pretty woman story again

本と57577、花と映画と音楽、
ドラマに私自身の物語、
華の 80 歳にあと3か月🌹
(´∀`*)ウフフ

@ジニア @サフラノ@ブライダル ピンク (s) 君は天然色@初句@ミカン@世襲の崩壊Ⅱ(オナゴ編)

2023-09-04 | #日記

2023/09/10

ジニアのこの色が好きだったので選んだ、夏に強い花で 2020 Olympic 花壇の花に選ばれたそうで、と知ったらブランド

に弱い私だから逃せない(笑)

ジニア(百日草)学名    Zinnia     科名キク科 属名ヒャクニチソウ 属原産地メキシコ だから色が情熱系なのね、

natu ちゃんのコメで早速藤森様のブログにお伺いをした、自分をのブログを Pretty Woman などと厚かましくも大袈裟に

名づけてしまってたけれど、15年ほど前のスタート時点では 63 歳だから、あるいは今よりは少しは pretty の P 位は許容

範囲と心得たのかしら?若気の至りといえばいえるような(´∀`*)ウフフ

そして身に余るぉ言葉を頂き、恥ずかしくてコメを残せずスルーしちゃいました、勿論エールと感謝のポチっとは残しま

した、苦肉の策ですけど、お出で頂けるならこちらでと思い、お返事を、

 

読ませて頂いております、 1945 ですので同級生でしょ?だとすれば私の同級生感覚で”ため口”でよろしいのでしょうか?

しかも私らの同級生はオトコもオナゴも呼び捨てでしたので、これもとは思いましたがさすがに行儀が悪すぎると思い直

し藤森様、暮らしのちょっとした発見や世の中のことや奥様のことや本のことや思い出のことなど、とても楽しく拝読さ

背て頂いております、そしてウンウンと頷くことが多い処が同年という事でしょう、

 

御地にはちょっとご縁がありまして、昔、若い頃、東京で遊んだ時に仲間にいた、私より5つ年下のオトコが御地の出身

でした、筑波の地で研究員をしてまして、その後に御地の学校に着任したのです、名は控えますけど元気で現役のようで

す、というのは、当時の仲間はそれぞれの暮らしに向かいましたので疎遠になりました、ややこしい付き合いではありま

せんでしたので (´∀`*)ウフフ

故郷に錦を飾った!というようなことでしょうか、若い頃の思い出は昨日のことのように書けるから不思議ですよね、

そこに若さと楽しさがあったという事だと思います、

 

ということで以後もよろしく願います、駄文が多いので気はひけますけどぉ暇な折に、きっとバックボーンは実感できる

強みという事かしら?お取り上げ頂き恐縮でしたけど嬉しくもありました、またね。

 




2023/09/10

朝露に濡れた花びらも素敵だけど、この蕊の奔放さがいいわ、姿も自由だし、何かに縛られてるような私には羨ましくて

ならないわ(´∀`*)ウフフ

 




2023/09/10

蕊の始まりは行儀がよかったのね、楽しい姿でした、そして咲き初めた花の色合いと姿にはもっと惹かれた~

2011      万年筆   気仙沼悠希・脚本   日本映画   you yube

日本映画

”氷見” 駅で切符を落とし万年筆も落としたオトコと一人り旅のオナゴが知り合った、オトコが言った、親切心で、

「ホテルまで送りますよ」オナゴが言った「一人で行けます!」どうも不機嫌なようでツンケンしてる、中年のオトコと

オナゴの出会いなんて素っ気ないのが当たり前かしら?なにも相手について知らないんだもの、

 

「赤いオープンカーなら乗ってもいい」という様な勝手なことをいうオナゴに、オトコはレンタカーを借りて親切心で

「氷見を案内しますよ」どこまでも親切なのよ、オトコは脚本家「万年筆は使った人の癖が残る」確かに、

いいこと言ってるわ、こういうさり気ないセリフにドキッとする、

 

氷見の有名どころを一回りする「夕食はご一緒にいかがですか?二人で食べた方が美味しいでしょう」オトコが誘う、

またもやオナゴが言う「一人でいいわ」オトコは引き下がる、追うようにオナゴが言う「美味しいものは独りで食べても

おいしいという事よ」素直じゃない(笑)

結果お互いの旅には理由があって、事件に巻き込まれ用事があって現場を立ち去って”指名手配” となっちゃったオトコ、

姑の介護に明け暮れても他に誰も介護はしない、施設にと思うけれど、苛められはしたけど何だか可哀そうで自宅で、

その夫のいう事には「俺が単身赴任してやるよ」なんて恩着せがましいその連れの言いぐさ!自分の親だろうに、オナゴ

には夢があって、連れのニューヨークへの赴任に同行して、現場でダンスのレッスンを受けようと夢見ていたけど、

さっさと単身ですっ飛んじゃった!置いてけぼりを食った嫁は鬱になりそうだった、医者に言われて「しばらく預かりま

すから旅でもしてらっしゃい」と言われて一人旅、

そういう連れが多いのね、単身赴任してやるじゃなくて、申し訳ないけど単身赴任させてもらうだろ(怒)

 

氷見に私は縁がなかったけど、この映画で是非行ってみたいと思った、景色もいいし”生もの”も美味しいようだし、冷酒

も頂きたいし、the bar の雰囲気も洒落てたし、決めましたよ、いつになるかしら?

 

二泊三日ほどの旅でオトコもオナゴも人生を決めることになるけど「49歳まで真面目に生きてきたのに俺の人生なんだっ

たんだろう?」と呟く男のセリフが哀しすぎる、事件に巻き込まれただけで正義のぉ心だったのに、

渡辺裕之さんと竹内晶子さんの絶妙な間合いが素晴らしかった!渡辺裕之さん、色っぽかったよ、今更ながら惜しい

 

最後に逮捕された男のセリフ「この万年筆をあげるよ、不安だったり哀しかったりしたら文章にするといいよ」オナゴは

赤いスポーツカーの傍らで素直に受け取った、大人の映画ですよ、

 




2023/09/10

秋の気配をいち早く教えてくれたジニア、夏を超えたちからづよさもいいなぁ、花遊びにはいい時季となりました!

 

さてオナゴの歴史、あの家からは3人の娘と養女が巣立つ予定だった、そして嫁一人とが来る前に祖父たちは娘を嫁に

出さなきゃならない使命に燃えていた、小姑鬼千匹(こういう表現を今はしちゃいけないんじゃないかしら?)の時代

だったのでね、

 

嫁が小姑より外見が下とか、嫁も姑も同じく何かにつけて比較して、たいていは嫁が小姑より優れてて若いという場合、

小姑は嫁に出るけど嫁はその家に、娘として可愛がられるために入って来るので小姑は嫁が許せません、「自分がこの家

の娘なのに!」と憤慨するのです 👈引用 この短い例で十分そのオナゴ達の勢いは分かるから不思議よね(笑)

そういう複雑な捩れたオナゴ心を推量もしないで、長男叔父は気安く役目だと思い嫁を家に住まわせることにした、その

時に、その家には姑、大姑、出戻った小姑、未だ嫁にいかない養女・小姑と鬼千匹が4人もいたのですよ、大抵なら退く

でしょうに、商家のお嬢さん育ちの嫁は長女連だから、向かう処敵なし!と思って嫁にきたらしかった(本人言)

 

まず長女は家を出て嫁にいって全く満足してなかったもんだから、実家に来た嫁が羨ましくてしょうがない「おとうさん

宅地の一角にでもいいから家を建てて欲しい、そしてもし夫が転勤するなら単身赴任にしてもらいたいから」何を言って

る?と笑って素っ飛ばした祖父だったけど、そんなことしたらオナゴの戦は止まることはなかったでしょうよ、祖父正解

 

次女は「私はこの家の娘だし、この先も嫁になんて金輪際!行きたくはないし、この家の為、親の為に頑張るから、あの

部屋だけはそのままにして私が使うから、そして料理は私がするし、世間づきあいも今までのように私がするし、この

ままの暮らし方をしたいから、おとさん!いいべや?祖父は#$%&&‘* その勢いは止められなかった、祖父撃沈

 

三女「私は子を持たなかった叔母の旦那さんの弟に嫁に行かされ、歳も離れてて早く二番目の姉ちゃんのように家に帰り

たい、優しい叔母だと思ってたのに、農作業も家のことも全部私がしなきゃならない、それに厳しくて我慢できないのよ

だからおとさん、私にも宅地の片隅でいいから家を建てて下さい、農業は一手に引き受けるから」祖父泣く泣くNO!

 

養女「おとさん、私はおとさんの世話は今まで以上に丁寧にするし、畑もするし、おかさんの下働きでもなんでもする

いう事を聞きますから、どうか嫁にいく先の建てた家にはやらないでください、長男だし、年も離れすぎてるし、モノも

ハッキリ言わないし、あっちの実家の農業を手伝うくらいなら、こっちの家に居たい」祖父泣く泣くNO!NO!

こうまでして決めて嫁がきたのだから波乱含みの幕開けだった(笑)

 

ぉ嫁の言い分「弟と嫁に出た姉もいるが、出戻りの姉や養女もいると仲人からは聞いていた、まさか同居だとも知らずに

農家だから兄弟姉妹が多いんだろうと思いはしたけど、来てみたら同居だった!」こういうことって仲人口ということが

昔は多かったからね~小学校入学前だった私は、その義叔母の嫁入りの荷運び様子を覚えてる、

 

その家は坂の下にあって、ぉ嫁は先乗りで、車で運ばれてきた荷物は坂の上まで、タンスの上部に唐草模様の大風呂敷を

かけて、それを箪笥担ぎのオトコが二人で、ちょうど駕篭を担ぐようにして歩いて家まで運んだ、その間に箪笥甚句を

謡いながら坂道をゆっくり下った、

という事は私もその道中を同行したことになるよね、初めてのことで私は仰天した(笑)何が始まるんじゃ?という驚き

よ、それは子供心にも立派な仙台箪笥(後で聞いた、宮城県からの嫁入りだものね)で、後にも先にもあんな色合いの

深い豪奢な箪笥にはお目にかかってはいない、

ふるさと納税 仙台箪笥 100巾整理箪笥 【04203-0432】 宮城県塩竈市👈 お借りしました、一番似てるのを探しました、

仲人に叔父が言ったのは「遠くから嫁に来てくれるのだから何も要らない、身一つで願います」家には何でも揃ってます

から、そりゃそうですけど、誰が使ったか分からないような品物はちょっと敬遠の気分がオトコには分からなかったのね

でもあの”もうすぐ百でがんす”のあのぉ婆様が、家の孫娘を身一つじゃ嫁にやれないと、その調度品を選んだらしい、

オナゴは幾つになったって譲れないことはあるんだよね、そしてそれは正解だった、

 

そのぉ嫁は苦労知らずの長女連、それを迎え入れたのは出戻りの、嫁からすれば義姉で次女で難物でツンケン見識が高い

となったら、ぉ嫁はお先真っ暗!だったでしょうね、もう既に”高級箪笥を目にもの見せよう”の様に突きつけられて小姑

は戦いの受けの姿勢だったでしょうから、普通の白っぽい桐箪笥しかその家にはなかったのでね(笑)

 

そしてその家では嫁を迎えるにあたって増築をした、まずは玄関の右側にあった馬屋を畑の方に移築して馬屋含みを玄関

に仕立てた、広々として玄関となり、その続きの奥に、台所に向かって長く部屋を作って、そこにカウンターを設えて

応接室風にしてソファや椅子を並べて、まるで今思えばbarのような部屋、飲まない叔父は何をしようとしてたんでしょう

確かに客はJA関係含めて多かったので、囲炉裏のある部屋じゃ食事をしてたんだし、時代遅れだとでも思ったんでしょう

そこには大きな戸棚があって各方面からの盆暮れのぉ品が届いたのを入れてたようです、

なかなか子供の私は入れませんでしたので(´∀`*)ウフフ

 

廊下の先にある新婚部屋は仙台箪笥がとてもいい雰囲気を醸し出し、子供でしたけどanother world でした、大人は

そこは遠慮してましたので私だけ、義叔母はそこに自身の世界を作り上げ、なんとか小姑との諍いを宥めてたのでしょう

 

早朝に足音を忍ばせて水屋(台所のことをこう呼んでました、山水を引き込んで生活用水にしてましたから)それを流す

のが窓の下に見える池で、洗剤など使ってない頃のことです(灰だったと思います、藁を束子の様に丸めて縛ってたのだ

ったような、灰汁・あくと呼んでました、それでごしごしと鍋を磨くような)鯉も泳いでましたから不思議な文化よね、

 

こうして手伝いのオトコ衆二人と曾祖母、祖父、祖母、家付き叔母、養女、新婚の叔父夫婦の暮らしが始まりました、

でも養女は嫁ぎ先も決まり家も決まり相手も決まり、もう嫁ぐしか手立てがない!という処まで来た時に家出をしたのよ

 

養女・義叔母の家で先は歩いて2時間ほどの大叔母の嫁ぎ先で、そこには子がなかったので二番目の叔母が嫁にいった家

そりゃ直ぐに話は飛んできてひとまず気が済むまで泊めて様子をみようということになった、

大伯母、叔母、義叔母(私から見て)と3人もあの家から大伯母の嫁ぎ先に集まってしまって、そこにはそこの家の姑や

舅もいて、しかも兼業農家で(大伯母は農業はしない、家事はしないとの結婚)叔母は農業も家事もして、しかも嫁姑の

関係で複雑な処へ、またもやオナゴが増えて、義大伯父は土建業を営んでたので、大人数の人が出入りしてて賑やかに超

がつくほどの家だった、それを肌で感じた養女・義叔母はやはり”ここは居場所じゃない” とすぐに気づいた(苦笑)

 

そしてあの家に帰ってきて嫁に出ることになった、また自身にもいろいろな出来事があって商売も試み、農業もし、畜産

の仕事を家業にしたこともあった、今この世に残ってるのはこの養女・義叔母夫婦のみとなったので書けたという処よ、

 

さてここに一冊の本をお借りした、

 

 




2023/09/04

オールドローズの”サフラノ” が咲き始めた、思い通りに咲かなかったので諦めかけてた処、色よく咲いてて気分良好だわ

雨がかえってよかったのかしら?

 

ところでこの地では2:00 pm になるとユーミンの”守ってあげたい” が流れて下校時の子達へのメッセージと思いほっこり

してたのよ、毎日ね、5:00 pm には”夕焼け小焼け” が流れて、これまた家路を急がなきゃと思わせてくれるメッセージ、

そしてどうしてこの曲なの?と思っていた、

八王子市出身の詩人・中村雨紅さん(本名は高井宮吉/1897〜1972年)が作詞した童謡「夕焼け小焼け」の誕生

から100年を迎えたという記事を見てなるほどなあと、こういう手法で文化が継承され、その地に誇りをもってると

いうことが美しい、八王子会のメンバーもユニークで温かい感じがするもんね~~~

 




2023/08/19

ブライダル・ピンクがやっと思い通りに咲いた、プレートの写真よりはちょっと色が濃い気がする、でもこれは施肥の

容量、要領の違いで起こることもあるので様子を観よう、気に入ったわ、👇

        2023/09/04

暑さの上雨が降り頻りブライダル ピンクの色合いが濃くなって”触れなば散らむ” 状態となって葉っぱも傷んでる、

 

散る花もあれば咲こうとしてる花も 2023/09/10

                                                                                                 👇

2023/09/11

バラもオナゴと同じで気難しい、真夏を超えたらどんどんきれいになるでしょう、いくら四季咲きでも激夏には酷だよ、

今日の夕方、夏を乗り切った鉢の土を変えて施肥してたっぷり水やりをして、ちょっと夏に拗ねてた花もあって手入れが

行き届いてないことが分かった、そりゃあなにせ持ち主もいい歳だしね、時には暑さに感けて手を抜いたひもあるから、

花も「きみーー私たちも生きてるのよ」との抗議なのかも"(-""-)"

まあね、分からないでもない、枯渇感は同じよ、ということで狭庭ともいえない空間を行ったり来たりして手入れをしま

したよ、二時間ほどよ、それだけなのに、こっちも大仕事したような気になってた、

北国での5時間を超える作業を熟してたのは 75 までだったのを思うと、わずか2年で気力体力が衰退するのね~

もっと食べよう、飲もう、そして動こう!

 

暑いさ中にはもうダメ?と思った事あったからなおのこと嬉しいもんだわね、これからの手入れは少しは涼しくなって

楽しみながら出来ると思うから、

 

 

【君は天然色 / 大滝詠一】Kimi wa Tennenshoku by Eiichi Ohtaki 

na Relo さん素敵ですよ💟

作詞家の松本隆さんがご登場の番組があり懐かしい曲をたくさんい聴いて、不機嫌な(´∀`*)ウフフ 毎日の私が、明るく

見えたのか、ハミングなんかしてるから不思議だったのか子はキョトン!!! 音楽はそれほどのチカラがあるんだよね、 

いやいや、本来、私はこういうオナゴなのよ(笑)

 

松本センセによると、妹ごが亡くなって暫くは拠点になさってたあの渋谷がモノクロームのようにしか見えなかったと、

やはり”思い出はモノクローム”よね、巧いなぁ、ひとの心を掴む言葉は奇を衒うものでもなく、刺激的なものでもなく、

思いはそのままでさらりと流せるような普通の言葉にあると知った、今までは意気込み過ぎていた(´∀`*)ウフフ

 

〇甲子園に                  〇姿つくり

〇その父の                  〇”かざぐるま”

〇歓声は                   〇暑すぎて

〇元カレは                  〇ブライダル 

〇泉下の君                  〇久々の

 

あの俳句のセンセならさしづめ”才能なし!” とご立腹の上匙を投げようとなさるかもしれないと思ったら、性分ゆえか

意欲がわいてきた、秋元康センセのぉ言葉「3000曲も書いてみればいい、それで思いがけないヒット曲を飛ばせるかも」

~心意気です、だから面白いし止められないのよ~芸術は気の長い話の末にひょこっと生まれる、あら、いいじゃない?

 

思考の経過を残すには日記だけれど、私の場合は丁度いいことにブログがあるので、そこに思いついたら書いておけば

しっかり残るので渡りに船だわ、とはいいながら、ここの処はブログにさえ手が届かない悶々の日々だった(^^ゞ

だって早くも〆きりがすぐそこまできちゃったもんだから、纏まらない、纏められない、纏めきれないですったもんだ!

 

今朝(09/07)早く(ったって通常の方の一時間早いくらい)目覚めたから下書きしといた初句に、能書き(笑)

をつけなきゃと、この精神がいけないのよね、二句から考え始めてたメモを出して完成させようとしてたら、全然、

全く違ったシーンが頭の片隅に浮かんできた、それはもう文章になっていたので、切れ目の助詞を考えればいいだけよ、

 

〇あの暑さ                   〇ヴィンカ・バラ

〇美しさ                    〇良質の

〇この夏を                   〇甲子園の

〇人間は                    〇清原君

〇風邪ひいた                  〇ヴィバ!慶應高校

 

上の初句とはまた違った趣で私は気に入りましたよ、その間が約 45 分で清書込み、10 日が〆切りで、しかも土日入りで

これじゃポストにポトンじゃ集配が遅れればアウト!ということで散歩を兼ねて郵便局まで(これさえも面倒くさい夏)

朱書きで「郵便受けに願います」と書いた封筒の表書きが賑やか、あら、こんどはこれも使えるわ(笑)

 

そういえば昔、親しいセレクターさんが仰ってた「セレクターへの挑戦状のような内容の 57577 があるのよね」そう言わ

れても今はPCワールドの真っただ中ですもの、検索すれば済むお話だと思うけど、日常からしか投稿者は内容を得られな

い地味な老いの日々ですもの、それに色々と規制されてるから(´∀`*)ウフフ やっと 5 割の打率からの苦渋から逃れられた

こういう変化を楽しむしか手立てがない激夏だった、

                        




2023/09/04

軒下のミカンも悪環境のわりには踏ん張ってて実が生った!やはり生きるチカラですよ🍊

摘果もしてないので生りっぱなしですよ(^^ゞ

 

オナゴの人生だって自分で選ぶとかたく心に誓って、大正オナゴ達は夢をもって、今までにない美しい大正ロマンに浮か

れ、お洒落だったし意気込んでいた、母の実家に宮城から嫁にきた””女学校出の商家の娘” は”毎日新聞””日本農業新聞”

と、今でいうJA商品のガリ刷りのパンフ、ヤフオク! - 家の光 昭和30年11月発行 第31巻第12号 産業組合中... 👈お借りしました

一連の”家の光の月刊誌”などしかない婚家にがっかりしていた、嫁いりの時持ってきた塗りの箪笥と、女学校卒業記念と

金の文字で記された”絎け台”と引き出し付きの鏡台と、羽子板やらひな人形やら、本や雑誌を叔父と自分用の部屋に運び

込んではうきうきしてた、その時、私がいれば必ず口に指をあてて「しーーっ」といって手招きをした、私には二間続き

は別世界のように思えた、着物は引き出しに幾重も入ってるし、洒落た絣の農作業着の対も丁寧に畳んでいた、

不思議なことにいつも茶菓子は揃ってて、今思えば叔父がJAから買ってくればそれでいいわけだものね(´∀`*)ウフフ

義叔母が想像してたよりは農家らしい農家だった!というこっちゃね、

 

わたしは小学校で確か秋田にいた頃で、長期休みになれば翌日には母共々帰ってたんだから、母も余ほど実家が好きだと

いうことよね、そして思い通りの結婚生活は手に入れてなかったと言うことよ、不満足の連鎖ということかな?

 

他県から嫁にきた明治オナゴがいた、曽祖父は家督を継いだ2代目で光也と言った、農業一筋で実労働に明け暮れていた

手伝いの人にも優しく口数は少なく、唯一印象的な言葉は祖父に毅然と言った一言「百姓に学問は要らない」

それで祖父は諦めて農家は継承したけど農業には手を出さなかった、同じ年代で進学したのは当時は庄屋の息子だけで、

そこは郵便局も兼業だった(民営化なんて騒いだことを思えば、そこは国営だったはずで屋敷がらみの請負い仕様?)か

「局長さんの家の息子」という呼称だった、

 

私が祖父から聴いてそこまで想像して、小学生の高学年となった時に、あの太宰センセがお召しになってたようなコート

バンカラマント👈 お借りしました、こういう感じだったのよ、

検索したら旧制高等学校の男子が着てたようで、角帽も被ってたんじゃないのかしら?何故そう思い出したかというと、

2番目の叔父が福島から帰省した折に、そのような出で立ちだったような気がする、

そりゃ祖父や長男叔父や3番叔父は誇りには思ったろうけれど、内心は羨ましくて仕方がなかったんじゃないかと今思う

 

私たちが休みになって帰って来ると、その庄屋さんの息子さんも庄屋となり局長となって、祖父や叔父たちとマージャン

に夢中になっていた、その時に子供心ながら「オトコは友達がいた方がいいんだなぁ」と思ったものだった、

 

話が逸れた、曽祖父が祖父に勉学は要らないと言ったからかどうかは知らないけれども、祖父は一切土に触れなかった、

それも頑固一徹のDNAで、孫子の代までというから私や子らには脈々と流れてるわけだ(´∀`*)ウフフ

 

曽祖父は曾祖母を早くに亡くした、その時、曾祖母は県庁所在地の病院に入院中だった、もちろん娘3人+養女+息子3人は

独身で、田んぼや畑は親戚筋と祖母や手伝いの人たちで何とか賄っていた、元々、曾祖母は農家の出なので農作業は難な

く熟してたらしい、その曾祖母が入院してた病院に、札幌から来ていた独身のナースさんがいた、曾祖母の係りのひとで

親切で控えめで気の利くオナゴだったという、

 

その曾祖母が入院中のまま亡くなる時に「あの看護婦さんに頼んでおいた、私の後にあの家に嫁にいって下さい」と、

伝言したらしく、周りの看護婦さんも「いい方だから」と勧めてくれたもんだから、祖母は早速祖父に伝えて後添えと、

 

私がもの心ついたころには既に曽祖父は亡く、後の曾祖母だなんて知らないから”大おばあちゃん” として毅然と家の重鎮

だった、私が祖父を敬愛するのにはこういう思いやりが好きだったから、

曽祖父の後添えだなんて一切私たちは思うことなく、また祖父も曾祖母を丁寧に「かあさん」と呼んで、そこに流れる

空気のなんと柔らかいことか、なかなか通常ラインの親子(笑)

でさえそうそう上手くはイかないこともあるというのにね、オトコは子のように優しいものだと叔父たちからも学んだ私

ちょっと違うオトコもいるんだと最近知った(´∀`*)ウフフ じゃない"(-""-)"

 

叔父に義叔母が嫁に来て「実家との文化の違いに戸惑ってる時」が長く続いて、だって小姑4にんですよ、並大抵じゃ

ないでしょうよ、身内の私がこんなこと言うのもなんだけど、先にいるオナゴの方がどうしたって強かった(^^ゞ

 

やはり救いの神はいるのです、その札幌からきた大おばあちゃん、こちらがまあ粋筋でした、何故かひ孫たちに(つまり

私たちの代の子らに)ちゃん付けで呼ぶのでした、そんな呼ばれ方はあまりしなかったので(肉親から)不思議だったけ

ど心地よいなあとは感じた、そしてその大おばあちゃんがその家に持ち込んだ文化

お借りしました、懐かしいです~👆 

義叔母が喜んだのは勿論ですけど、2叔母も遅れまいとして最初に読むんですよ(家付き娘の特権のように、怖)

そして大おばあちゃん、ミヤコおばちゃんの順でした、大おばあちゃんは鷹揚で控えめですからね、ぉ嫁に言いました、

「ミヤコさん、毎月順に部屋に並べておきなさ~い」流石に家付き叔母は何も言わずにツン!多勢に無勢のような按配

だったしね、

この家には欠如してて、大おばあちゃん(子は敢えて持たなかった)がもたらしてくれたたDNAですもの、家の中の空気

がどれほど和らいだか、まあやはり天はお見通しでしたね(´∀`*)ウフフ

 

現場(農業)で総指揮を執ってた祖母が入院した、それまで病気一つも患ったことはなく、元気そのもので田んぼや畑に

奔走してて、それが苦でもなさそうだと小学生の私には思えた、小言も言わないオナゴで祖父にはぞっこんで、身の回り

のことは誰にもさせずに、一人で熟してた、これが老夫婦なんだなあと思って眺めてた、

 

その祖母が入院した、初めてのことで、その娘たちが代わる代わるに付き添っていた、そしてある日急に退院してきた、

JAから大きなテレビが届き、掘りごたつがある仏間に設置され、祖母はそこを病室にして過ごすことになった、

祖父はその隣の二人の部屋に過ごすことになった、今までは7時頃になると二人でそっちの部屋に行き、ラジオで野球放

送を聴きながら過ごしてたのに、それでもテレビでプロレスがあると、その前に義叔母が座布団を敷いて観戦の準備して

近くの人たちが茶菓子を持ち寄って、大喜びで観てたのが印象的、20人くらいは集まってた気がする、そういう日は、

祖母は寝巻の浴衣はやめて、きちんと対の紬を着て正座して皆と和してた、笑顔なんて初めて見た様な和やかなシーン

だったのよ、

 

暫く家で養生してた祖母は、今までになく元気で明るい祖母だった、農作業から離れてゆっくりテレビを見ながら過ごし

祖父は慣れない手つきで茶をいれたりして、殆どつきっきりだったような気もする、

祖父には農作業は範囲外だし、時折訪ねてくる局長さんたちと、近くの商店の主人と、祖母の続きの間の襖をあけ放ち、

祖母が見えるようにして話したり笑ったりしてた、それを見て祖母も知ってる人ばかりなので遠慮しないで浴衣で布団に

横たわりながら眺めてる図が私の介護の根本に繋がった、

介護は誰か一人が担当して、誰も見えない部屋でするものではなく、廊下を通れば誰もが見える処で養生するものだと、

 

だから私は母の介護の時、家じゅうの襖や障子を外してた、冬には寒いけど温風を並べればどうってことないし、

介護ベッドには冷暖の仕組みがなされてたし、それによって得た介護の孤独感や、される側の寂しさは一応軽減は出来た

かと、続きの部屋にソファとテーブルを置いて茶飲みには参加してるような雰囲気づくりをしたりして、

今となっては懐かしいわ、3回忌も過ぎたので、

 

その家に嫁にきたオナゴも未だ嫁にいかない養女も、嫁にいったオナゴ達も暇をみてはその家に帰り、祖母の顔を見て、

見せて「また来るから元気でな~」と言ってさらりと帰る、

さて農作業は?といえば、前から住み込んでらりゅうじさんとしょうじさんと、近所の嫁さんたちと親戚のオトコ達が

手助けしてた、JA叔父の頼みで断れず(笑)

それに丁度農機具が充実してき始めた時なので、JA叔父の采配で叔父が買うことは買うけど、それを皆の家で順番に使用

まあレンタルで使うということを一番初めに実践したら、それはいいと、仕事を手伝う人がいる農家では、農機具を買う

ようになり、JA叔父の売り上げはあがっていった、そして立場も昇っていったわけよ、時期が良かったんだね、

 

流石に家付き叔母も何もしないでご飯炊きだけじゃ世間も許さない!という空気をおそらく生まれて初めて読んで畑に、

見よう見まねと言うことがある、殆どの野菜は植えて収穫し、牛は飼ってたので毎朝大鍋にたっぷり入れて、食事の時に

温かい牛乳をみんなが飲んだのを忘れられない、叔母もさすがに農家の娘、やれば出来る譯だった(´∀`*)ウフフ

 

 




2020   アメリカで配信 イレジスティブル パート1  you tube

いやいや、こんなに可笑しい物語の始まりには驚きましたよ、子供も一緒に暮らしてたオナゴの家から出てゆくオトコ、

後を追って懇願する「出て行かないで」気にも留めずに去ってゆくオトコに向かって2階のベランダの窓から、オトコの

荷物が入った段ボールを投げ飛ばすおばちゃん、

花粉症なのか鼻がグズグズ、くしゃみが止まらない少し若い方のおばちゃんが、オトコの捜査官のイヤミをぶっ飛ばして

捜査に当たる姿勢が小気味いいし、何よりどこにでもいそうなオナゴ二人の掛け合いが面白い、観てみよう~久々の痛快

(そうな)ドラマを見つけちゃった!

 

今までどうしてスルーしてたのかと思うほどの面白い会話が二人の間でなされて、それがまたテンポがいいからこっちが

後れを取らないようについてゆくのに一生懸命になれる、

 

殺人事件が起きて上司は仕方なさそうにおばちゃん二人に現場へ行けという、そこからの二人はやはり専門職よ、証拠を

見つけようとオナゴ目線で詳細を、おばちゃんを侮っちゃいけないよ、だってその職に就いてから経験がものをいい、

世の中を知り、男女の仕方がないあれこれを知り、その分だけ強くなり、何より子も育てていかなきゃならないオナゴに

怖いものなしよ、少しは化粧直しして、分かるなぁ、仕事場が新鮮っていいことよ、

 




 

 

 

                                                                                                                   

コメント (8)
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