5002023/09/18
秋とはとても実感できない秋の朝の陽ざしに八重キバナコスモスが見事に咲いてた、つぼみの多い鉢を選んで買って正解
その時は花に惹かれるけど、いや待てよ、もう少し先を思えば今じゃない~なんてね、
色もいいし蕊の姿も宜しいじゃありませんの?手前みそでございますけど、
2023/09/18
咲き継いで楽しませてくれる、鉢を一回り大きくしなきゃ!なんて正しい秋の迎え方かしら?嵐の前の静けさ(´∀`*)ウフフ
2023/09/18
「よく昔の話を覚えてるなあ、それって思い込みとか創作じゃないの?」都合が悪い時の【D=夫=ダー爺リン】口癖で
私の辞書には”逃げ口上” と記されてる(笑)
ブログに書き連ねてることが創作だとすれば私ってモノ書きになれた?それがなれないんだよね、自己主張が激しくて、
相手の身になって物事を考えることが出来ない、自分勝手なオナゴということだよ、【D】は得意げに言う、けど、私も
君の悪行を論ったらきっと子らは唖然として黙しちゃうだろうと思うから、今まで黙してたんだよ、私は亡母とは違って
デキのいいオナゴ(他の人にはそう言われたことはある、自信をもっていいますけど、デキの悪いオナゴだと言うなら
例を挙げて説明せよ?という課題を【D】に与えたい(´∀`*)ウフフ 私は墓場までは墓場まではもって行かないなあ、
さて今日は次男が飲みに来るとなったらしい、私はせめて来る三日前には知らせて!と言ってるから(だってホラ掃除
とか料理とか寝具の用意とか etc.)人数も前もって知りたいしとか、長男が言うにはそれは自身のカッコつけの為だべ
いやそれはそうかもしれないけど昔(覚えてるんだよ~)【D】の姑と妹の家族4名様と弟夫婦が突然旅の途中で!だと
お寄りあそばしたことがあって私ゃ倒れそうだった、世の中こういうことがあるんだね?と大いなる刺激を受け【D】に
電話した、電話した私がバカだった「いやーーー仕事が入ってて帰れないわ」こういう返事も初めてだったので怒怒怒
要するに食事だけでいいような話しぶりだったので、デキるオナゴを演じて見せた、これが良くなかったんだよね、その
後、そのグループはうちをドライブイン仕様にしたらしい、そして【D】も逃げる術を覚えちゃって度々使用したもんだ
った、家のあたりはこういう突撃はしないので、や another worldに嫁に来ちゃったというこっちゃ!
子らが集うには私は大いに楽しみで、掃除から食事の用意から酒の差配まで、うきうきと熟しちゃって何の面倒もない
これが不思議よね、 楽しませてやりたいじゃない?母親だし、詳細は後に、
2023/09/16
あまりに美しい姿だったから外で散らすのは勿体ないとおもい、好きな湯飲みに挿してみた、部屋に花は飾らないので、
(越冬の鉢物は部屋中に咲かせるのは好きだけど)散った花びらさえ愛おしい、触れたら散っちゃったのよ、
独身U子の言い分
老後は楽しく快適に過ごせると思ってた、旅をしたり映画を観たり舞台を鑑賞したり、趣味の読書を誰にも邪魔されず読
めるし、美術館に行って絵を、特に好きな(マネ、モネ)大きな絵を心行くまでこの目に焼き付けて、
一人の部屋を好きなようにセッティングして、季節ごとにカーテンを変え、敷物を吟味して、好きなよう服着て、どこへ
でも一人で自由な時間を堪能しようと思ってた!だから、仕事も変えずに定年まで働いて嫁なんかにいかずひたすら独走
(よめにいった同級生が捗々しくない話が多くてねー笑ー)
兄姉弟の暮らしや夫婦の在り方を見てたら、まして親を見てたら結婚なんて意味ない!と思ってたし、
子育ても大変そうだし、子供の頃は姪や甥が可愛くてわが子のように親しんで可愛がったけど、中学生くらいになったら
「U子ちゃん(私の名前よ、叔母さんよ、伯母さんよ)も結婚すればいいのに」と言ってたけど、高校生になったら
「ま!U子ちゃんのように気難しいひとは独りのほうがいいかも~」だなんて生意気なことをずけずけ言うようになった
から、やっぱり裏切られるということよ(笑)
同級生の話を聞けば「若い頃はちょっとカッコいい!と思ってたけど 80 の坂を超えると(私ら 78 よ)契約違反じゃない
のよ(怒)」と言うオナゴばかり、オトコは自分の身だしなみも考えず、テレビを観ればクレームばかり、
どうせこのバッターは打てないよ、監督の采配がなってない、あ!またトンネルした~下手なんだよ、どこに投げてるん
だよ、ここはサードだろうに、ゲームを楽しむ才覚がないんじゃないの?と思われるようなことを朝から晩まで、じゃあ
観なきゃいいじゃん!聞いてるオナゴは思うと言う、例えば横浜なら監督のぉ顔が時々映り、勝てばそれでいいくらいの
熱量でしょ(´∀`*)ウフフ
ドラマを観れば「べたドラばかりで、大体想像がついちゃって」だなんて物識り顔して、時代劇は流石にいいよと鬼平を
観て満足してるのかと思ってれば、時に物語においてゆかれるらしく「辻褄が合わねんじゃないか?」それは君が出遅れ
てるんだよとも言わず染五郎を楽しんでるオナゴ、少しは楽しみ方の工夫をしたらどうなのさ?と言いたくなるでしょ?
とまあこんな話をあちこちで聞くと、一人で好きな番組をとことん見定められるから、やっぱ一人の方がいいよ、それに
親の介護はいいとしてお連れ様の介護はどうなるの?オナゴより倍もありそうな体躯のオトコのお方を、どうやって看る
んだろうと思ったら私ならNG!だわ(笑)
それにさあ、現役引退しても、現役の時のようにえばってるの?それも可笑しいでしょう?今まで家事育児から渉外全て
独りでオナゴが熟してきてさ、何の感謝もされずに、まだ続行らしいじゃん、せめてこの辺りで気づいて今までの夫婦の
あり方を鑑みて、せめてオナゴの意見も許容して、残り少ない日々を、オナゴも楽しめるように企画まではしなくても
いいから、希望くらいは訊くようなオトコがいいわね~それもハズレでしょ((´∀`))ケラケラ
兄や弟もそうだし姉の連れもその傾向が特にひどくなってきて、子らは独立してるから孤軍奮闘、姉だってナースの花道
と家庭を何とか勤め上げて、さて定年でゆっくりしようかな~と思ったら孫育てで、まあ孫は可愛いというからいいけど
U子ちゃんとはもの心ついた時から、そうね4 、5 歳頃から隣同士で、下駄はいて遊んでたからね~70 有余年の付き合い
さて嫁に行って子らを育て、親の介護して今まさに連れの介護に入ろうかという時のオナゴの迷いはどんなもんだろう、
同級生の single の本音を訊いたので、今度はdoubleの本音を訊きましょう、面白そうよ、
先ずはいつもオナゴからと思ったけれど、たまにはオトコの本音も訊いてみるのも悪くないと思ってね、同級生で学校も
ほぼほぼ同じで”のんきな爺さん” を地でいってるアラーキー(通称よ)
「結婚してよかったか悪かったか訊かれても夫婦仲はよくなかったし子供らは全部(ったって娘二人)連れひいきだから
居場所なんてなかったね、仕事して別居して給料だけ振り込んでればよかったんじゃない?浮気したわけじゃなし、ただ
思い当たることは麻雀だね、凝りに凝って毎晩、俺が借り上げ社宅に独りで住んでた手前、ご都合よいとばかりに仲間が
集まって遊んでた、単なる遊びだから¥が動くわけじゃないから平和なもんよ、でもオナゴには分かるまい、その気晴ら
しが明日への糧となる!
そのおかげで定年の時になったら「今までセコハンの家だったんだから退職¥と貯¥とを合わせて、頭¥にして、ローン
を組んで定年から10年は、その職場で延長して生活¥を稼ぎ、年¥を貰えるようになったから、生活費を差っ引いた残り
を返済に回すという算段は全部連れが企画した「賢婦人とはこういうオナゴをいうのではないの?」と私が言ったら、
アラーキーは笑って言った「息苦しくてやってらんねー」贅沢言ってるよ(´∀`*)ウフフ
みんないい歳になったから麻雀どころじゃなくてバラバラよ、今の楽しみは散歩(じじむさいなあと私が笑ったら)「君
婆も歩かなきゃ歩けなくなる憂き目をみるぞ!足(脚)を侮ってはならないよ、それにしても君は元気だね~内もだけど
年取って新宅で暮らしても何もいい気分じゃない、古い家の方がよかった、住み心地はね「汚すな、散らかすな」と連呼
でもまあ天罰だし連れの”仕返し”かもしれないから敢えて受けてますよ、
「P 子の話、久々に話が面白かったよ、今は”吾輩は借りてきた猫である”(笑)」だと(´∀`*)ウフフ
2023/09/14
ハナトラノオを二本頂いて植えようかな?と思った、とりあえず今は花瓶に挿して楽しんでる、
2014 ギリシャに消えた嘘 イギリス、アメリカ、フランス合作 脚本 ホセイン・アミニ you tube
プレシディオch
1962年、ギリシャのアテネでツアーガイドをしているアメリカ人青年ライダルが、パルテノン神殿で優雅なアメリカ人
紳士チェスターとその妻コレットと出会う。夫妻に魅了され、彼らのガイドを務めるライダルだったが、チェスターが
ホテルの部屋に現れた探偵を殺害し 👈引用
👈お借りしました
日常に飽きたのでちょっとミステリーの世界へと思い探しに探したら、ちょうどいい感じの映画を見つけた、洗濯掃除を
終えれば何とか午前の部はいいんじゃない?今は曇天だけどそのうち晴れるという予報だし、
一気で見終えちゃいました!ミステリーとは言いながら、人間のおかれた状況によって、その後の人生がどのように進ん
でいくのかを、篤と見させて頂きました(こういう言い方あったっけ?)
馴染みのない俳優だけをキャスティングした作品を私は看破したことはない、やはりひいきの俳優を見たいがために映画
を観るというスタンスが多いのでね、昨今ある事情で世の中のすべてのひいきの存在がちょっとか、ずっとかは知らない
けれど登場しない事態となってて、まあね、ひいきなどというものはその時の世情で決まることが多いのだから、私は敢
えて、というより極めて落胆してしまったので、今回はこの映画で見応えがあったという処、
詐欺師のオトコがオナゴと旅をしてて、ガイドのオトコがその旅先案内人となる、ありがちな話だけど、それで今はいい
のよ、だって私には選択の余地がないんだもの、詐欺師の詐欺のその後という面白い捉え処と逃げ方とでも、
オナゴが言う「あなたがそういうことをしたから私の気分が台無しになるのよ」よくあるよね、オトコは何気なくなんだ
か、オナゴを平気で騙すよね、それがどんなに傷つけるかということを考えもせず、自分の感情の高ぶりに負け”ヒス”
オナゴにしたらたまったもんじゃねーよ!だって自分の気分なんて自分で壊すもんじゃなくて、夫婦なら必ず一方の言葉
や態度や思考や価値観に「う?」と思うところから始まるんだから、それに若いガイドがいいオトコで正直でとなったら
オナゴは当然靡くでしょうよ、
ガイドとオトコのセリフ「お父さんの仕事は?」ガイドは「大学教授」と答えながらも、その幼い日々からの叱咤激励に
応えられなかった自身のふがいなさ故か、嫌悪してるように言ってしまう、オトコにしてみたらそんないい父親贅沢だよ
と言わんばかりに「うちの父親は労働者」と投げ捨てるように言う、皆、労働者じゃないのと思えない何かがあるのね、
出自などは選べるものではないのだから、そこにあればあったなりに努力、奮闘して、自分の道を選び進めばいい話で、
親の責任でも何でもない、そりゃあ厳しく指導され過ぎてイヤだったとか、親の方も言葉を選ばないとね、
否定はイケないとは思うけど、
騙したオトコが旅先にやってきて問答してるうちに突き飛ばし死に至らしめる、それに加担させるようにガイドを利用し
共犯だなどと脅す、その、人を脅すというやり方は気に入らない(笑)
詐欺師はガイドを始末(失敬)しなくちゃという思いに駆られ地下で息の根を止めた、そして妻とも言い争ってるうちに
階段から突き落としてしまう、新聞に夫婦の写真が載り”wanted!!!” 状態になっっちゃって逃げる逃げる、結果の不慮の
事故、まあ、詐欺師の結末なんてそんなもんでしょうけど、ここからが映画の良さだよね、
ガイドは警察のおとり捜査に協力して、詐欺師がpoliceに打たれてからの最後のシーン「録音してるだろ?」とガイドに
確認して「最初のオトコを殺したのも俺、妻を殺したのも俺、ガイドはこの件に無関係、俺一人の所業だよ」と囁いて
息を引き取る、それが人間の本質だ、久々の娯楽作品だった!たまにはいいもんだ――――
2023/09/14
風立ちぬ【Cover】na Relo
2023/09/15
ちょっと涼しげで郷愁を誘う花に出合った、トラノオといえば白い花が北国に咲いてて、それほど貴重だと思ったことも
なかった、雑草扱いはしなかったけど(笑)
山野草の慎ましいい姿や色合いが好きだった亡き母は 84 歳だった、私が 58 歳で北国とこっちを行ったり来たりしてる時
にエリア争いをしてた、母は山野草をまるで藪の中にひっそり咲くあのシーンを、家の前一面に再現して楽しんでた、
後人の私は遠慮がちに花を買っては植えた、それはバラ、派手で色がきつくて(そうとばかりじゃないのにね~)
亡母はあまり好きじゃなかったようで、一度は引き抜かれたこともある(* ´艸`)クスクス
また一面に私がコスモスを植えた時には、種が飛んで近所迷惑だと阻止しようと躍起になってた「この辺りじゃ野菜しか
植えないんだから気を付けて!」と注意も受けた、
でも元職に就いて2年を過ごした日々は満足だったようよ「すごいなぁ 58 で復帰か~」なんてぉ他人様に言われるもんだ
から鼻高々だったようで、不機嫌な娘だったけど(私よ私)ホントは優しいところもあったのよ、じゃなきゃ介護は出来
なかったんじゃない? 相手次第ではね(* ´艸`)クスクス
お互いに背を向けて花に熱中してた日々は、今思えばとても貴重で優雅で夢のような時間だったのよね、その時にはそう
だなんて気づきもせずに、でもその競争心で亡母は長生きできたんじゃない?享年 101 歳だもの、
まあね~同じ趣味で、専業主婦で、元職も同じで、面倒な連れは苦手で、自分が一番大事だけど、果たさなきゃならない
責任は果たして、親族には甘ったれでとなったら瓜二つじゃないのよ、、こっちも結構めんどうくさいオナゴ同士だと
言えないこともなかった (´∀`*)ウフフ
さて亡母は慣習に則り娘しかいない家だから婿を貰うつもりでいた、それには実家の地に家が建ってたんじゃ話にならん
それに田畑んぼの持ち分はあるけど、別家としての公務員が農業をやってきたわけじゃないので、継農には当たらない、
けど登記上は農家を張れる分だけの田んぼは所有してたので問題はなく、退職とともに実践できなかったわけじゃない、
父は言った「本家と諍いを続けてきたが、年下の継農者から田畑を取り上げたとは言われたくはない、買うと言ってみて
も売れないと言われたらどうもこうもない」だから不動産を名義変更してないのだから、よそ様の息子さんを婿にしない
母は歯切れの悪い亡父に匙を投げて諦めた、だから3人の娘を嫁に出したのだった、その後、私のこのど根性で一つ上の
本家長男との闘争をして、どうしても母を自分の家の地べたにするために、奉行に出かけた、その前に本家長男に連絡
して「一緒に行くの?」と訊いたら「俺が行かなくちゃ話にならないべ」と言った(笑)
この話も何回も書いてるので(認識はありますのでご安心を、でも面白いから)あらためて今の心境を認めたい、大体
土地の持ち分なんて決まってるんだから、そのままで売買するか、はたまた等価交換するかしかないでしょう、
それを”全部取り上げたい” だなどと強欲な考えじゃ纏まるわけがあるまいよ、
私は大体の下調べは済ませて、身の丈に合った交渉をすることしか考えてなかった、というのに、本家長男は「この人は
農業の経験もなく、ずっと住んでたわけでもないから所有権はあってないようなものだから」なんて(アホあらごめん)
言うもんだから私になめられて(アラすまん)たので、奉行でこう言われた、
奉行所の窓を背に偉そうに上座に腕組みして座ってた部長だか課長だか分からないけど、役人が仕切りを立てたコーナー
に、本家長男と私の真向かいに席に着いた、相も変わらず腕組みをして書類を前にして仰々しく挨拶をした、これ以下も
前に書いたのでご記憶の方はスルーしてくださいね、なら書かなきゃいいべと言ったところだけれど少し現況が変わった
からさ、
こうも時代が変わると田畑の価値観がまるでダダ下がりで、今の若者には大屋根の家なんて要らないし、まして田畑など
要るわけねー、爺婆の考えとは格段の差があり「要らない~~~」と面倒くさがるのが関の山だから、その行方について
画策しなきゃならないのよ、
農地
しかしこの話どうして幾度も書くかというと時代の過渡期、農家の成り立ちの崩れ、放置されるしか
ない田畑、魅力がなくなった家業に”士農工商” (今はこう書いちゃイケない時代だけど敢えて、私らは社会の教科書で
習いテストにさえ出て、その価値観は不動のものと思えた親の時代には、今のように”要らない案件”となるなんて予想も
しなかったはず、大手企業のスーパーや公共施設、アパート等となる、いわゆる”買い上げ”を待つような事など想定外
しかもその現象も20年ほど経つと熱が冷めて、人口の減少により、その時の賑わいが嘘のようになって、残ったのは道路
や新幹線や朽ち果てようとしてる病院や役所や図書館や、商店街のシャッター通りとなり果てた、
人間が住んでる限りはコンビニやスーパーや美容院なども街には盛沢山!だったのが淘汰された、家具屋もシンプルな物
で結構となり、嫁入り道具だったあの大型家具セットも”要らない”というよりは造り付けとなり、花もわざわざ買いに行
くまでもなく”お届け物でーす”となっちゃった、そういう時代を鑑みたら何故あれほど亡母は拘ったのかと今なら思う、
そこがこの長引いた問題の”わけ”
ひとにはそれぞれの拘りがあって、それが生きる支えだったり喜びだったり使命感だったりしたものだけど、それが脆く
も崩れ去るなんて親の代には誰も考えなかった、今も辛うじて継農してても兼業だったり、維持することが贅沢な感じの
趣味、高級なね、とさえ言われるような感じになったからの人間の欲の皮の突っ張った、意地を張った”ツケ”と言える)
この件が書かれたパソコンを私が捨てないのも、どこかで長々と書いた成り行きを再読したい!という思いと、折角書い
たんだから取っておきたい、それは私の物語嗜好がさせたことだけど、面白くかけてたからね、
これが北国に今でも積んであるのだけど、例えば書いたことが行儀が悪かったなあと削除したり、大地震の後の大変さを
目の当たりにして、こんなしょうもないことを書いてる場合じゃないと自己嫌悪で削除したり、plala からgooへ移動した
時に削除した記事もあって、なかなかそのままと言えない私の性分で削除したのが多い、今思えばもったいなかった!
もしや復活させられるならとの思いが強くて捨てられな~い、
母の死からのスタートのブログもおかしなものだけど、感情が乾いちゃってかえって書きやすかったので削除の憂き目は
見ずに済んで現在に至る(´∀`*)ウフフ 呼称はすべて私の呼び方で、
亡母が見合いする時の”釣り書き” の亡父は農家の末子長男だが継農はしない、その分田畑は名義を残し、転任する時には
実家で農作業は続ける、飯米は送る、家はその家の林を一部を宅地として造成する
農地を使用するのに使用料を○○BANK に積み立てておく、その管理は二番めの嫁に行った姉が代行する、甘い話だった
私でさえそう思うもの~母は仲人口を信じて祖父も異論がなく、ましてや卒業した女学校の校長が太鼓判を押したし、
その祖母が 農家の婿取り長女で、既にそのⅠ伯母に婿は取って後継者も生まれてた、なかなかの粋なオナゴで、私は
この祖母を尊敬してた、名を”テツ”という、まあ農村のサッチャー(ごめん)か?
母が嫁にいった時、家に居たのは祖母、伯母と婿、嫁にいかない伯母、叔母、従兄、従姉3人とまあ、母の実家の様子と
人数的には大差ない、皆、農業に従事してた、のちに分家になる男衆が一人同居と、よくある体ですよ、