pretty woman story again

本と花と映画と音楽、
ドラマに私自身の物語、
華の 80 歳にあと1年🌹
(´∀`*)ウフフ

@ヴィンカ (s) 迷い道@農地・世襲の崩壊(前の人々の人生)Ⅰ

2023-08-27 | #日記

2023/08/27

Vinca   かざぐるまシリーズ 北島園芸

 

「迷い道」    渡辺真知子 

迷い道と歌ってはいるけど力強くていいなぁ、真知子ちゃんの漲るエネルギーにヘタりかけてた私は鼓舞された、前向き

に迷ってる意気込みが感じられて悲壮感がない、けどちょっとアイロニー含み、テクが高等ですよ♬

 




                                 2023/08/19

同じ花だってその日の様子で色も姿も違うように、ひとも言葉で曖昧な感じを表現しても、芯は(花じゃないけど)

とてつもなく強いのか知れないわ、と思ったら俄然またまたぁ (´∀`*)ウフフ

 

今の今まで知らなかったことを最近知ってちょっと処じゃない混乱をした、想像さえできなかった事だったので憤怒のみ

それを私の母はよくいう”墓場までもっていく” という決断をしたのだった、

ますます気持ちは固まった!私的な事なので書くことは出来ないし、子らにも伝えてないので悶々のさ中「ちょっと君~

何でもありじゃないんだよと咬みつきたい気分を抑えて、同じ空気を吸ってるなんて(´・д・`)ヤダ」

電車座りで過ごしてる私の身にもなってみなよ (´∀`*)ウフフ

 




2023/08/27

風に吹かれたように見せかけて、揺れてるように姿を作ってるあたりは役者よね、

 

さて先月号が届き私はどん底へ(笑)

打率5割も気に入らないけど(失敬)その席次まで下げられていい事なんて一つもなかった!記事にするのも何だか!?

それに雨が降ってて室内干しをしてるもんだからこれもね、浴室乾燥も乾燥機も好きじゃないので(^^ゞ

でも継続することに決めたんだし未練がましくするのは私の性分じゃない~と、

 

〇天沼の     〇移築され    〇本探し    〇新宿の    〇いかにもと 

初句だけ並べたら3面記事さながらで笑っちゃった、やはり仕方がなかったわね、諦めて次にすすむことにした、

茂吉センセが仰ってた苦しみも悲しみも、哀しみの欠片もないもんね~ただ見聞ですのような、味のない漬物のような、

 




2023/07/20

 

昨日の長電話のランちゃんから再びの電話で「昨日ね、P ちゃんが折角あなたを大事にしてねと言ってくれたのに、今は

何も考えられないのよなんて言っちゃってごめんね、私にも心配してくれる人がいるんだなあって嬉しかったわ、今もね

母にアイスをすすめたら、これは飽きたとか美味しくないから要らないって言うもんだからムカッとしてさぁ、こういう

小さな積み重ねが疲れのもとなんだよね~とにかく夏を超えてみるわ~ハハハッ」

そうそう、ぉひとの言葉なんて気にしないで素っ飛ばして、長女連は反省するから疲れちゃうのよ、

 




2023/08/20

 

 09/02

夕方、洗濯物を入れて然るべき場所におかない時が済まない私は、こういう処の小さな拘りが疲れる元!なんじゃないか

と漸く気づいた、子は言う、畳んで揃えて並べなくてもいいよ~、でも私は長年の習慣だからか、そのまま山にしとくの

こそ得手じゃない、気がかりなまま眺めてるのがイヤなのだ、だからとっとと片づけた方が性分に合う、

 

そして今日も夕方に(さっき5:00頃)外に出たら明らかに昨日の夕方より涼しいわ、いやーーーやっと夏も舌を巻き逃げ

出してくれたかと気分上々になった、ハッキリ言って今日の予定は何一つとして成し遂げられてはいないので(ブログ

57577  掃除、 etc.)そんなに爽快になれるはずがないのにどうしたこっちゃ?

 

思いましたね、あの酷暑を超えたとするならば、毎日がどれほどの過労だったのかと、毎日、家事をしただけでも 78 の

私には上出来!そのうえ丈夫で(あくまで今の処)いられれば御の字だよ~とね、

欲張るもんじゃないと言われてるような気もした、まあね、

 

夜もこの涼しさなら(部屋はずーーーっと除湿中)明日の弁当からまた頑張、いやいや頑張らないでほど良く手際よく、

こなしてゆこうっと!そしてブログの登場人物の愉快な人生を、子供だった私の目に映り、大人になって感じた率直な話

を出来る限り愉快に書こうっと!だってそうそうぉ人の人生を身近で長年は観察したくても出来ないこともあるからさ、

やっと”読書の秋”です、

 

 




9 月となってしまいました、気のせいか”秋” と思ったら動きたくなってました、鉢植えのバラやコスモスやヴィンカも

そうですけど、トルコキキョウやベゴニア、サマーミスとなどの土を変えて粒の施肥してたっぷり水やりを、

これからも咲いてくれるように、休んでるようだった直植えのバラやコスモス、クレマティスにもたっぷり施肥と水を、

これから花にはとてもいいシーズンになるんですもの、可愛がらなきゃ~  

 

2023/08/19の花

子が多忙につき連休は無理ということで一日きりの休日を楽しんだ、こういう時には疲れてるだろうからゆっくりお休み

なさいよというのが普通の母親だとは思うけれども、私には楽しみは花以外に、PC以外に、57577以外に殆どない(笑)

大してさ気が長いわけじゃなかろうもん、せめて元気なうちは週一だけは家で飲み会ぐらいはつきあっておくれよ、

飲まない連れを持つとこういう苦労もあるのよ、素面のヤツ(失敬!だって理由は山ほどじゃー笑ー)を相手に飲んでも

その”旨さ” は共有デキるもんじゃないのでね~

裏の梅を梅酒にしたら上出来だった!ソーダで割ってと子は言ったけれど、やはりロックが美味しかったわ!

子よ~今は面倒だと思ってるかもしれないけどママ(私よ、私)は不滅じゃないんでね、少しぐらいは付き合ってくれ👩

きっと懐かしく思い出す時がくるわよ、「親との酒も旨かったなあ」🍻ってね、

親の言葉となすびの花は千に一つも仇がないって言うじゃない?説教酒じゃないので徒も何もないけどさ、

茄子には徒花は咲かないということでしょ?(´∀`*)ウフフ

 

 




2023/07/17

始まりは地味な寄せ植えだった、それが脇をなぎ倒し堂々の主役になった Vinca!

長女連の3人の老後だけでも様々な模様があって、家庭環境の変化や”家” の存続の手立てや、家業や稼業の違いによって

起こり得る様々な変化を予想できなかったのは、偏に時代の変化による価値観の違いや、言葉を吞んでた人が多かった

昔と違い、今は人の数だけ主義主張があって、抜き差しならない処に来てしまった!

農地

たとえば”家” 今までなら長子が(オトコが好ましいがオナゴでも婿を取るという手段で)家を継ぐのは当然とされてきて

誰もそこに疑問は持たなかったし、異論も挿まなかった、

私は両親の農家の家だけしか経験はないので、商家や勤め人や技術職の家の様子は分からない、ので、農家についての

継承の在り方や、そこに起こり得る事象についてしか書けない、狭論といえばそうに違いないけど、

 

よもや農家の後継ぎがいない時代がこようとは誰も思っていなかった、例えば稼業が、家業が気に入らなくともその家の

長子は他の仕事に就いても、ぉ他人様を雇っても、とに角その家を守り親を守り祖父母を看取らねばならないとの考えを

捨てることはあり得なかった、

 

今までも幾度もこの家については書いたけど、今回は現在の様子までを辿りたい、これが最後のぉ話と、感謝を込めて、

大好きな家でしたので、私の大概の性分や思考や行儀や言葉遣いはここで、親族と共に暮らした日々で育成されたと思う

この農家が離農の上、解体の憂き目をみようとは誰も思っていなかっただろうし、私自身は想像さえ出来ないでいる、

 

この家を継いだのは母の弟の長女で(私より8つ若い)婿をとった、右端にぁの叔母に抱かれているリボンの少女なのよ

内気で優しくて、でも長女連ですから芯は強かった!だからここまで婿と暮らせたんだわね、

私はね、初対面からこのぉ婿さんは苦手だった、きっと向こうもそういうでしょう、P さんはこの家の人みたいだったと

 

そりゃそうよ、私はこの家で生まれた時から自由にしてた、祖父にしてみれば長女の長女で、初女孫(外孫だけど名づけ

けたのは祖父)で、この上なく可愛がって貰ったもんだから、幼いながら天下!だったわけ(笑)

 

しかも母が婚家で(父は戦地へ)暮らしてて仕事もしてたんだから心配で仕方がなかったでしょうよ、それで私を叔母に

育てさせていたから内孫扱いで思うがままだったのよ、

 

この姉妹の実家は4代目の農家で、その家にはオトコ3人、オナゴ4人の子が生まれた、左の徳利を持ってるのは長女で、

右隣は次女となる、馴染みの姉妹ですよ、その父親が羽織袴で気どってる古い玄関先、龍馬気取りで懐に両腕を、

これが私の母方の祖父でございます、

 

写真ファイルから探して載せてるので順不同になるとは思うけれど、懐かしい一枚が見つかったので掲載しちゃいます、

私は嫁に来る前にその地の風習に従って、婚儀に招くも遠すぎるので、縁者を招いて”立ち振る舞い” をしたのです、今時

のように車でハイ!というわけにもいかなかった頃ですから地元で座敷を、

その時の祖父と3番目の叔父とのツーショットなのよ、その後、この叔父は42の若さで他界したのですけど、私には深い

思いを残してくれた叔父です、

 

この叔父はハンサムだった、背も高いし勉強も不得手じゃないし、何より人当りがよくてしかも3男坊、どうです?婿と

しては喉から手が出るような存在だった(でしょう、だって私はその頃は未だ生まれてないし叔母からの見聞録含みよ)

引く手数多とはこのことでしょう、地元の旧制中学を(現公立地元高校、私は同窓となります)卒業する頃には、当然、

家を出て進学と思いきや、叔父は積極的には動かなかったらしい、

叔父ひいきの叔母は勿体ないと思い「おとうさん、好美を進学の準備させて(この叔母は私が転校の折、女子の少ない

この高校をすすめた、転校だし女子校だべと思ってた私まで、いや祖父まで動かして、私をほぼ男子校風な処へ向けた

張本人なのよ、分かるでしょ(´∀`*)ウフフ)

そう懇願したら祖父は言ったそうだ「その先の職業に希望を持ってないらしく地元がいいというんだから仕方がないべ」

 

そしてまるで結婚相談所のように婿話が舞い込んだ、叔父は「農家の仕事は出来そうもないから」と辞退した、あの辺り

じゃ通り相場だったんだけど、就職の話も舞い込んだ、地元農協(現JA)信金、今思えばそんな好機はめったにある話

じゃないのに当然だと思ったらしい、世間知らずな叔父は近隣の市にある”BANK” を選んで自宅から通勤したらしい、

きっと農家の3男だから自分の先行きは知れたもんだと叔父は拗ねてたと私には思えるけど、

 

汽車通だった叔父は朝早く起きて最寄り駅まで徒歩で、職場のBANKは今でもあってエリアではイチオシだから安定して

しかも信用も大事ということで生真面目な性分も見え隠れして、なかなかの優良株と言われてたらしい、

そこでも持って生まれた”徳” としか私には思えないけど、身びいきが過ぎるかもしれない、と、ここまで書きながら私は

気づいた、

 

農業の世襲はこの段階で仕舞いの方向へ進み始めてたことに、だって当時の家督相続者だった祖父は継農は書類上はした

けど、実労働はしていない、田んぼに入ったり畑を耕したりしてたのは”祖母”(裏方に徹してたのか、写真がない)で、

ぉ他人様を頼んで毎日働いて貰い、今風に言えば3食・賄いつきの仕事として成立させてたのも”祖母” だったのだから、

 

スケジュール調整や家の経済や親せき近隣とのつき合いもすべて”祖母” 川向こうの農家から、たった二人姉妹の長女で

本来なら家を継ぐはずの立場だったけれども、祖父の男っぷりの良さにまいったらしく自分から、あの家の嫁になりたい

と言って川を渡ったオナゴだったからね~長女連の強さですよ、名はトモヨといった、

これ、祖母に田んぼの畔≪クロと教えられた≫に並んで座った私がインタビューした「おばあちゃん、向かいの家のおばあ

ちゃんと二人姉妹で、なんで長女なのに、こっちの家に嫁にきたの?」 (´∀`*)ウフフ

 

長男である寿美叔父は「農業は継ぐ、家も出ない、その代わりに”JA” に勤めるから今まで通りに田んぼと畑は人を頼んで

する、そして弟たちは自立させる」という方針を打ち出した、その頃には私も小学生になってたので、その変遷と成り立

ちは具にこの目で見た!(笑)

 

その長男・叔父をひいきにしてたのが姉の長女連の恵美、その連れが公務員ということに胡坐をかいてて、自分の好きな

ようにしか暮らさないし、自前のスーツは全てお仕立てで、勤め人のぉ給料では手が出ないようなものを平気で買っては

洒落街道をまっしぐら、おまけに酒にはめっぽう強くて、お家にはなかなか帰らないし、帰ったとしても夜なんだか朝か

それは夫婦の問題だからさ、あ!長男叔父の話です、

 

長男叔父もやはり手前勝手の小難しいオトコで、けれど世の中にいい意味で、適度に迎合は出来て、しかし野望などは身

の他と心得て、地元JAで好きなように泳いでた、言葉は悪いけれど”大人の階段を順調に昇っていった” 

そこに長女はオトコ気を感じ気に入ってたように見えた、オナゴはない物強請りですからね、それも生きるバネとなるな

ら、そのひとには必要な性分でしょうから、

 

その長女は気に染まない連れといるよりは実家が、親が、弟妹の傍がいいとしょっちゅう里帰りを繰り返してた、小学生

や幼稚園児は休みが多かったのでね、だから私もそうしてた(´∀`*)ウフフ

 

2023/08/27

二番目の叔父は福島の学校に行き、その地元で昔の農林省管轄の農政局?に勤務した、祖父はそれを快挙と思ったらし

く、嫁にしたいオナゴを連れて来た時には大喜び(私がなぜその時居合わせたかというと春、夏、冬休みの帰省中)

 

普段は使わない奥の座敷に夏茣蓙と衝立を叔母に用意させてたのを覚えてるから、誰にもそれまで用意させるのを見た事

がなかったので珍しいなあと、それこそモノトーンな思い出ってか?(´∀`*)ウフフ

小柄で色白で愛嬌が(これは私の感想じゃなくて、大人達のあれこれに聞き耳を立てた結果、残った言葉、当然です)

よくて町場(あの辺では都会のことを”まちば”と言ってた)の人らしく洒落てるなあと感嘆!

でもそこまでで、それ以降は殆ど会ってないので、きっと叔父の実家は苦手!だったのでしょうか、喧しいもんね、

 

三番目の叔父はますます拗ねて、家には居ずらいらしくかと言って、それこそ町場じゃないから部屋を借りるなんて事は

想定外だったのか、結局は見合いしてあっさり婿入りした、

あの高校の同窓生で、私が言うのもなんですけど美人で、叔父には自慢の妻でした、優しい母親で息子と娘を産み育てて

旅館の女将になりました、

 

近隣の町の温泉宿の若主人と言われてやっと居場所を持てた!と思ったらしく、その実家にも仕入れの帰りに寄って茶を

飲んだり、世間話をしたり、今までの悶々はさっさと捨てて意気揚々だわと私には思えた、

その嫁は旅館の長女連だからやり手ではあるけど、まだ現役の女将ではなかった、その母親がまた婿取りなので、旅館は

オナゴで持ってる現実そのもの、そこに入って丁寧に扱われて「若だんな」なんて呼ばれた日にゃ気分爽快だったでしょ

「P 子、この本は大人のオトコが読む本で”会社四季報” というんだぞ、オトコを選ぶときにはこの本を読め」ってあなた

私ゃ、まだ小学校にもいってない頃の話(´∀`*)ウフフ 今では読めばよかったと思ってる(笑)  

 

さて後継者の一番叔父は宮城の商家から嫁を貰った、その時に農家にはぉ嫁が来るのは難しいのか?というような現実も

感じたりしてたので私は素直に良かった!と思った、

静かで控えめで、けれど何だか哀しみを抱えてるような感じだった、私には優しくて、よく私室に連れてって本の話や

義叔母の実家の 90 を過ぎたお婆さんの口真似をして私を笑わせた、御年を訊かれるそのお婆さんは店に座布団を持ち込

んで、店先(確か質屋さんだったかしら?)の畳の処に正座してて「私ゃもうすぐ100でがんす~」と応えてたという、

その話をしてくれる時だけはころころと笑い転げてた、

 

そりゃ当然ですよ、一番叔父に嫁のきた時には、わずか2日で婚家から走って戻ってきた叔母と、4番目の叔母が病死の為

福祉関係の仕事の埋没してた祖父は、戦争で親を亡くした娘を養女にした未婚の娘と、曾祖母(このお話にも感動あり)

祖母、そして祖父と住みこんでた若い衆が二人(りゅうじさんと中学生のしょうじ君)、それに長期休暇には間違いなく

3人の子を連れた長女連の義姉、同じく近くに嫁にいった(このお話にも感動あり笑いあり)三番目の(ぉ嫁にすれば)

義姉が来て、今なら嫁さんに来ても逃げ帰ったと思うほどの大人数の毎日だもの、

更には今なら書けないし書かない方がいいけど、私には大事な、この家の後継ぎをとの要望が多くて堪ったもんじゃなか

ったに違いない、同情なんて言う言葉じゃ足りないほどですよ、

それを見たこともない農家に嫁にきたからって、農作業はしなくてもよいとは言われても居場所はなかなか見つけられな

かったでしょうよ、よく庭の草を独りで毟っていました、休みの度に来る私たちを、イヤな顔しないで迎えてくれるぉ嫁

なんているはずないもの~草を毟る時のオナゴは色々と逡巡してるに相違ないと今なら私も分かるのよ、

 

オナゴ達の物語の方が味があって奥ゆきがあって、普通のオナゴとして生きたはずなのに内容はそれぞれで、話としては

お面白いし、ぉひと様の人生を面白がるだなんて言語道断!との気持ちもなくはないけど、そこには肉親としての、関り

深く日々を共にした私だから書いても傷つけることにはならんでしょうと思った次第、そしてあの世で終結してるだろう

ことを思えば、そろそろ私だって向こうに参会するやもしれないので思い出しておこう、茶飲み話になるだろうから、

あっちへ逝った人たちの方が多いんだもの(´∀`*)ウフフ

 




 

 

 

 

 

コメント (4)
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