01/21
間口を広げて とは容易い事よ、なにせ今は新ドラマが目白押しだもの、と言いながら途中下車もあったりしてた処
ドラマSP 断絶 記念 you tube
どこにでもある政治家の鏡開きシーン、議員、後援会長、県知事と B作さんは秘書かしら?こうしてドラマは始まった!
この週最後の出し物を見つけました、 後で~B 作さんは県信連の会長でした、
で、新ドラマのための SP ドラマが面白くて見終えちゃいました、今までのように筋書きは別として印象に残ったシーン
のセリフを思い出しながら、
西島さんは刑事役は良く似合うとは思ってたし、👉のぉかたもよく観てましたけど、白線流しの柏原さんの実弟さんとは
知らずに、配役を見て知りました、そう言われてみれば似てますね~
議員の後継者と目されてた議員の息子が殺人を犯し、西島さんたち二人が逮捕に至る話、議員の秘書は犯人と名乗り出て
しかし釈放されて自らの命を絶つ「お役に立てずに申し訳ない」と言って、分からないわ、
ここまででことは決まってるはずなのに、議員も秘書も後継者も何を勘違いしてるんだか!と今まで思ってたけど、その
思考回路は普通じゃない、のに、当たり前だと思って議員、その息子は「自分たちは捕まらない」
刑事は言った「役人は勢力の風向きを見るのは早いですからね」犯人に”思い通りにはならないよ、今はもう”の意味だった
んだけどね、
結局、県連の会長が時期候補を自分の甥にするために画策したり、脅しをかけたり、あらゆる術を弄して議員を騙したの
どんでん返しは他にもあって、血脈をとるか恩を採るかの鬩ぎ合いと、友情の重みと同僚との信頼感が網羅されてて、
スッキリした一本でした、
💻💻
12人の怒れる男 1954 アメリカ
ヘンリー・フォンダに誘われて観た映画を思い出した、
さて三谷さんはどのような映画にしたのかしら?といえばこんな風になるのよね、先ずは予告をね、1991
で、三谷幸喜さんの映画👈、again だけど面白かったのは覚えてるから挑戦と、殺人事件を陪審員達が有罪か無罪か
を審議する、そこにそれぞれの意見が入り混じって、多数決を採るのだけれど、これが至難の技で、そりゃそうよ、
いい歳の大人が人生いろいろだっただろうから、あれこれあれこれと自分の過ごしてきた日々を元に推理するわけだもん
その心の揺れや性分や、今置かれてる現実を思えば無理もない、そういう暗いはずの事件を審議する過程で笑っちゃあ、
不遜ともいえるだろうに、三谷さんだもんだから小回しが利いてるし、思わず(*'▽')クスクス ってね、
ひとのこころは時に裏腹、多数派に流されたり少数派に入れこんじゃったり、そりゃ仕方がないのはひとだから、そして
持論を崩さないと意固地と言われ、矢張りと思い直せば信念がないと言われ、なかなか小難しいのが主義主張の置き方よ
陪審員1号(塩見三省)陪審委員長、体育教師でまじめなオトコ、以前にも陪審員をしたことがあるという自負からか
委員長との立場を意識してか、何とかまとめて全員一致で審議したい処、出前の茶菓の手配をしたりなかなかご活躍、
トップの立ち位置に生き生きしてた、
陪審員2号(相島一之)“話し合いましょう”が口癖の面倒くさいオトコ、人の意見を聞かず自分の意見を押し付けようと
するから反対される率が高い、お喋りでぉ他人の立場をついつい忘れがち~そりゃそうだったのね!と思わせる感情的な
セリフが多くて、犯人のオナゴに敵意むき出し、
陪審員3号(上田耕一)堅苦しい場が苦手な酒飲み、議論が白熱してくるとイヤになる、オナゴには優しい、黙って退く
と見せはするけど結構な頑固者だった、
陪審員4号(二瓶鮫一)平凡なおじさん、フィーリングですよ~と開き直って自己主張、若いオナゴだからと被告人の無罪
を主張する、見た目に弱い在り来りなオトコ、
陪審員5号(中村まりえ)メモ帳を充実させてる自信の塊、しっかりしているようで揺れやすい、人の意見をを真に受けて
持論はコロコロ変わる、プライドは高い、
陪審員6号(大河内浩)忙しいサラリーマン、抱えてる問題があって早く帰りたいからと、なあなあのどっちでもいいから
早くせい!と、会議は熟してるから!だなんてチョイ自慢するあたりが可笑しかった、
陪審員7号(梶原善)感情的ですぐ拗ねる、独り身だからと被害者意識でオトコに手厳しい、後半は”俺は何も喋らねー”
犯人を”あの顔でオナゴが寄って来るなんて、小贅沢な、俺には誰もほにゃららら”男の愚痴だった、
陪審員8号(山下容莉枝)5歳の子がいてどっちでもいいと、誰からも好かれたいからあっちにこっちにチョロチョロ、
どうでもいいことは気になってる、落ち着きがなくて知ったかぶりな煩いオナゴ(すまん!)
陪審員9号(村松克己)インテリの歯医者、論理的だけど感情的で”俺の言う事っを聴け”、上から目線でイヤな感じ、
オナゴに怒鳴ったりしてひんしゅく者、
陪審員10号(林美智子)平凡なおばさんでおとなしい性格、気になったら梃子でも動かない、たまに主張が激しくて、
拘りは天下一品、主婦そのもの、
陪審員11号(豊川悦司)役者らしいけど最初は話し合いに入らず換気扇の下で煙草をふかしてる、終わり頃には弁護士だ
なんて職業を偽って皆を信用させる、終いには仕切りが巧くて話をすいすい進ませる、オトコ前~最後の一声で皆を納得
させちゃったんだから凄いとしか言いようはない、
陪審員12号(加藤義博)口煩いどこにでも居るナンバーツー・タイプ、仕切りたがり屋で恰も正論のような、
委員長を差し置いて仕舞う傾向がりウザイ!
とまあこういう面々が一堂に会するわけだけど、一癖二癖ある大人だから始末が悪い(失敬~!)纏まるわけがない、
三谷さんはやはり三谷さんだった、私は思いましたよ、なかなかの筋書きで二転三転の面白さ、更にはにおわせぶりな
やったり取ったりの問答を、役者に繰り返させて、う?飽きてきた~というチョイ前ですとんと落とす、絶妙よ、
6VS6にしてみたり、12人のはずが13票にしてみたり、あら?この頃から 13 に興味があったの(´∀`*)ウフフ
三谷さんの舞台を見つけました!出かけられないから拝見してます returns 面白いです、それにしても三谷さん、
表舞台もお好きですよね~ 吉田羊さんもご出演です、そのほかTVの方々が、
01/21
ビオラ・フェスは続いてるけど、いよいよ記事ネタに困ります、と言いたい処、でも、ここまで過ごしてくるとネタは
無尽蔵と言ってもいいかな?だって間口を広げりゃいいだけだし~
NHK 探偵ロマンス 土 10
01/21
濱田さん・役は江戸川乱歩さんの若き日ということで期待してる、それに何かの記事で・・・大正8年の頃・・・と出てた
記憶があるので、このような記事を書く時には正確を期するために検索を、前後の違いはあってもするように心がけてる
それは興味を持てるようなポイントが欲しいからよ、エドガー・アランポーは読んだことがないわ📚
01/21 尾上菊之助さんはダンディだわね、
初見だったので一先ずアウトラインを、NHK さんは慎重なのでやたらめったら予告を飛ばせないように設定してる、
他局は宣伝して欲しいから飛ばせるように、但し制限時間はあるようで、コメ欄もどうぞ~のように設定してる、
このご時世だもの、大らかさも必須アイテムだと思うけれども、
NHK BS 我らがパラダイス 日 10
日 10
林真理子センセの原作だというから観たいわ、木村佳乃さん(看護師長)高岡早紀さん(厨房)堀内敬子さん(受付)
01/21
ビオラはやはり強かったわ、冬の戸外でも十分に咲き揃ってたので鉢上げして楽しもう!この欄には何を書こうかな?
いやーーー迷ってます、昨日からですけど(笑)
”白線流し”の若々しいこころの機微や友情や、忘れかけてた恋心に浸ってた私ですので、現実からは遠ざかってた!
フジTV系 土 11:40 『三千円の使い方』
あっけらかんと美しくて若い”オナゴはシビアにどうする?” まあね、色々な使い道はあろうけれども、私は”生もの”だわ
生ものでダメなら花を買うわ、それでダメなら肉を買う、美味しいと思えるうちに食べたいの^^、
安易すぎるじゃないかって?いいじゃないの?いつまで丈夫で”美味しく食べられる”か分からないんだもの、いつまで花
の世話が出来るか分からないし、逆に世話されるかもしれないし(´∀`*)ウフフ
出来る時に出来ることを楽しまなくて何が人生なのよ(笑)
こういう風に意気軒昂に過ごしてゆきたいもんですわ、ドラマはやはり私にとってとても健全な遊びだということに達し
外でワイワイ騒げる時じゃないんだから、せめてドラマは明るいものを、
なんだ?明るいドラマじゃなさそうじゃないの?このシーンはたまたまですよ、私も昨日初見でしたので先は分からない
けど、無口な息子について中尾ミエさん・役はこう言った「あ?うん~だけじゃ私だってイヤになるわ」と嫁の気分を
読む、こういう処が気に入った、それにしてもミエさんは利重剛さん・役の母親役をする年頃になったのねぇ、
俯いてるのが利重さん・役 👇
01/21
先ずは利重剛さんのママは小山内美江子さんで金八先生の脚本家?そして芸名の利重は爺ちゃんの名を、こういう古い事
は覚えてるんだよね私、
さてミエさんはぉ連れに先立たれ、3世代家族の祖母役、テキパキしてて、ホームセンターかどっかで知り合った青年と
親しくなって荷物を運んでもらったり、おそろのキャップを被ったりしてる実は寂しいオナゴ、
まあね、多世代家族の中の孤独は、”ぼっち”より孤独感に苛まれることがありそうだもんね~伊達に年寄りを張ってる
んじゃない、逞しく前向きに生きる術を心得てる、
さて逞しい祖母と言えば 私の父方祖母、何回も登場だけど、その度に削除の
憂き目を、そりゃそうです、ここまで書くか?との思いについついね~気が弱い処もある私なんで(^^ゞ
でも今回のこのブログは削除無しの勝負(何といつも闘ってるの?)ですから憂き目無し、
この明治のオナゴの生き様はドラマとしか言いようはない、言葉の使い方がゆき過ぎもあろうとは思うけれども、身内の
何度目かの与太話ゆえ、免じてお許しを、それにしても本人やら本人以外の身の回りのひとに聴かなきゃ分からない事を
よくぞ get してるよね、よほど小さい頃から聴き上手だったんだよ ( ̄∇ ̄;)ハッハッハな わたしです、
農家の長女に生まれた祖母は、向かいの農家の次男坊を婿に貰い6人の子を産んだ、私の父は下から2番目の長男だった、
その時既に祖母の長女(私には伯母)が、隣町から婿を貰い同居してた、
今からは想像もできない早婚だった、祖母が父を産んだ2年後くらいに継農した伯母は長男を産んだ、それが宿敵の父に
だから宿敵の父親が私の従兄に当たる、
祖母👆に抱かれてるオトコの子が私の宿敵となるわけよ、ここまでで理解不可能かもしれないけれど、農家の成り立ちは
こういう感じで大雑把(あら失敬)だった、後継者を育てることが第一義で、それ以外については二の次という処よ、
さて明治のオナゴの真骨頂は?
そうです、この祖母はなかなか奇想天外で、農家の後継者としての自覚はあって、手伝いのひとや家族や親せきや友人を
とても大事にしてて、更には自分自身を大事にしてた、
どういうことかって?
先ずは米の収穫を、そして野菜も満遍なく植えて育てて収穫して、食べることにはケチケチしないで、ぉ振舞いは大好き
夕食後は囲炉裏の周りに客寄せしてた、この心意気があったればこそ、家は絶えず繫栄していった、
婿取りというハンディキャップをモノともせずに、臆することなく農業に専念した、それ以外に一生懸命だったのが嗜み
煙管のたばこ、酒(日本酒に限ります、濁り酒はNGという本格派でした)早くに未亡人となりましたから、一家を支える
という自負は強くて、そのストレス(今風に言えば)に対抗するには自分を解放することだったのでしょう、
昔、地元には座敷に上がって遊べる飲み方があったようで、北の万場町、南の曙町という町名が残ってるくらいの遊び場
そこに祖母は野菜を届ける仕事をしてて、あの当時はリアカー にリンゴ箱を並べて効率よく
野菜を仕分けして運んでた(祖母自身の証言、私は小学生、祖母は隠居の身の頃)街中を売って歩くという方法もあった
ようだけど、祖母は売り上げ第一、そして育てた野菜を惜しみなく新鮮なうちに売るという商売の鉄則を重んじたらしい
農家の娘にしては商売にも長けてたなんて知らなかったもんだから私は感心した、
残念ながらと言おうか、父にも私にもその血は流れていなかった( ゚Д゚)
そして田んぼに働く手伝いのひとを帰し、家族も夜上がり(仕事を終えて家に戻る事、昼は昼上がり、朝仕事を終えた時
には朝上がりと言ってた気がする)して夕食の箱膳 を並べる頃になると、時々、祖母は
出かけた、昼の仕事はしたわけだし、家族のご飯の支度も先頭切ってしたんだし、ちょっとお洒落して出かけてもいいべ
👈 お借りしました(*- -)(*_ _)ペコリ ありがとうございます、
”へっつい”(もう少し訛ってる言い方でした)から釜を上げて今でいうジャー仕様の器に盛り変えて食事処に運んでた、
祖母と父のエピソードで大好きな話がありました、祖母が父の転任先の八戸に来たことがあって、種差海岸に行った時の
シーンは忘れられない、姐さん被りの祖母と父と母と妹たち(写真は手元にないので機会があったら転載)と、
その時に話したのか、或いは家で話したのだと「料理屋の座敷に上がって飲んでたら、隣から聞き覚えのある声がした、
ので、仕切りの襖戸をそっと開けてみたら、そこで飲んでたのは母親だった」(笑)
このようなさばけた母親をもった父は幸せだったと思う、なんとなく母親って立ち位置と、案件の処理と(様々なこと)
成果に拘って自身を時には好みの方法で労わる事がなさすぎるように思うから、
祖母が言うには「自分の家から野菜を買ってもらってるからには、たまには”ありがとさん”の気持ちを伝えねんえべ、
時々、満遍なく店を回って¥を遣ってた」いやいやキレのいいばあ様だった、商売拡張も兼ねてたのね、差し詰め今なら
営業職にも向いてたかも、ちなみに父も私も座敷で頂くことの血は受けてますけどね、あーーー懐かしいわ、
削除した分を取り返した気分です、こうして気づいた時に気づいた記事を当てはまる欄に書いてゆけば取り返しはつく、
01/21
真っ白なビオレがツンと茎を伸ばし咲いた、
1996 と言えば私は 27 歳だった、先の人生なんて皆目見当もつかず、ただ北国で仕事をしてた、ぁ!見合いもした、祖父
は言った「姉妹は上から順番に嫁にいけ、とにかく一回いってダメだったら帰ってくればいい」あか抜けた祖父だった、
今から 49 年ほど前の母方・祖父と叔父、私の立ち振舞いの時のショット、今は二人ともあちらへいっちゃった、
私には思い出深い二人で、特に叔父とは(母の末弟)彼自身がわずか 42 歳で早々にさよならだった、
何度か書いたけど祖父は農家の長男として生まれたというのに、継農は名義上だけで、田んぼには一度も入ってない、
祖父に惹かれた川向こうの娘(祖母)は跡取り娘だったのに、それを蹴って(失礼!)嫁にきた、
私が知ってる限り、祖母は祖父にぞっこんだったようで、祖父の髪の毛のカットも髭剃りもしてた、祖母は口数の少ない
控えめなオナゴだったけど情熱系だったんだね~と、私は子供心にも思い、眺めてた、
白線流しのドラマは観てた、いつものように感想はあとで、
在学中のあれこれドラマを看破して、高校を卒業して 8 年経ったドラマのメンバーは大人になっていた!
夢みても 27 歳 👈って 27 歳なら十分夢をみることができると婆は思うけども、夢みる頃を過ぎても って、早すぎるわ
そんなに焦らずとも人生は長いの、何処からだって生きられる ってね~今だからそう言えるのかしら?
お借りしました、いいですね~このメンバーが(*- -)(*_ _)ペコリ
03/21
ところで16 17 だったぉ仲間はそれぞれの人生を歩んでた、
なんたって印象的なさばけた遊井亮子ちゃん・役はスタイリストとなりTV局にいた、最近独立して
名刺を作ったばかりで上機嫌だったけど、仕事が思うように運ばなくてしゅん巡、
それでも地元に帰ってちょっと仲間と深呼吸した、思い出の天文台がなくなるというニュースを聞き、継続を願うための
セレモニーを!皆で、そして集まった、
クールで大人っぽかったホテル勤務の馬渕英里何さん・役は一緒に暮らしてるオトコにご立腹、
その後オトコも脚本を書いてることを知り読んだら巧かった、それで更にご立腹「私にはあういうものは書けない」と
同業は難しいもんね、そして別れを切り出した、
相手のオトコは部屋の鍵を渡して出てゆく、けど馬渕さん・役(この方のおばあ様は馬渕晴子さんという役者さん?)は
笑顔で送りだした、自身も脚本家の夢諦めず投稿を続ける、
粋な姐さん、その役柄に合わせた雰囲気をキッチリ醸し出していい役者さん、そして集まった、
孤高とも言えるような控えめな強さをもってたいいオトコ長瀬君・役は働きながら受験しようと
頑張っていたけど、 大人になってもステキなままで、オナゴと暮らしてるけどやはり難問が、
奥さんを亡くして失意の中、それでも美紀ちゃん・役と会って何かを得て、やがて残った天文台へ、仕事にまい進する、
好きなことを仕事に出来て羨ましい、
美紀ちゃん・役は当時の正しいオナゴそのままで母校の教師で、教え子の暴走で走り回る、
副担ながら 生徒の進路指導などでアタマがいたい事が多くて、やはりしゅん巡、
そして仲間の一人の柏原さん・役と結婚しようとするけど、やはりスッキリはしなかったので「ごめんなさい」で、
結婚はそう簡単には決めない方がいいわ、婆は経験者として思う、じっくり見極めてからだわね(´∀`*)ウフフ
そして集まった、
柏原さん・役は弁護士となって離婚相談などを受けてた、そして生徒の暴走に向き合うことになる
けど、生徒の味方のような発言をして父兄からひんしゅくをかったり、でもいつも美紀ちゃん・役を意識してはいるけど
さすがに「ごめんなさい」と言われたらね~さっさとその場から立ち去るオトコ気がいい、
そして何事もなかったかのように長瀬さん・役に美紀ちゃん・役を会わせたりするのよね、心のうちは複雑だろうけれど
それでいいのよ、そして集まった、
しんちゃ~ん!と呼ばれ愛嬌たっぷりだった中村竜さん・役は警官となり街中を警邏中、高校生の
暴走と関わり忙しない仕事となり悩みが、家庭の事もその一つで、
そしてまどか~ちゃんの憤懣に気づき(ここがいい亭主殿よね、警官辞めて家業の神主に戻る)育児に参加してパパに、
その気持ちがオナゴには一番うれしいかもね、そして集まった、
まどか~!と呼ばれ明るく一生懸命だった京野ことみちゃん・役は結婚し子育て奮闘中だった、夫の
忙しさで、慣れない家事育児に孤軍奮闘、で、疲れが、そしてイラ立ちがついに爆発、
「仕事も家の事も中途半端でヤダ!」分かります、ぉ連れだけが仕事だにまい進すれば妻の迷いはますます増進するのは
当然でそこに気づかず「俺は仕事をしてるんだよ!」なんて圧をかけるようなセリフを言う様じゃNGだわ、
せっかく取った妻の資格を活かしてやるくらいのオトコじゃなきゃね、その方が後々ぉ連れだって楽なんだよと、
まどかちゃんにエールをおくりたい、そして集まった、
それぞれがそれぞれの道を模索しながら日々を過ごしてるようだったけど、私にはその若さが羨ましくて仕方がないよ~
26 27 の迷いはまた特別で、歩き出してしまった人生の途中での出来事だから、それは学校時代とは違ってちょっと重い
でもまだまだ後戻りも出来る歳じゃない?いい年頃をついてるドラマを見つけちゃってドキドキです、
先にも行けるし、もう一度もどって方向転換も出来るという贅沢な時といえなくもない、婆から言わせて貰えれば、
そこで立ち止まって熟慮がいいかなぁ、
01/20
黄色のシンプルなビオレが咲いた、美しい~小さなポット仕様だったけど寄せ植えが功を奏した、得意の手前みそ、
美しいといえば未練のガラス、演歌のようだけど(´∀`*)ウフフ 北国にそのまま置いてありますよ、
北国の母の家の冬の廊下で以前撮ったのよ、硝子戸の向こうが凍ってるようだもの、これが”氷紋”というわけ、
画像フォルダから探すのは、整理が悪いので至難の技(笑)
こうして切って削って 👇
これも途中よ、だから未練なのね~♬
母の女学校の頃の一枚、キュートで健康的で農家の嫁だって十分に務まったはずなのに、祖父は小さいからといって
仕事を身につけさせることにした、夢みてた頃でしょう、
それで学校に行けたのだからよかった!と母は言ってた、その妹たち(叔母二人)は二人とも家で農家に嫁にいくために
修行してた、
しかも姉(母)の送迎のために朝と夕方最寄り駅まで、帰りには暗くなるので提灯を持って、これは叔母たちから聞いた
「姉ちゃんは姉娘だからと学校へいけた、制服も着てみたかったし汽車通もしてみたかった(口惜し)」分からないでは
ない、母の頑張りも聞いてたから何とも返事が出来ず、ただ頷いてた私、田んぼの畦道で、
そして大正8年11月23日生まれの 100 歳に近くなったの母の本音はこうだった、介護は伊達じゃない(笑)
私「おかーさんは専業主婦で満足だったの?」
母「とんでもない!実家の近くに家建てて仕事しながら子育てしたかった、それなのに爺さん(父)は転勤には当然
ついてくるのが当たり前みたいに」
私「単身赴任にすればよかったべや~」
母「実家の父親(祖父)が、子供が小さいんだから今の処はついて行った方がいい~と言うもんだがら~」
私「途中からでも遅くはなかったべや~」
母「私も考えたなよ、その時は育児家事に徹底して、やがて私の時が来る~ってなぁ」
私「そして八戸の後半と最後の仙台に父は単身赴任だったんだね~」
母「だって八戸の後半は家建て、その後、P子の学校が仙台だったから、ちょうどいがったべや~(笑)」
流されてたようで流されてなかった大正マダム、その後の母は解き放たれたように非常勤で仕事をして趣味に(57577)
手先の器用さを活かして公民館活動を、押し花や編み物や料理の指導をして、奉行からのボランティアにもまい進して
旅をして殆ど家にいないような日々で、老後を謳歌してた、
そして令和2/01/02 午後11:44にゆく
朝も早から葬儀の写真じゃ縁起が悪いでしょう って言われるとは思うけれども、これは母への私の感謝のしるし、
100 歳の大往生だもん、息子の協力には伏して御礼を(*- -)(*_ _)ペコリ だから今、私は身を粉にして尽くしてる、って、
言わなきゃ私も賢いんだろうけどね、
それをあろうことか「そんなに大袈裟に~見え張って~」などと下世話な話をするヤツ(失敬!)もいたけど(笑)
「親戚や村のひと、友人が花をあげておくってくれた事が大事なんじゃ!」とは言わなかった分だけ憤怒は今でも、
ふつふつと(*´Д`) 言葉に出さなきゃ賢いんだよね~心の内ではもしかしたら誰もが思ったかも「心意気じゃよ」
私は母を見てて、北国でやはり非常勤を、そして趣味を(57577)旅をして飲み会して時に TOKYO の空気を吸って、
奉行からのボランティアを、なんだぁ、二人共充実してたじゃないの~ただ違ったのはコロナ禍による閉塞感、
これはこれで大きいのよ、私は老後の喪失感と言いたい、可惜人生の仕上げの時にと思えば更に口惜しいわ、
だから娘に「おか~さんは今後、何をしたいの?どこで?」まだまだ現役のあなたにはわからないかも(´∀`*)ウフフ
01/20
ビオラの茎も葉っぱも逞しくなってきて、花の色の柔らかさが西陽を受けて絵のような色合いできれいだわね~
01/19
最寄りの京王◎◎◎駅から電車に乗り、JR△△△駅から中央線に乗り東京駅を目指した、平日の方が混んでないだろうと
予約を入れていたので、車内は通勤のひとたちで混雑してたけど、それは予測はしていたから、それに運動不足の私には
吊革につかまってバランスをとるのも久しぶりの足腰鍛錬で気持ちがいいもんだった、
そして私、まだまだ自立できるかもしれないと思ったら嬉しかった、この処まるで婆そのものような感じだったので、
婆には違いないけどさ、
家族が近くに居ると、ちょっと甘えがちだもんね、沿線の冬枯れた景色を見ながら私は”私の枯れ”から立ち直った!
01/19
西国分寺駅の構内に 👆 今時ならではのスペースが車窓に、便利だろうなぁと思った、新しい企画だわね、ご時世が
求めるスペースだなぁと感心した、
やはり家に居ながらでは何かが足りないと思ってしまった、出かけよう~~~っと、いいじゃない?JR東日本も、
丸の内南口の改札口を出てはとバスの停車してる処に向かった、
驚きました!あの黄色のはとバスに、たった3人を乗せて大手町の大型接種会場に、どうみたって無駄なことだと誰もが
思うでしょうけど、永田町からすれば自衛隊にも”はとバス”にも恩恵ってか?
小学生だって今なら言うでしょう「税¥の使い方がおかしいよ~」ってね、会場もガラガラ、中で仕事する自衛隊の方や
Dr.や看護師の方の人数が多いようなもので、会場に入ってから4か所ほどの関所(失礼!)を経て接種、まあね、間違い
はなかろうからいいんだけどさ、そして5回目の居住地外接種を無事に終えた、
そして今朝、しなきゃならない事は一通り終えたけどその後が辛かった、腕の痛みと倦怠感と喉のいがらっぽさと頭痛、
そして咳が押し寄せて、さっきまでウダウダしてた、今回の違和感が一番厳しかったわ、おつとめは果たしましたよ、
2022/03 に3回目の接種を、その時の東京駅は今より(2023/01/19)はひともまばらで接種を待つのに列をなしてたのよ、
01/20
エルビスにもこのように幸せな時があったんだね~他人事ながら安堵した、お嬢さんも亡くなったニュースがあって
”ひと時代”が終わった気がしてたもんだから、
さてまた今月の 10 の時がやってきた、このサイクルは私にとってはいいのかもしれない、10 の為の先ずは初句のみで、
・赤煉瓦 ・Elvisの ・5回目の
・京王線 ・足早に ・ファイザーと
・裸木には ・この冬を ・国分寺の
・JR ・ドラマとは ・このままを
・車窓より ・みかん色の ・誰がために
とまあ身近な処からせめてって、色を付けたり言葉を替えたり、気分が揺れてる感じを出したり、いかようにも遊べる、
10代や20代の過ぎ去ってしまった躍動感あふれる 57577 もいいけど、30代40代50代の張り切り母親業の時もいいけど、
今のちょっと大人感たっぷりの情緒も宜しいかと、だから 57577 の世界は面白い、