06/02
好きだわ!この花の色と佇まい、春先に戸口に花がないのは寂しいので鉢植えを買ってきたんだけどプレートがない、
ので散々PC検索して、とても似通った花が、カンパニュラ👆好きな名だしいいか~と思い、
種類は分からないけどこの名を選んだ、👇直植えしたら尚更好みに添ってきたので咲きっぷりがいいじゃない?
なにせ花がないと私のブログの取っ掛かりにはならないのでね、
06/02
顛末 今朝、10:30 にバイクの音がしたので慌てて玄関へ!ありましたよ~封筒が、そして懇切丁寧に注意書きが9枚?組
これじゃあお年寄りには何が何だか分からないわね~と、お年寄りの私が思った、
クーポン券の数字とコールセンターで対応と決めていたので、封を切るなり電話した、その間 5 分くらいかしら?
1回目「&%$#’”(‘@:;」想定内です、すぐに2回目をcall!! すぐに、けれどたどたどしく「こちらcallセンターです」
「お忙しいと思いますがワクチンの申し込み・・・」と私、こっちも少し動揺、待ち侘びてたのでね~
既定の数字の確認や生年月日やを訊ねられてるうちに、こっちは年の功でか淀みなく,はきはきと、そしてあろうことか
他に訊く事ないの? のような私の余裕になってきて、
「くれぐれも持ち物を確認なさって気を付けてお出で下さい」と相手、私も「お気遣いありがとうございます、ご丁寧で
感謝です、失礼ながらお名前を、失礼いたします~」相手は名を名乗れなんて想定外のような反応だった、
奉行もやればできるじゃないの?と妙に感動した、洋服ダンスの中のものを全部出して吊るしてある部屋で、洋服の下で
早苗田を眺めながら完了した、
05/28
この花を探してた 👆 ムラサキケマン、なぜか姿も色合いも好きなのよね、道端によく咲いてる花だけど、
草むしりの序に軒下で見つけた、
なかなか今季は巡り合えなかったのよ、咲き終えてるのは見たけど、これです!葉っぱも元気なのがいいわ、
05/28
散り際を接写した、蕊は色を変え花びらに夕日の陰影を、しかも風に揺れ得も言われぬ色っぽさで、春の思いがけない雹
の憂き目もものともせずに咲ききった、この強さが好きだわ、
オナゴがの嫋やかななかに秘められた強さがあるから好もしい、見るからに強いんじゃ惹かれないのではない?同じね、
このようなご時世に華やかなことを欲するとは罰当たりなことだとは思うけれども、家の中で独りでアタマの中で思う
ことぐらいは許される範疇でないべか?
地味な暮らしにほとほと飽きて(失敬)ハイ、友達と集うこともしないし、路上飲みなんてアホなこともしないし、
旅なんて以ての外だし、ただただ土にまみれて草引きをしてる、規則に則った農婆の日々で、
お洒落もできねー、歌も歌えねー、買い物だって実用品のみを完全武装で短時間で切り上げる、絵に描いたような国民!
従順な私じゃ決してないけど、ひとりゐでこんなにキッチリぉ国の方々の一貫性のなさに辟易しながらも、
せいぜい小さな自爆をしてるだけで大人しくしてるなんて国民の鏡だよ、脚光はもはや当たるはずもないけど(笑)
何もしないで、ただ思いめぐらしてるだけじゃ時間がもったいないから(実は草引きの予定だったのが雨でチャラ)
だって限りある命ですよ、一番いい時だったはずなのに、オトコもオナゴも卒業して楽しめるはずだったんですよ、
同級会だってし放題だったはずなのに、次々に旅立ってしまったし、
こんなに真面目に生きてきて、すべきことは何ハラだろうが気づかぬふりして邁進してたというに、これが老いの褒美か
見過ごせないわ、優遇されたって当然だったでしょうに、書いてるうちに腹立ってきた!
ママの使ってた部屋中に洗濯用の竿をできる限り長押に渡して洋服の断捨離を決行することとした、
には着るものを虫干ししながらの方が効率的だから、今までと違って着ようが着まいがとにかく下げまくることにした、
しかもシーズンごとに、そのシーズンを二回スルーしたらおさらば!という基準で、
誰が来るじゃない農村のおきてに従って自粛の折だし、ぉ出したり入れたりする必要もないからさ、なんだってまんまの
儘、風を通し陽に当てて(ほどよくね)下げっぱでいいし、
しばらくはカーテンも開け放して(何時も開け放してるけど)洋服の殺菌も含めて、時間をかけようっと~断捨離の極意
空いてる部屋には服を下げろってことで、南側がおすすめですよ~そして気づいたら何度でも眺める、
05/26
草引きを進めていったら軒下に隠れるように一輪の👆苧環が、嬉しかったわね~だってあんなに咲き揃ってたというに、
今季は消えたのよ、そして位置を少しずらして一株だけ、それでもいいもんね、咲いてくれりゃあ、来期につながる、
蕾もついてるし、もし咲いたらまた載せましょう、草引きの効、
05/25
無事にバラが 👆 五月に間に合った~♪冬に過酷な環境で咲かせてしまったので、優しい気持ちで土に返してよかった
05/29
この👆と👇のニッコウキスゲは同じ日の同じ時間に撮ったのに色気が違う、もちろん黄色の鮮やかな方を載せようとして
気づいたことがある、👆は年増(笑)葉も太いし色も濃い、厚みが違う、完全にオナゴの坂を越えた花だわね、
に比して👇は色良し艶あり、花びらも瑞々しいのは一目瞭然、手折るなら躊躇なくこっちだわよね、そういうことか、
株が新しかったら水を勢いよく吸い上げて、日差しも受けられるきれいな花びらの肌だものね、
クーーーッ!!! これが花とオナゴの現実だった!
05/29
05/29
05/27
👆 曇天にニッコウキスゲが一輪咲いてた、やはりこういう言い方はベタだけど励まされる、堂々の一輪、堂々の独り
一日花という潔さで昨日の花殻を摘みながら今日の二花、咲いては枯れ咲いては枯れと生真面目な花だわ、
花に喩えるなんて烏滸がましいけど~~~ね、群生の姿載せますね、
05/29
05/29
自粛を促されてるうちにぉひとと会わない期間が長すぎて、それぞれのお宅でいろいろな家族の変化があっても、態々
伝えることもしない成り行きが多くなったとは思ってはいたけど、
たとえば入院しても面会できないから伝えない、手術をしても会えないから伝えない、「余程の時には連絡は来るべ~」
そういうスタンスで暮らすのに慣れて、ぉひととぉひとの親密度はいつしか低きに至り、そのうち干乾びるのかもなぁ
そこで今までの付き合い方を見直すということになるのね、親族とは名ばかりとなってる気がした、
最小一家族単位が無事ならいいかぁのような、となるとブログって役割がおおきいね、
05/24
05/28
👆 晴天につぎつぎ花は咲き始めるんだよね~
05/22
👆イチリンソウの蕾が可愛いわね、一面に咲いたら載せますね~
05/23
控えめな花の開き具合が一層可憐な👆イチリンソウ~よ、
05/27
👆フランス菊がいよいよ一面に咲きそうですよ、ここまでするのに何年かかったやら、まあ、気長に待った甲斐があった
05/22
このぐらいの花の咲き方もいいもんだわね~👆フランスギク、この花びらの様子がとても気に入りましたよ~
05/22
今が盛りともいえましょうか👆コデマリ、いいですね~ここまで咲かせたのは初めてでうれしいわ💛
05/22
花の流れのような👆コデマリ、接写もいいでしょう、
パパの教え、とは大げさだけど今にして思えばよくよく分かる、娘を3人持ったパパとママは将来を考えた、
パパ「よそ様の息子を我が子(婿に貰うには養子縁組をするのが極当たり前のご時世だった)として戸籍に跡を残すのは
後の後までその婿に責任を持つということで、娘にその重責は担わせたくないから婿は取らない」
ママ「娘に婿をとらねば私らの行先は不透明、そして苗字もなくなるし墓守も決められない、早く娘婿を決めてほしい」
この二人の思考には格差があって、オトコであるパパは先見の明ありでオナゴであるママは慣わしによる決め手だと思う
パパの言葉「P子、オナゴは愛嬌じゃなくてオナゴは甲斐性だぞ、名を捨て実を取るということだ」
その時は私は 10 代だったので意味が分からず?だった、でも今にして思えば、祖母も曾祖母もオナゴとして婿をも見守り
ながらも、自力で継農してきた現実を見てきてパパは、オトコはもしやオナゴには勝てないと思ったから、私を男勝りに
育てなくちゃイケないと思い込んだのね~
パパの考えは、その親が、そのまた親が二代の婿取りで、継農のためにオナゴの苦労を目の当たりにしたからだ、続く
ちょっと続きを飛ばしてましたので、後ほど追記しますね、農家のオナゴが主になっての継農の大変さは、現在増えてて
しかも、その大きな原因が避けられない、予想だに出来ないこととあれば楽観視は出来なくて、
パパはきっとそういう判例を見続けてきたので、結論としてこの家は自分たち夫婦で終えて、娘たち3人は嫁に出すと決め
実践したんだと今更ながら思う時が多いのだよ⁂
05/22
いつもなら草に括られ摘まれる👆ハハコグサ、ちょっと気に入った塊だったので増やそうかしら?
05/22
まだまだ蕾の👆ハハコグサ、小さな蕾が咲くのをお楽しみに~
05/22
おそらくは 60 年くらいは経ってる👆ヤマツツジで、父が植え母がそのまま咲かせてたので、
05/22
ピンクの色がいいね~👆ヤマツツジ、花びらの模様もかわいいわ、
思えばワクチンに期待するあまり早急さを望み過ぎて、なんでこっちだけ緩いのかなあと不満があった、けど、考え
が変わった、今誰より早く!だなんて思わなくても、差し当たって私が今の処は丈夫だし、
家族も関東で何事もなく過ごしていられる状態だし、縦しんばどっちに何かがあったとしても、安易に動けない状態が
続いてるようなら、じっと我慢しているしかないと腹を括った、
子はそれぞれ自立して、その暮らし方をそのまま継続すればいいわけだし、親としての私は子を無事育て上げ、孫も無事
だし、【D】も気ままに安全に過ごしてるならいいじゃないかと思ったのよ、
親もあちらに無事におくったんだし、私の今は思うほど暗くはない気分だし、整然としてゆく外の状態を眺めるにつけ
もっと残ったところを綺麗にしたいなあと思えるしね、心の余裕が一番大事~とね、
世の中は大変な日々が続いてるわけだから声高に言うのは控えなきゃならないのは分かってる、高齢者の居心地の悪さも
十分に感じてるからこそ、出来る事は何?と思ったときに、むやみやたらに焦らず待ちますと、
奉行には奉行なりの考えと実践があるのだろうから、けっこう県内でも進んでるようだけど、ここはひとつドン!と構え
草引きに精を出します、雨が降らなきゃね、やっとこの考えに辿り着けたのよ、大げさに言えば達観の途に、
👉
05/23
👆マユミの蕾に地味――― ―な花がちらほら咲き始めました、もっと花が咲いたら載せますね、
外を眺めると草ぼうぼうで怠けてるなあという家の周りだった、何をしても長続きしないで、やはり独居は私には無理
というもんか?とまで思った日もあって、
でも世間体第一の私(笑)ですから、その整然としない外模様が気になって、雨も続いたから尚のこと草草は自由自在
で、私はその思いだけに翻弄されてた、けど、諄いようだけど霧がさ―――っと晴れたように、ある日突然意欲が湧いて
こうなればしめたもので、外をして、その合間に食事の後には冬物と夏物の入れ替えをして、もちろん、収納箱はその儘
通りすがりに入れたり出したり押し入れタンスに仕舞ったりだから、
そして少しテレビ眺めて、ニュースは文句言いたくなるから止めてドラマ・録り置きを、今日は頼まれ校正があったから
それを午後には制覇して、今はTVでニューヨーク~充実してたし心身が軽かった!待てば海路の日和ありって、
部屋も北側から南側に変えて、カーテンも開け放して、
よそ様の早苗田を眺めながら、言葉をメモしながらと充実の一日だった、老いたら舵取りは自分ですればいいのだから、
05/23
こうして見ると👆マユミを観察し続けたいわ、地味な花があの赤い実をつけるのよ?消毒をしなきゃ、鳥に注意を!
明日は雨模様の予報だったから今日は頑張りましたよ、今のところは私にとっては唯一の仕事、の後はやはり爽快!!!
9:30 ~11:30 am 、 1:00 ~ 3:30 pm 熱中したのよ、もはや毟るというよりは引くというほどに草は育ってた!
窓から見ては気がかりで、なんかみっともないなあと、
雨の合間だから草は乾く間もなく、引いた草を、防草シートの上に広げておくと本来は乾くところを立ち上がったりする
でもしないよりはしておいた方が気分は宜しいわけさ、農婆は健在(*'▽')ですわよ、
今まではいやいやしてたので、あまり快感~ではなかったけど、今じゃあそれしかすることがないので、ならば楽しもう
腹立ちニュースを観てるよりは精神衛生はるかに健全という感じ、口角下げてテレビに向かって文句言ってる様な時間
よりはね、それに運動不足でデ◎回避が困難になってるので(* ̄▽ ̄)フフフッ
05/24
ちょっと今までの色と少し違うのは土のせいかしら?バラ、でも間に合ってよかったわ、咲きそうよ、
咲いたら天辺に載せますわ!
05/23
少しづつ開き始めたバラ👆適度なお湿りはありがたいわ、水やりだけじゃ花の瑞々しさが違いますので、
CS 2 308 ニューヨーク恋物語
どの花がお似合いかなあと迷ってたけどやはり赤いバラでしょう、追っかけ追悼ドラマを何本か観たけど、おいおいね
なぜこれがトップかというとキャストがすごいのよ、
まさか正和様が(浩市様とはまた別なジャンルですゆえご理解を)地下の会員制のバーのマスターで、エリート商社マン
から脱落して危ない橋を渡ってる様な役は想像もできなかった、けど、魅力的なのには違いないわ(^_-)-☆
もうもう綺麗で言葉も出ない、懐かしさや切なさが綯交ぜになって、久しぶりにドラマにのめりこんだ、イッキじゃ
ないので、時間がリアルで、待つ間の想像やら期待やら、なお更そうだからドラマだし、自分が過ごしてきた時代と、
リンクするスタイルや醸し出す雰囲気や、恋の駆け引きや妥協や、別れや再会や、ネタ満載!
これもこっちの気分が平穏だから(笑)
もし自分が今何かで迷うような、揺れるような気分だったら、love story に酔ってはいられないからね、いい時間です、
『ニューヨーク恋物語 LOVE STORY IN NEW YORK』は、1988 年というから私は 43 歳だった、子が三人の家事のみの
暮らしで、長女14歳、長男・次男は12歳だったから目まぐるしい日々だったのは想像に難くないでしょ?
でもドラマを観た覚えがあるということは、他一名はご自由だったので(* ̄▽ ̄)フフフッ不在ということでしょう、
恐らく殆どは家庭には参加してなかったわ「仕事で!」今思えば私も大したもんだよ、だって今でいえばワンオペ育児?
ハイハイ、そのものでした(笑)
¥を笠に着て、いかにも自営業の大変さを溢しながらも、そう大して苦労は顔にも出ないんだから、楽しかったんじゃ?
まあいいんだけどね、そりゃあそれぞれ言い分もあるでしょうし、子らだって不満もあったでしょうよ、
でも出来た子らで不服なんて口には出さず、この親だしなあとでも得心してたのか、
無事に何事もなく私は育てられたんだからいいんじゃね?
あら、横道に逸れちゃいましたわね~キャストね、今だったら恐らくは揃えられない、しかもお年頃がよくておきれいで
バラなら蕾というところでしょうか、
夏桂子(田村さんの元カノ)真田広之(桜田さんの元カレ)岸本加代子(最初はフリー)桜田淳子(真田さんの元カノ)
柳葉敏郎(後に李さんのカレ)李恵淑(田村さんに憧れるも後にバイバイ)という複雑な関係で(敬称略)
なつかしさ満載のお話で、見つけて録り置きしときますわ、内容はまたということで、
ニューヨークとは言えませんけど仙台ではこういうシーンはありましたよ、その頃から婆じゃあありませんので(笑)
真田さんには申し訳ないけどオトコはそれほど負けてませんでしたよ~
嫁にいくとかいかないとかなど関係なく、5,6人では楽しんでました、空き時間には、あるいは講義・ドタキャンの時
礼拝堂で打ち合わせして、名画座、喫茶店、部活、図書室、学食などで楽しんでました、
その傍らでは学生運動の張り紙があちこちに張り巡らされてたり、半分剝がれてたり、よくある情景が、でも私は全く
それには関心がなく、青春のエナジーをそこに注ぎ込むことなど考えられないことでした、
こっちから一緒に行った友達はすぐにその熱きシュプレヒコール?に魅せられて、どんどんのめり込んでいったのも、
今思えば青春の一コマだったでしょう、
そう言えば私らのグループもオトコは免許を持っていたのでドライブはしましたよ、そのメンバーで宮城県を本拠地とし
秋田県、青森県、福島県、福島県、山形県と休みの度に旅をしました、それ以外の時はバイトしたりして、なるべく親に
強請らず地元の近くの場合はそれぞれの実家に泊まるということで、
そうすれば親もどういう方々と己が子が遊んでるかが分かるので、民泊形式は歓迎されたものでした、世知辛くなくて
ほぼほぼゆったり旅でした、
今思えばその時にしか遊べない遊び方があって、その時惜しみなく遊んでおいた方がいいと、今更ながら、こういう時が
来るとは思ってなかったけど強く思うのだよ、
気分次第で二回分の記事を行ったり来たりするので紛らわしいけど、赤裸々よりはいいかと思ってね、いくら老いた
からと言っても、ぉ他人さまも引き合いに出すものだから、
それぞれが卒業して就職して、あっちこっちに飛んでしまった私ら5~6人組も、色々あって、順調にウエディングに、
辿り着いたのもあれば、居住地が離れてしまったのでバイバイして、それぞれ似通った時期に、諦められたか(笑)歳か
別の相手とにかく夫婦になったり、独り身を通したひともいたりして、なかなかユニークなその後でありました、
それでも時折り集って飲んだり喋ったりグチったりしながらも、なんとか現在に至るの図だよ、
詳細は差し障りがあるのであまり書けないけど、さよならあり、お連れの介護あり、ご本人の○○症ありで波乱の時だわ、
それにコロナ禍ですから、再会はままならず、事情も遠くなって分からない部分もあり、
老いるということはこういうことを言うんだなあと、ママの時とは全く違った視点で考えるんだなあと思ってるところ、
あ!ニューヨークね、夢をもって上昇しようと努力して、時に生きるために意に添わぬ仕事をしたり、時には集って、
楽しみながらも、異論同論が激しくいきかい、成功する人、失敗する人、愛に悶絶する人、
若者はまだ若さがあるから、時間もかけられるのだけど、そうでもない田村さん・役は、危険な話に手を出して、どん底
今までの田村さんにはなかったような、うらぶれた姿に私はドキッ!!!
どうしてこういう役をお引き受けなさったのかと、あまりに哀しい出立に、私がうつ向いてしまった、役者なんだからと
分かっていたけれど、先が読めない話なので、
愛とは素晴らしいものだ、私には考えられない愛のなせる技を見せてもらった、
仕事も失い好きなオナゴには捨てられ、やっと住んでるところは確保してるけど、それもいつまでかはわからない状況、
よれよれのトレンチコートに汚れた靴やシャツ、そのうえ無精ひげがたっぷりとくりゃあ、その後はないでしょう?
おまけにアル中で酒瓶を手放せず、空瓶を漁ってるようなオトコに、その美しい心を捧げるということがあるのかしら?
それなのに、田村さん・役は元カノの夏桂子さん(この方を覚えてますよ~とても素敵な雰囲気の女優さんだから)に
フラれてすっかり意気消沈~情けないっちゃあ情けない、夏さん・役には夫も娘もおりますもの、
あのよれよれだったトレンチコートの酒浸りの田村さん・役を、ここまできれいに再生させた加代子ちゃんは当然、
その恋人として物語は進展するかと思いきや、
加代子ちゃんの判断力のなせる業とでもいおうか、好きで好きでたまらないはずの田村さん・役をアメリカにおいたまま
日本に独り・帰国したのよ、恋に引きずられる人生も悪くはないし、悔いもないとは思うけど、
やはりひとは居るべき処があって、自然にそこに引き寄せられて自立をするんでしょうかね?賢いオナゴだなあと思った
ここ一発!(あらごめん)という時の判断が、その後の人生を左右するし、愛情が絡まると尚更ややこしくてね、
流されるのもオナゴ、流されないのもオナゴ、
柳葉さん・役は元に戻って、桜田さんはひとりになって仕事バリバリ、真田さん・役は少年とその母が待つ処へreturn!!!
とまあ、想像からは遠い結論でしたけどオナゴの決断力の強さを知りました、
このように緊迫した昨今だというのにアホのような記事を載せて迷うところは多々ありますけれど、書いてもイケない
観てもイケない、笑ってもイケない、出かけてもイケない というなかで、時には難儀な時だとは認識しながらも、
自己解放しないとちょっとね、非常識の極みと思わないでもないけど静かに規則を守りながら、世事を憂えて、さらに
腹立ちも含めて、少し深呼吸したいの、
BS 181 『総理と呼ばないで』 貴一ちゃんの総理の時と少し似てる気がするけどこっちは笑いが多いので、
こんなに面白いドラマを私は見過ごしてたんだろうか? 1997 と言えば 52 歳の私はとても私的に忙しなかった、子らは
成人して学生で、子のためのすることは家事だけで、殆どひとりゐと同じような状態だったのに、何がそんなに多忙か?
巷によくある【D】関係の戯言に振り回されてて、けれど子らには(子らは一部は察知してたと思うけれど)いい格好して
当時、なんの難問もなく結論は出せた時期だとは思うけれども、このまま引き下がるのも癪に障るなあと思って、
こっちに来たりあっちへ行ったりしながら過ごす6年ほど前の話です(* ̄▽ ̄)フフフッ
オナゴの五感を駆使して、その件に関して静かながら気分激しく日を過ごし、時間を使い、今思えばその時の忍耐力は、
オナゴながら、いや、オナゴゆえかあっ晴だった(爆)オトコの身勝手な言い分【D】に限ってですよ、よそ様のお連れ様
には、そのようなことはないでしょうから、私事はさておいて、
だから総理と一緒にするわけじゃないけど、夫婦仲の悪い設定は面白いし、もしやと思えるようなモデルが今ないとは
いえない(*- -)(*_ _)ペコリ
夫婦仲は険悪で支持率は最低で、仕事と言えば「しらたき娘がしらたき人形を持ってきて一緒に笑顔で写真を撮る」
色々と試食して「俺はしらたきと言えばすき焼きしか食えない!」そりゃそうよ、しらたきのお汁粉まで出たんだから、
三谷さんが鬼才と言われるのは至極当然で、
脚本が遅かろうが、ちょい役だろうが参加することに意義がある、あら?やってられないわよね~そこで決まらない、
幹事長を決めるのに、大学生の娘の家庭教師に応募してきた若者を推挙!
向こう見ずと言えばそれまでだけど、三谷さんの脚本を思えば、必ずやいい方向へ向くわけだけど、そこまでの過程が
面白いので見入ってしまう、いかにも官邸でありそうな、連れの我がままと自意識のなさと不満たらたらのセリフが、
夫婦だからか憎しみあってるからだからか、好きなのに正直になれないから気を引きたいのか口論を楽しんでる様な処、
色々とそれなりに苦悩はするわけだけど、食べちゃいけない某国からの観賞用のカニを茹でて寄ってたかって食べたり、
グリンピースが嫌いだからと言っちゃって陳情者が癇に障って大問題にしたり、
で、高笑いに至ったわけは、その幹事長が「ごめんなさい!と言っちゃえばいいんですよ~」とアドバイスする、に従い
ぉ役人の書いた下書きをさっさと閉じて「食べちゃいました!ごめんなさい」と言ったら受けがよかったので、
グリンピースの件も「ごめんなさい!」でスルー、「俺、こつ掴んじゃったかも!」と、それにしてもいい笑顔だわね、
こんなご時世になんだけれども、何も思い通りにいかず、ただただ家の中と外を行き来してるだけじゃほんとにね?
なので放送されてるんだから観るの図式で、国会ってこういう風に動いてるのね?と思えば、絵空事だから笑ってしまう
地方に隕石が落下した事件を受けて「今、何時だと思ってるの~ヤダよ、どうして俺が隕石の尻拭いまでするのよ」と、
奥方は夜遊びに奔走してるし、大学生の娘は劇団に参加して、殆ど午前様状態で、総理はアタマは痛いわけよ、