけじゃ済まされない現状となったようだ、
子の年代で既に介護の状況で暮らしてるぉひとが多いと、子は改めて知ったらしい、以前、子の友達が、私が介護でこの
家を空けてる時に、行き逸れた男子がこの家で同居してた、
行儀もよく礼儀正しく何より言葉遣いは丁寧で、靴は揃えて、私の勝手な基準に合っていた、”俺様” はそりゃぉひと様には
親切この上ないので、申し分なくぉ世話してた、私はこういう一面もあるのね?と見直した位だから、私にだけ不親切と
そしてその母ごは限りない感謝の心配りをなさって恐縮した「お知り合いでもない(その母ごと私)のに感謝です」って
その男子は介護関係の仕事に就いた、嫁は貰ったけれど、嫁ごの実家には介護をしなきゃならないご両親がいて、その、
嫁ごのお姉さまは嫁ぎ先から実家にお戻りになり、別棟・敷地内でお過ごしのようで、男子の嫁ごは通いで実家の家事を
熟して、その男子の処へは偶にしか帰って来ないという、それが「寂しいよ ̄ ̄ ̄」と、子に伝えたようだ、
「独身に戻ったようだと思って今度飲もうぜ」となったらしいから、私も大賛成だよ、いくら何でも私がしゃしゃり出る
なんてことはしませんよ(笑)
そして介護職のその男子・友を頼もしく思い、これから先の私ら夫婦の介護について相談に乗って貰う事にしたらしい、
私は介護してたしてた!と大騒ぎしてたけど、介護されるであろう立ち位置に 80 にして立っちゃった!という感じがした
「みんな大変なんだよと思ったら自分だけが大変じゃない、2F と1F に居る位なら然程の難題でもないんだと思った」と
爽やかに子は言った(´∀`*)ウフフ もつべきものは子にも友達です、
今、家の周りに咲いてる(鉢も含めて)花を改めて採り上げてみたら、いいですね~これ手仕事ですから
80 を一日越えたら何かこころの変化があるのだろうかと内心、危惧してたところが、その勢いは増すばかりで、この花の
様子のように可能性の花盛り(笑)
嫁に来て 50 年ですから、そりゃ誰にでもあるような事は大概、経験はして「もう~実家に帰っちゃおう」と思った事も
何度もありますよ、ハイ!
でもね、一度、母親になっちゃったからには自己肯定ばかりじゃ、そりゃ我儘気儘な私とて出来ませんでしたよ、それを
決断力が無いと言うなら言って下さいよ、 食事ですので後ほど つづく
goo 様には随分お世話になりましたけど plala からのお引っ越しの際も何だかんだと言いながら零れ落ちてしまった記事
もあり、当時は災害や事件、事故の度に、これを書いてていいのかと苛まれ削除して、幾度も繰り返した、
今回も無事に移動できるか否かは分からないので、もう書きたい事は、縦しんば品格を問われようとも書いておきたい、
その時には母も介護ベッドで過ごしてて、デイやショートを繰り返し、何とか最後まで成し遂げて、母 100 (享年 101)
コロナ直前の最後の葬儀で、あのエリアでは当然のように、しかも相応しい年齢だったので、花花花花と親族もはや私の
友人知人と思い残すことなくおくれて私にはこの上ない好みの葬儀だった、葬儀に好みがあるのかい?と逆質されそうだ
けど、母の色々な、娘の私にさえ分からなかったであろう思いを、果たして汲んであげられたのかは疑問の余地はある処
ではあるけれども、出来る限りの思いを込めた積もりではいた、
それを「自己満足だ」と言い捨てた”俺様” の心無い言葉には私は鉄槌に打たれた気がした、更には、姉妹でも思いは違い
介護から葬儀までウン十年の日々を、私にいわせりゃ「素通り」しておきながら、それぞれの連れの言葉に迎合したか、
或いは本音かは今となっては想像の域だけれど、もし、母親がその介護担当責任者(手を挙げた私ですよ)以外の立ち
位置にある妹達に何か、私には言いにくい言葉を遺したとしても、今までの私ならそれを苦に病み、糺すこともしたに違
いない、今もその思いは時おり頭の隅(まあ、頭脳の容量が多いか少ないかは知らねど (´∀`*)ウフフ)に突如、わくのよ
仕方がないじゃない、だったら「介護は出来なかったから葬儀は私らでするから、ぉ姉さん、任せて頂戴!」くらいの
セリフを思いつかないんだったら、希望があったなら、そんなに大袈裟にしなくとも、とでも言っても良かったのよ、
何も意見も言わず、渋々参列しておきながら、それぞれの連れの不満もハッキリ覚えてますよ、よもやここに書くなどと
いう不調法な事はしませんけど、その一言一言は思い起こせば腹が立つ(笑)
喧嘩上等!好きですよ、喧嘩も出来ない様じゃ親族とは言えますまいよ、ならば、私が他から又聞きするような状況に
しないで、ドンッとかかっておいでなさい、まだまだ母から聞いたことは残っています、
言わないだけよ、それはぉ他人じゃなくて”姉妹” という現実と、どうしても確認しとかなきゃならない事もあるのでね、
楽しみにするか、はたまた恐らくは自身が見えない形相となるかは知らねど、父と母の子らは私達3人であって、それぞれ
の連れ連れ連れが口を出してはならない範疇のことなのだよ、親が教えていかずともそれ位は解るでしょうや?
同じ親の子なんだから、あーースッキリ! の途中ァハハハ 「時には自身の歩んできた経路を振り返りなさい」
2025/04/15
都に嫁に来て都はそれ程居心地は良くはなかったけれど、始めちゃったことだし、全うしなきゃ私の主義主張に反する、
ので”都忘れ” の爽やかさに肖りたいと頑張ってきてよかったわ、
都がイケないのではない、私ら夫婦のアンバランスが招いた結果だとは知りながら、しかも私のミスも含めて”俺様” の
身勝手のみに、不仲の原因の一端を被せていたことは、私の生き方の根本を思えば、認める潔さは必要だと、
それより何より、ぉひとの生来の根性はそうそう安易に変わるものじゃないと手を退いた、
「下手な考え休むに似たり」と亡父が言ってたので、その通りだと思えないわけじゃないから、その法則にしたがう事に
した、執着心は或いは無駄な事が多い、変わりもする筈がない”俺様” 相手に、崇高なる精神と深い愛情の無駄遣いはNG!
という気になれたのは 80 という年齢のなせる技、業と心得て、というより心得られる時を得た、
いいじゃないですか?長きに渡り、筆舌に尽くしがたい事を経験として、遣り過ごしたことが現在の私の達成感に繋がる
のならば、気にも留めずに私は言わないけれど「なさりたいようになされば」と、
無視を決め込んだ私のどこが間違いなの?期待外れの奇想天外な言葉しか返ってこないなら言葉は~要らない~♬
”俺様” からの卒業だよ、卒業(´∀`*)ウフフ
2025/04/15
清々しい 80 歳の朝を迎えられるとは思ってはいなかった、80 年前の朝私は母方実家の防空壕で生まれた(伝聞だけど)
そして祖父に命名されて私は生き始めた(らしい、)
だってオナゴとして家事育児介護を熟し疲れ果てての引き籠り、それも4年ほどの日々を要したので、そんな簡単に
「80 年生きましたよ!」なんて言う思いに駆られるとは思ってもいなかった、昨夜は子も”俺様” も早々に自室に戻ったの
で、私がその先にしたい事は解ってたので遠慮したか?子は翌朝早いから、それは十分な睡眠の為、当然といえば当然だ
けど”俺様” は居座ってるのが通常だというのに、私に迫力あり過ぎたので這う這うの体で居間を後にした、毎日、そうし
て私に自由をくれよと言いたい、一日中、わたしは2F に追いやられてるのだ、
歳のせいばかりじゃないだろうけれど清々した気分が好もしい、あれこれどれそれ思い悩んでて、けれど動かないでいた
歯痒い気分でスッキリしないで、どれをどのように片づければいいかが決められず、やりきれない思いに引きずられてた
それがどうでしょう? たった一つ、 80 になった!というだけで、じっくり考えればいいやと思えるようになったには
幼馴染の U ちゃんの一言「Pちゃん、7回忌までに片をつけりゃいいよ、私はそうした、そして兄弟姉妹の意向はそれとし
思い通りに、好きなようにすればそれで宜し、得をしようなんて思わずに、皆に平等に、欲がそうさせるかもしれない
揉め事に心を砕く事なんてない!まだ2年あるじゃないのさ」その幼馴染の実体験に基づく言葉にスー―ッと軽くなった、
ぉ人の意見には一つとして無駄はない(´∀`*)ウフフ
続続最後から二番目の恋
これが楽しみだった、リアルで観なきゃやはり、折角の折りだったので、後片付けを早めにして、ワイングラスに日本酒
を程よく注いで、待ちましたよ、変わらない方々に感動して、和平&千秋の洒落た会話を楽しんだ、
オトコとオナゴの友情は成立するかと問われれば、私は成立すると思ってるからかもしれないけど、嫌いじゃどうしよう
もないわね(笑)以後、今まで以上に歳の設定が近いから、実感できる部分もあるだろうから楽しみ🌹
テレビ界が乱れに乱れ、脚本家や原作者や視聴者の意はそっちのけでにぎわってる、た、と言った方がいいかな?
そのせいで〇○テレビには出ません!とか観ません‼とかアンチがあふれかえり、テレビ界は崩壊かとまで揶揄された、
なんたってオトコが悪い、そりゃ立場や保身を考えれば”烏合の衆” でいた方が安心だ、でもそれじゃおかしいでしょう?
だって報道の意義はどうしたの?安易な混乱模様に悪ノリ(そんな言葉じゃ片づけられない)して、法に反する処まで
進めておきながら「知ったこっちゃない!」とばかりに勇んで逃げるんですか?そんなんじゃ報道に携わるるんじゃない」
2025/04/15
先ずは自分の 80 歳記念のバースディの率直な感想を、人生の通過点と思えば、切り戻しの花が、やはり 80 って出直しの
拠点に至ったということで、それほど大袈裟な事をしたわけじゃなく専業主婦でしたので、
(『嫁になる前・23~28の常勤』+『介護の時・58~60の非常勤』+『私塾+赤ペンのバイト』)の合間の”俺様”の言う
”時間つぶし” なんてひどい表現だと思いません?それで子らの進学に寄与できたと思ってるㇵハハハ 子が言ったの
だから間違いはないでしょう、¥額までハッキリ言ってましたので、それはそれで寄与の一端には違いないでしょ?
仕事などと大仰に言えた義理じゃないけど、専業主婦をもう少し認める世の中になって欲しいので、敢えて控えめながら
相応しいと思うので家の周りの花で、花屋に行けばもうちょっとは派手な花を買うかもしれないので、今はこれで、早朝
だし、意気揚々とした 80 フェスを迎えた!
そしてディーンさんや(ドラマ・対岸の家事)”俺様”は専業主婦を揶揄して、どうしても認めたくないようだから、けど
仕事はしたので、ぉひとにいわせりゃ、それ位の職歴じゃ敢えて書き出すほどの事もないと言うかもそれないけれど、
親に貰った資格を無駄にしなかった事を記録して感謝したい、なんたって心の中に一時も離れない拘りだったから、
そしてその時は今と違って職場の雰囲気はギスギスしていなかった、上司に苛められる事も脅される事もなかったし、
仕事が終われば、家の前を通過して飲み屋に皆で繰り出して、飲んで歌って一人でタクシーで帰ってた、送って貰うとか
という借りも殆ど作らず、会計もきっちり男女平等に支払って(これは父親の教えを守り、自腹で飲めを死守、若い人に
は奢れ、年上の人にはさり気なく渡せという極めてきれいな飲み方)だから、一人前に対等に発言も出来たという事よ、
職種に拠ろうとは思うけれども、その心意気が無いなら、上司がそれを認めないなら、同僚とは飲まない方がいい、
タダより怖いものはないというでしょ?と今の人に教えたい、そうすれば、屈する事などない、時代と環境が違うから
一概には言えないけれども、負けないで!臆さないで、自分を大事にして、親から貰ったその心身を死守して、そこが
もしや目指してた職場で、どうしてもそこで夢を果たしたいなら、難関には違いはないと思うけれども。勇気をもって
場所を替えて、ご自身の若さと美しさを無駄にしないで、あたら古びた(失敬!でもそうでも言わないと、席上に並んだ
年長のオトコ達の言い分け、すっ飛ばしたうそぶき、慣例のせいにした逃げ口上には、古びたオナゴの私には気が済ん)
孫のような女子の呟きや告白や思い切った断罪を真摯に受け止めて、未練たらしく退職¥は5億だなんて空々しい事を平気
で言ってるんじゃないよ!それこそ、報道の真実に身を委ねてきたのじゃないのか?
私の 80 に近い年齢をもってしても、世の中の秩序さえ守れないのか?一体、今までの長きに渡って何を学んできたのだ?
会社(分野が違うから分からないけど)のダラダラに巻き込まれないように、干されないようにとの悔しい気持ちに迎合
しちゃわざるを得ない昨今の女子の在り方に有り方には、胸が痛く、悔しく怒髪天を抜く!
オトコの傲慢が悪い、悪しき慣習なんていう言い逃れをするなんて”はしたない”としか思えない、オナゴを蔑ろにしては
ならないと、習わずとも考えりゃ分かるでしょと 80 の私は部外者だけど、説教をかましたい(ぉ品が無さ過ぎるけど)、
若いオナゴをなめるような卑屈な真似はおよしなさいよ、君らにも連れや子や孫や、そして何より母親があってのことで
しょう、そこを考えない事がそもそもの間違いなのだよ、ぉ品が無さ過ぎた🌹
2025/04/15
テレビのドラマを制作する環境と価値観と責任と正論を整えなきゃならないのは勿論だけど、もう少し大人のオトコに
自覚と思いやりと、そして何より優しさからしか、人の心を温めるドラマは生まれない、
Paul Anka - My Way (The John Davidson Show, Aug 17, 1969)
多才で多彩で素敵なポールだった、好きな曲も多々あり、歌って聴かせて見せてお見事でした!
私の my way も捨てたもんじゃなかった!と思えた今朝の強気の源はなんだったのでしょう?きっと70代じゃ言えなか
った、拙いながらの思いを 80 という大台に乗っかって吐露したという事でしょう、
この夫婦も紆余曲折そのまた紆余曲折の繰り返し
でも私は好きだったんですよ、何より私の我儘を通してくれて、そりゃ最後はどう思ったかは知らないけれど親子として
私には、親はどうあるべきか?を示してくれたと思っていますから、
TBS キャスター
政治家の裏金云々について、キャスターがその詳細に正しく切り込む様子が観たい、感想は・・・・つづく