pretty woman story again

本と花と映画と音楽、
ドラマに私自身の物語、
華の 80 歳にあと1年🌹
(´∀`*)ウフフ

@夏屏風@ナツハゼの実@源平シモツケソウ@八重アサガオ(m) シャレード

2020-07-30 | #日記

私が第一子を産んで後、盆帰省の折パパが買った 夏屏風 👆 設えが好きでママも捨てなかったらしい、赤ん坊が暑い

と可哀そうと、南の部屋から北の部屋まで建具を外して風通しよくして扇風機だった、

その折のパーテーション仕様、まあねぇ、今でも竹筋がきれいで、色も年々よくなるような気がするけど、子が大きく、

そして他の孫が増えると、邪魔になると仕舞ったまま現在に至る、だから 40 年以上はお蔵入り、

今出して北側の掃き出しの処の網戸に添えて置いたら風通しが良くて堪えられない~ということ復活した、私も好きだわ

 




ナツハゼ 👆 に実が~お見事!!! 色も艶めいていいわ~これが漆黒になるんです!

ほらね、可愛いでしょ~

草引きを凡そ2時間ほどした、これが快適で、古道具を眺めてるのもいいけど、やはり外のそよ風は気持ちいいです、

見る見るうちに捗って気分良好でした、雨の晴れ間でしたけど、家の中はごちゃごちゃしてますけど、まあ片づけだし、

👆 源平シモツケソウ も蕊がツンツンで、また蕾がたくさんで楽しみです、ピンクはその後を追うように咲くけど、

今季の雨でどうなるかしら?

 

どの世界でも鋭いぉ方はおられると思う、テレビでは同じことを何度も言いながら現実を受け止めきれないリーダーや

その道の専門家の推理推量を聞かされて、私は professional って何なのさ?と思っちゃう、

若者も含めて国民がそんなに言うことを聴くわけないじゃないの、危機感をもって言葉を発するぐらいの裁量はぉ持ち

のはずじゃあないの?締め付けたら我が身に帰るから、言葉じゃ「お願いします」とは言いながら「あなた方の責任よ」

と言外に、

これ言うはずじゃなかった(苦笑)あの数字じゃ capital に帰る気分にはなれないのと魅力(含み大よ~~)がなくなった

ということもあるかな?流石です!わ、




今朝の八重アサガオは大人しい咲き方で 👆 それになんたって花びらの姿と色がよろしかったわ、今は雨に打たれてる

BS   252    シャレード

 

久々のオードリー「シャレード」いいじゃない? あとで~



二階の押入れに乱雑に入れてた琴、思えば私が小2で秋田にパパの転勤がらみで転校した時に出会った先生は、

missな上に美しい先生で優しい方だった、ママが習わせたかったようだけど私はそう興味があったわけじゃなかった、

その時に先生が練習用にと、ご自分がお使いになられた小ぶりの質素なのを譲って下さったような気がする、磨いてない

安月給の公務員のパパだったから、ママは上等なものは買えなかったと後に言った、向こう側に座ります、

その時すでに先生は十年くらい使ったと記憶してるから、あれから六十有余年経ってるんだから、ざっと 75 年モノかな

傷だらけだけど音色がいいのよ、だからママは取っておいたんだわね~懐かし、緋毛氈は後に買ったと思う、

糸は絹じゃなくて今風の新しいのをはって貰って 15 年ぐらい経ったのよ、こちら側に座ります、



ずいぶん使い込んだような、放置されたような 👆 消し炭壺、



ママはたいていのことは熟してた、編み物、縫物(和洋問わず)、習字、57577、小銀刺し、茶道に華道、手踊り、

料理はもとより、私たちのちょっとした風邪の症状など、歯痛さえも覗き込んで手当してくれた、看護師でもないのによ

常備薬はオトギリソウを焼酎に浸して手作り、熱は氷枕で、脇の下に氷を手ぬぐいとビニールで包んで滑り込ませて、

学校は欠席はさせないと決めてたらしく、低学年の時はおんぶして連れて行った、顔を出せば出席だったのでね、

娘3人は皆勤賞だと思うわ、不本意だったらしいけど専業主婦だったし、

 

その時使ったであろうミラーが出て来た、いやーーー恐れ入ります、あまりの驚きに手が~ってあとでまた撮りましょう

 

さてママの7回目の月命日を迎えるにあたって墓処の掃除に行ってきた、サボってたので夏草が生い茂り、クローバーが

蔓延ってた、それを抜いたり毟ったりしながら、つくづく時の流れが早いと感じたわ、

雪が少なくて有難かったあの頃の行事の忙しなさがよみがえって一抹の寂しさが、十分な歳ではあったから思い残すとの

感情じゃなくてお疲れさまでしたと、パパと見えたのかしら?

戸口に西瓜が置いてあったけど、毎年通りに本家がぉ届けだろうとは思う、でも遠戚省き問題が私の気持ちから消えず、

しつこい様だけどまだまだ しこり になってるので、

 

月命日のお参りに行ってきました、花を供え線香と蝋燭を、この香りが当時のことを思わせて とでも言いましょうか、



風に揺れながらもやっと日の目を浴びた 👆 アサガオ、今までの不足を補うように咲き始めて嬉しいわ!

 

案の定、昨日の一日中労働で今日はダメ、二日すれば快復すると分かってるから大丈夫なんだけど、昨日はステーション

燃える、燃えない二か所を掛け持ちして小屋の中を一部だけど一掃した、

大したモノがあるわけじゃないけど、懐かしくてママが取って置いたのだろう、もし、わたしがもっと若かったら、

これらのモノは大した意味はもたないものでしょう、

でも如何せん私、S 20 年の生まれには懐かしくてポイ捨て(笑)は出来なかったのよ、いっそのこと全部捨てて小屋も、

バラしてもよさそうな処なんだけどね~

 

バラすといえば 👆 バラして洗えるものは洗って天日干しした、好きなんですよ~このガラスの形と色とが 絶妙で、

20 年ほど前、私が古もの屋で買った品、今見ても惚れ惚れする私には一品、組み立てると~

MEIWA SANGYO CI-7510    100 V    40 ワットと記されてるから電球は後付けだと思うわ、大きすぎる気がする、

national パナボールと記されてたので、でも気にいってるのよ、

盆を前に何でこんなにのんびりして、細かいことに向かってるかと言うと、盆のお参りを村内で自粛するというぉ達しが

あったから、慌てることがなくなって、ママの新盆は自分でお墓参りして、仏壇飾って、自分で楽しめばいいこととなる

以前から、私はそう思ってた、帰省客がいるというのに何で村内廻りをしなきゃならないの?と、

今季は殊更コロナ禍で、帰省客云々はそれぞれの家の判断でいいとは思うけど、

私は子や孫には「今回は遠慮してね~」と、親として祖母としてキッチリ申し渡した、だってそれじゃなくてもTOKYO~

については喧しいのでね、これも親心だと今は気づかないかもしれないけど、後で分かることだから、

だから片づけは心ゆくまで出来るという事に、私としては願ってもないことだった、TOKYOが遠くなるのはそりゃ鬼でも

寂しいことには違いないけどね、都下の子にハッキリ言われた、展望を!離れてては落ち着かないからいい加減にしてと

( ̄∇ ̄;)ハッハッハ 我儘だとは百も承知ですけど、最後の我儘でしょうから、あーたも老いれば分かるわよ、



農家の婿取りにしては粋だったパパのママ(つまり私のグランマ 古い話だから敢えて呼び名ぐらいは新しく)は煙管で

煙草を吸っていた、その夫(私のグランパ)は早くに亡くなって未亡人で農家を切り盛りしてた、

グランマは囲炉裏の縁でポンポンと煙管を叩いて吸殻を捨ててた、何でこんなに鮮明に覚えてるのかしら?

思えば今でこそぉ喋りが止まらない~~状態の私だけど、幼い頃は口数が少なくじっと周囲を観てた気がする、晩生だし

今はその欠片もない、煙草盆、

 



おそらくママが何処ぞから貰ったに違いない(名前が書いてあったから、剝さないでね)箱で、引き出しがあり、そこに

刃物がついてたはずだけど、それが無くてもママは捨てられなかったのだと思う、

木製釘が珍しくて、というか、好きで私も捨てられなかった、筆箱にして使ってた形跡があるので、そして何より私が

生まれる前の昭和拾六年正月弐日求むと、

確か、昔、初売りがあってその日だったのではないかしら?奇しくもママの命日は正月二日だから何となく捨てなかった

鰹節削り器、



もちろん必要以外はぉ他人様と接しないし、言葉すら交わさず村内も静かと言うか余所余所しいというか、まあコロナ禍

真っただ中だから仕方ないけど、せめて自分が元気で食べて程よく飲んで、コロナを寄せ付けないように暮らしてる、

体力は重要で、夏草も、引いては雨に蘇生して、またひっくり返して土にかえる暇もないけど、闘ってるのだから、

そんな事には負けてられない、高齢者が如何にもご迷惑様のような風潮は気に入らないけど、医療の世界では現実に陽性

になったら早くてぉ他人様にも迷惑かけるのは事実だから、心身は強くあらねばと、

75 年も生きてくると図々しいっちゃあそうだけど、ごちゃごちゃ考えてても世の中がそう動いてるんだから、逆行して

みたって始まらない!という達観の域かな~私、

太々しいとさえ思われるやもしれないけど、与太なことで凹んでてもこの流れは早々には収束しそうもないから、

 

コメント
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