pretty woman story again

本と花と映画と音楽、
ドラマに私自身の物語、
華の 80 歳にあと1年🌹
(´∀`*)ウフフ

@ポピー @蕾 ・実 @マーガレット@ラベンダー(m) エルビス @イブキジャコウソウ @女の人差し指 @7首

2022-04-25 | #日記

04/30

狭裏にポピーが飛んできた!淡い色合いといい花びらの薄さといい儚げでいいですね~草を毟らなきゃ(´∀`*)ウフフ

 




04/29

ミカンの花の 👆 蕾が爽やかに曇天の下に見え隠れしてた、古い事柄やひとたちに触れてると妙に”今”に触れたくなる

ひとって―私ー同じところをうろうろしてると飽きてくるらしい(笑)

今、家の周りに春がきてるなぁと、今朝もうろうろしてスマホをかざしてたらぉ隣の奥さんが「熱心ですね~」って、

まさか婆ー私ーがブログに熱を入れてるなんて想像はしないでしょうけど、

 

 




04/29

 



04/29

狭裏の軒下に梅が!専門家じゃないけど、梅干しが出来るんだから【D】はそれなりに作業はしてるんでしょうね~

ぉ互いに趣味には口を挟まないのがルール~~♬

 

休日のブランチには前夜のカレーがいい、カレーのジャガイモやニンジンは苦手なので残ってた小エビや新玉ねぎを、

小さなフライパンで塩コショウで炒めて加える、ルー味を緩和するためにソースやケチャップを加え、まだ漬かってない

即席漬けをサラダに見立てて、家事の後にまったりと、思えば主婦ってコンビニ仕様だったと改めて・・・それに育児、

これは自分の好みで如何様にも楽しめたからいいのだけれど、

04/30

それにしても何度も言うように、よくぞ3人を無事育て上げたもんだ!別に表彰状が欲しいわけじゃないけど、その老後が

このようにパッとしないなんて、お出かけも都下に来たはいいけど出来ないので、うーーーーっつ!コロナ禍、不謹慎ね

 




04/29

"桃太郎"というトマトの花 👆 が咲いて楽しみな子の作、やはり農家の孫ですわ!

 

 04/29

栗原はるみセンセのレシピ 👆 酢豚は美味しゅうございました、手が込んでますから当然とは思いますけど、

悪魔のビールもテイストいたしました、私は尖がった味【D】は甘党ですから、どうかと思いますけど、手厳しい味と、

子は赤ワイン風味のbeerと申しました、こういうことで家族が円やかになるならこの上なし!すべて切っ掛けはbeer~♬

栗原さんのエプロンは私の大事なアイテムの一つですので、嬉しい夕餉でした、

 




04/29

バラも 👆 蕾をいっぱいつけて今か今かと咲くのを待ってる処~って、ここは都下で私の行く先は未定、それがまた

宜しゅうございますわ、だって明日があるという事だし、

 

朝早く子を戸送りしながら外に出ると、まだひんやりとした空気が、でも日ごと乾いてゆくような、陽は高く上り明るく

夏への序章は気持ちがいい、思い切り深呼吸すれば「今日も一日を面白く過ごしたいなぁ」と、

予定もなければ布団でも干せばいいし、今のところ晴れ間が大事、そういえば GW にも縁がないないわ、

 

向田さんの  本を読み始めた、脚本からお始めになられたような気がしてます、

そして本を読ませてもらうようになって気づいたことが私なりにありました、さり気ない日常のことを逃さず見極め、

短く分かり易い文章に仕上げられてる処、惹かれました、ダラダラ書きの多い私には難しい処ですけど目指したい!

そして 57577 にも通ずる修飾語の割愛というところかしら?

 




04/29

クレマチス 👆 の蕾もバラに負けじとすっくと立って、いいなぁ~こういう清々しい姿がね、

 

04/29

朝ドラの暢子ちゃんを応援してる、何をしても負けない強さがいい、けれど駆けっこで楽勝してたオトコに負けて挫折、

職場になる予定の会社のぼんぼんに絡まれてお兄ちゃんが喧嘩して、今度は暢子ちゃんが絡まれた、ハンバーガーを食べ

てただけなのに、その着てる洋服を揶揄われて「うちの会社には大学出のオトコが大勢いるから、結婚相手を探しに来る

んじゃないか?」のようなことを言われ腹の虫がおさまらず、そのぼんぼんに掴みかかろうとした、

ぼんぼんはきっと暢子ちゃん達兄妹が仲良しだったから嫉妬したんじゃない?

 

暢子ちゃんの、オナゴの哀しい処を衝くなんて”いじめ”以外の何物でも無いじゃあないのさ~あ~ぼんぼんよ!(怒)

言葉の暴力は受けた人が感じることで、仇や疎かにオナゴをいじめるんじゃないよ、傷は大きのよ、揶揄うなんて、

 

お兄の代わりに謝りに行った時と同じお偉いさんは言う、

「オナゴは良妻賢母というじゃろう、親の躾が悪いんだ!謝りなさい」だと、仲間さん・お母さんには悪い処なんてない

良妻賢母とはオトコに都合のいい言葉、オトコもいい夫でありいい父じゃあなきゃ~押しつけがましいよ偉いさん(笑)

 

「そうなら私は会社に勤めるのは辞めます!」この啖呵が気持ちいい~若くて今だから真っすぐな言葉を堂々と言える、

今日の暢子ちゃんは気風が良かった!また明日ね~

 




04/25

マーガレット 👆  が店先で風に揺れていたから家の窓辺において水あげをしてる、何処に植え替えるかは決めてない

こういう時も花を楽しんでる感がある、

 

朝ドラ 芋たこなんきん

04/29

朝ドラだった、田辺聖子さん原案とあったので、おそらくは田辺聖子さんとかもかのおっちゃんの再婚劇とは思ってた

始まってみると、かもかのおっちゃんと呼ばれるDr.さんは大勢のお子さんとそのご両親と同居なさってた、

そこへ忙し過ぎる作家さんなのに田辺聖子さんは嫁にいった、子育てやら家事に追われながらも仕事は手際よくさばいて

皆が静かになった夜に二人は居間でさしつさされつ酌み交わす、燗酒とみた、おちょこに手酌で「美味しいわ~」と笑む

二人で語り合う幸せな時間、話はとどまるところを知らずに、いい夜ね~羨ましい、下戸の夫を横目で見ながら(*´▽`*)

 




04/26

ラベンダー 👆 が何時になく元気そのものだそうで(私コロナ禍でこの家には長期欠席ー笑ーの体)

春から縁起がいいねぇ 

ってプレスリー~♬

CMのラベンダー畑でプレスリーだったから載せました~

 

Presleyは1935年1月8日ー1977年8月16日だそうで、私より 10 歳年上でしかなかった、今ご健勝なら 87 歳じゃあないの

もしや私は頂いてるので勘違いがあったなら明日訂正しますけど、

あれだけの成果をして、 87 歳だったのよね、あーーー惜しい、たらればで詮無いことだけど、もしや老いの日々に彼の

傍に何方かがいてくだされば、私たちは今も Presley を楽しめたかも、今、私がbeerを楽しんでいられれように、

並べるのは甚だ僭越ながら、

 

今じゃ婆そのものの私ですけど、その昔には色々いい経験をさせて頂きました、それをだれに感謝すると言っても、

もうあっちの世界におられる方(同級生ですけど)も多々おります、けど、あの頃(どの頃?)に時を同じくした方々に

感謝する気持ちになれた私にちょっと嬉しいのよ、

そして新しく行き交うことがもしあるなら、とても楽しい、だって”未来”ですから、77 婆にも新しい未来があるなら、

この先はバラ色~~ですもん、出会いは突然やってくるから思いのほかドキドキするわ、

 




04/25

イブキジャコウソウ 👆 は微香を放ち低い石垣を飾ってる、家の前なので子を朝に送り出すときスマフォで写真を撮る

朝の乾いた空気の肌感が、それはそれで気持ちがいい、やっと都会の片隅に P ちゃんご機嫌の日々となりそうよ、

 

04/2504/26

【D】がイチゴジャムを作り始めた夜 👆 三温糖+レモンで煮込んでる、こういう夜もあれば平和といえるのでしょうか

なかなか老いを二人で過ごすのは至難の業と思えなくもないけど、私ら夫婦は子の慮りのうえにのみ成り立ってる、

子には感謝しかない、私はbeerを頂いて心穏やか、暢気なんです(´∀`*)ウフフ

 

04/24

黄桜さんも粋なもんだわね~”悪魔のビール”だって!まだ頂いてない、さすがに悪女が悪魔に挑むのは気がひける、と

思うくらいなら可愛いもんだけど、P ですから平気で挑むでしょう(*´▽`*) それにしてもbeerは奥が深いね~

 




04/25

ぉ若い方の小説を読んでたら面白くてついつい先を急いでしまった、長編を二冊読破した達成感は久々の満足感へと、

反面、読みなれた先達の小説を読みたくなった、向田邦子さんは私にとってはリアルタイムの作家さんで、テレビドラマ

の脚本を通して物語の世界へと誘ってくれた、とてもあか抜けたお姉さんといった印象だった、だったというのはある日

突然この世から”さよなら”してしまわれたぉ方だったから、あの新聞の記事は忘れられない、

 

今は本屋で文庫本を買う時に「カバーなさいますか?」と訊かれる、エコの時代だから「そのままで」と言えばいいと、

思ってはいるけどカバーは楽しみなので、そして「無料のレジ袋はどうなさいますか?」これも「このままで」と言えば

いいところだけれど「頂いて宜しいでしょうか?」と、ついつい応えてしまう、

それぞれに可愛いプリントがなされてるのを見過ごせないのよ、余裕の(時代に反してるけど)こころが好きなのよ、

 

話は逸れたけど本の解説は大事だ、

解説ーーー向田さんのデヴュー作・脚本「ダイヤル110番」のころ、北川信、ここから読み始めようと思う、

 




04/25

73 歳の時、私的野暮用で奉行に行った時の心情を、まあ私が少し若かった!こともあったり、役人がぉ若い方々だった

からか、婆としては聊か不愉快な対応と感じた、

 

  • 公(おほやけ)のひとの言ひたる言の葉に口惜しさ呑み込みひとまづ黙す
  • 調べたる専門用語を知るわれに役所は誘導さるるやうとふ
  • 諭すごともの言ふ若きひとのゐてこれを上から目線と思ふ
  • その道に詳しきはづを公(おほやけ)の農地語れぬ不甲斐なきこと
  • 言ひ募る公のひとは肩はりて言ひ負かされずと声高に衝く
  • 七十三歳おなごゆゑかとくち惜しき鈍化するより良しと思ひて
  • public 奉行に誇りのあるごとく農には農の志あり

それでうっ憤晴らしに 57577 にぶつけちゃった!それを恥ずかしげもなく月刊の某会の会誌に出しちゃった、

セレクターさんのご指導を得たことを覚えてる「恨みつらみは詠まない方がいい、一首の品格が・・・ ォホホホ」

 


 

深刻じゃあありませんので覚え書きという処、今じゃあ化石のような話を、書いてる私が面白いだけ~ということあり、

again ですから念のため、戦後の農地における親族同士の諍いはあちこちにあり、家督制度に翳りが見えた処と思える

母方実家の祖父が亡くなった後にも、同じ様なことがあったし、近隣の農家でも戦後暫くして見聞きした、 

私事に関して語れる範囲内で、この件でもう書き散らかすことはないからゆっくりリアルに、削除しなきゃよかった!

ぉ見知りの方々におかれましては、以前もお願いしましたように名はスルーなさって頂きたい、与太話ですので(>_<)

なら書かなきゃいいものを~ですよね、

 

奉行にはここは容易く引いておいて、言いたいことを言葉にはせずに引き下がった感があって口惜しさが残った(笑)

 

👈 親族の呼び名は私(本人)からみた表記です、

父方の祖母と 👆 その曽孫である宿敵(従兄の長男)の幼い頃、つまり、私は宿敵の父親と従兄妹同士なんですよ、

ここが歳を思えば親子のようなもん、

従兄は生前言った「このあたりの地所はおんちゃん(=叔父さん=私の父)に譲るとは同じ年代だし2度手間になるから

P ちゃんに譲って次の代へ繋ぐことにした方がいいと思ってる」とのことだった、これは高校入学記念の目覚まし時計を

私にも届けてくれた時に祝辞として添えたから知ってる、従兄とは従兄で気遣いはあったし、父は父で一徹でもあった、

ところが父より若い従兄が先にあの世に行ってしまったので、話はまたまた先送りとなった、仏に農地の話も出来ない話

頓挫!



 

このキリっとした祖母が、末子・長男として父を授かったのが 107 年前、気の遠くなるような話ですよ~

父の行く末を案じて祖母は苦慮したらしい、らしいというのは祖母から後に聞いたからでー私は小学生ー話は長くなる

 

祖母は長女だったから早くに向かいの農家の次男を婿にとった、そしてオナゴ(伯母、伯母、伯母)3人と、40代で

オトコ1人(父)を授かった、

その時既に伯母も早くに隣村から婿をとっていて、20 代でオトコ1人(従兄)を授かり、その後オナゴ4人(従姉)を儲け

末子の父が農業を出来るようになるのは待てなかったので伯母夫婦が農家の主となった、

ここまででもうややこしいでしょ?私には興味深いけど、

 

宿敵の親に当たる従兄は、父が生まれた2年後に伯母が授かったオトコで、父と従兄は2つしか違わなかったから縺れるわ

従兄はれっきとした後継者の立ち位置で、父は押しやられるようにして傍系とならざるを得なかったのが無念の源らしい

そんなこと言ったって現実は変えられないのよ、

 

この辺りでは”別家”と称して田畑を分けて与えて長男以外が農業を生業とする手立ても多く見られた、けれど、分割の時

既に揉める場合も多かったらしく、祖母はそうはせず、父を農業には就かせず、今でいう縁故で仕事に就かせたのが△△

公務員だった、今思えば祖母には非常に先見の明があった

 



 

☆彡① 奉行での話 何故星影をつけたかというと私にしては 73 の快感!だったから、

 

かいつまんで言えば、宿敵・本家長男と決めなければならないことがあって奉行所に連れだった、私は独りでもいいと

言ったけど、宿敵は「分からないことがあったら説明しなきゃならねべ」と言うから同行した(笑)

田畑、原野、宅地などに纏わる名義変更や地目変更のことなどの申請をするにあたって、先ずは奉行の範疇である〇〇課

を目指した、宿敵と私は一つ違い、奉行所の役人は現役だから 40 代、分かり易く言えば息子のような年恰好だった、

 

宿敵の思惑は出来る限り自分の持ち分を減らさず、私はとにかく地目変更及び名義変更といとも簡単なる申請を、

 

宿敵が策したことは、奉行の指導か、司法書士のご指導か、はたまた本家長男の独策かは知らねど母を農家から外した件

農家としての田畑の持ち分が五反分以上と決められてて、母はその持ち分以上に達していたから農家として認められて、

農業委員として拝命があり、会合に参加しようと、その旨を本家長男に連絡したら言下に却下!

おかしいでしょう、年功序列でくるものだから若い本家長男にはまだ間があるという事よ、それを何を勘違いしたのか

「そのままにしておいていいんだよ~」と言い放ったという、その時私に母が言えばよかったものを、私の鼻っ柱の強さ

が邪魔になり母は躊躇して私に言えなかったと後に言った(笑)

 

それで宿敵は「母の農家としての立ち位置を外さなきゃ!」と踏んだ、

ここで私がミスった!と気づいたが遅かりし由良之助(古)さすが私は父の子で、あれほど父から聞かされてた押印を

宿敵を信じて容易く先んじたことだった、これは他人相手でなくて、しかも同じ釜の飯というあやふやな親族感ゆえ、

 

よもやそこまで宿敵が先を読み、私たち母子に策を弄するとは思ってなかった、母は当時 90 半ばを過ぎてたので、母を

「おばちゃん(おばちゃんじゃない、大叔母じゃ!ー笑ー)P ちゃん達の誰も継農しないようだから田んぼの持ち分の

名義変更を頼みたいや~」先に持ち分の等価交換を行ってしまった、そこで母は宅地を入手することとなり、農地は

全て宿敵の下へ、それが狙いだったとはね~~~農地を手放した私たち母子は農家の資格を失い一般ピープルに、

「農家を護るため」と現役農家である宿敵は持ち分を示し、奉行は母・農を農と認めぬ方向に旗を振ったこととなった、

更にいとも容易く母名義を宿敵名義に変えて(母は耕作を他農家に発注してたから、農地は保有するも、

農家資格を失っわせられた!それからの論戦となった(笑)

 

さて 73 の婆(=私です)が孤軍奮闘することとなりました、それまでの流れの詳細を私が記憶してるなどとは露知らず

おそらくは 年とっても鼻っ柱だけは強い?婆だと踏んだらしい、婆は手強いのです、なまじ人生の場数を踏んでるわけ

じゃないんだよ、

 

自分の親のような歳のオナゴを相手に懐柔策に出ようと役人は急に口調を柔らかくした、後部座席に控えてた上役の指示

らしい、そりゃそうよ、奉行の窓口には野暮用を抱えて農家の方々が出入りする、知った顔がないわけじゃない、婆に

役人が寄ってたかっての図は出世にも響く、こっちは出世も何も関係ないから素手の対応、地方の農業関係は狭いから、

ましてや奉行に借りがあるわけでもない(笑)

 

☆彡② 奉行と宿敵と私の三つ巴

 

宿敵は事前調整して、本家と別家の持ち分の精査するため、隣接六軒の調査をして、それぞれの家から区割りのミスなし

との押印式を一斉に行った、その時、既に地目は統一され原野、および田畑と宅地に区分された、その費用については

本家の意向を酌む調査という事であった(そこはどう善処したかは宿敵の手腕だから~)ので言い出しっぺが出した?

策士策におぼれるということもあるから、

 

本題の奉行にて、私は役人に言いつけられた現状写真と父の遺した書付(本家と別家の等価売買について、押印無し)

と本人であることの証明と戸籍謄本などをもれなくさし出した、こういうのは得意なので、

更には私自筆による署名を成した書類等は怠りなく、余計なほど(笑)

 

私「この度は些末なことでお忙しい処を三度までお手を煩わせて申し訳ございません、お申し越しの書類や写真は揃え、

再度、提出しなければならないものがありましたらお教え頂きたく伺いました、詳細につきましては本家ちゃんが連絡

済みと思いますし、御所指定の司法書士の方にも書類作成はお願いしてあります、宿敵ちゃんに紹介されるまでもなく

書士さんは同級生の◎◎君だったので話が早くてよかったです~」と先手を打った!

 

奉行「あーそうでしたかぁ、あの方なら間違いはないから安心です、それに書類も必要な金子も全て揃ってるようですし

このまま話を進めてゆく分ですが・・・」

宿敵ちゃん「田んぼの名義交換は既に処理済みで、農家を護って貰った○○課には感謝してます」

奉行「それはこちらの仕事ですから優先させて貰いました」笑顔満面、オイ!若者、だが待てよ、で私は差し水を向けた

私「農家を護って下さるなら、うちが農家状態のままで田畑、原野、宅地を持ち分のまま分割できたんじゃないですか?

それが双方の農家を護るということじゃあないでしょうか?」

奉行はくるりと椅子を座ったまま回し上役の方に向きを変えた、「その案件は聞いてねー」という表情で、宿敵ちゃんも

「オイ、ここで蒸し返すのか?」の体、

私「こういう方法を誰も教えてくれずにさっさと見切り発車してしまったのを見逃したのはこっちのミスですので、農家

返上は宜しいですので、地目を変えたままの、現状使用状態のままで名義の交換は願えますね?」

73 婆にスイッチが入った!午後のゆったりした奉行内の空気が色めき立った、だってドッキリ!!!みたいなかんじなんです

笑って当たり前のところ、ドッキリの仕掛人が誰だか分からん!状態なんですから、

 

☆彡3 私は父の言ってたことがお互いの良識内の判断で、規則を乱すものではないと検索も含めて万全だと、一方、

奉行も宿敵ちゃんもあらぬ方向からの粛正に入ったと感じたのか、

私「父が本家に是正を申し込まなかったのは、父がその道に少しは精通してて生業の一端を担うものでもあり、さらには

若者相手に邪道はいけないと言って、自分の代では決着はつけない、ので、今まで延び延びになってましたが、母が他人

ゆえ譲れないとの本音も分かります、

私が 17 から住んで、時に学生、結婚とこの家を離れておりはしましたけど、介護で住民票もこちらに持ってきてますし、

条件は満たしてるとのことですから、当初の口約束通りに実践して頂きたい、

 

この先を問われれば、ひとの命に限りの有る事ですから、一概には言えませんけど、宿敵ちゃんのお子達もNO継農ならば

条件はそうそう違わない、田んぼを交換するには及ばなかった処を百歩譲ったのですから、そこまでの成り立ちは推量を

頂いて善処を一任したいと思ってます」

後は余計なことは言わないで言わせた「○○課がまるで誘導されたような気がする、逆だよなぁ」とため息、宿敵ちゃんは

無言、だから奉行なんて結果報告でよかったんじゃない?私は一応留飲を下げた(笑)

以後の費用は私が全支払いして、同級生の顔も立てた、今後同級会で会うわけだから、父の言うとおりに見っともない

ことはしなかった、

宿敵ちゃんは未だキレが悪かった、登記の際に少しどころか大幅にこっちの持ち分を縮小したのだった、全くオトコ気が

ないね~どこまで続く泥濘ぞ(笑)

 




 

04/26

軒下にマーガレットを植えた、今朝の一仕事、とはいえポットから地べたに穴を掘り水をたっぷり差して植え替えただけ

これを一仕事と言えるかどうかは甚だ疑問だけど今の私には丁度いいのよ、それにちょっと生々しい話には花を~

 

父のこと

父はよく言っていた「親の意見と茄子の花は千に一つの無駄はない」「冷酒と親の意見は後で効く」

この訓告を忘れるなよ、P 子、R子 K子はもだぞ」 3 人の娘を前に飲めば古傷が疼いて口惜しくなるようだった、

私は中学生の頃からだから話の内容は分かるとしても、◎◎たちは小学生の高学年と低学年だから、恐らくその時は理解

出来てなかったと思うわ、その分だけ父の思い入れや母の憤怒は軽くはなかったのよ、その様子は私は具に見てたので、

まるで我がことのように受け継いじゃったということになる、

 

(大正4年3月21日生まれ)

父はおそらく継農するものとして大人になってゆくはずだった、けれど長姉に婿が来て、その時その家の長男が幼くも

いたのでは縁は纏まらないのが常だったから、養子に出された、農家を護るという事はそういうことだと父はその時未だ

知らされてなかった、暮らすのはそのまま実家に居て親と共に、扱いは農家の長男として農作業も教えられながらの日々

小学校入学に当たり郡奉行からの知らせに、一軒先の家の名字が記されてて「これは私にきたのではない!」ときっぱり

拒んだという、祖母は不憫に思って元の名字に戻したが再び養子という但し書きはついてたという、

今なら「僕は誰の子?」というような疑いを持ちながらも、母親が大好きに変わりはないから、それ以上は追及しなかっ

たと祖母から聴いた、

 

祖母は父を一度傷つけてしまってるから、その将来には極めて慎重で、当時有り勝ちだった農家の別家という事はしない

しかもそれまでの成り立ちを大人になって理解できるような職種に就かせたいと法曹界へ、と言えば聞こえはいいけど、

一書記官としての道を歩ませるべく、出来うる限りの努力は惜しまなかった、親とはそう言う事なのだと、親って大きい

 




母方について

母(大正8年11月22日生まれ)は 👆 祖父の長女として生を受けた、祖父は農家の長男だったけれど農業には、つまり

田んぼや畑には入らずに過ごしてた、過ごせてた、何故なら「俺は学校に入りたい、については寄宿舎にそして文学を」

並の農家の長男ができるはずないじゃん!で却下な処を、この祖父はといえば、わけの分からないような世界を説いて

食い下がったけど「農家の長男には学校は要らない」という、当時にしては至極真っ当な曾祖父の一言で残念!

祖父は、母+叔母2人+叔父3人と人材に事欠かない構成の子らを得た、

 

こちらの場合もオナゴがたてつづけに生まれたので婿取りコースとなって、父方のような様相を呈していたけど、生憎

母は小柄で農家に嫁に出すには忍びないから勤め人の所へ嫁にやると決めて、祖父は自分が行きたかった学校へ入れた、

小柄な割には頑張り屋で、冬以外は最寄りの駅から自宅まで徒歩で通ったらしい、今なら車で30分ほどの山沿いの道を

時には弟妹が送り迎えして安全を託ったようだけど、

 




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