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pretty woman story again

趣味はそれぞれ軽く浅く楽しく
華の 80 歳となりました🌹
オナゴの色々(´∀`*)ウフフ

@ビオラ&パンジー@シュウメイギク(d) コタツが@古い※ (s) 枯葉@式部@続続・農地の

2023-11-17 | #日記

2023/11/16

2023/11/16

冬に向かって咲かせておきたいビオラ&パンジー、秋色の枯れた色合いもいいけれど、やはり鮮やかな色の花をうまく

寄せ鉢にしたいので、湿り気は十分だし明日にでも晴れたら植えましょ!

ということで私には久々の多忙を極めるという事態となってきました、いいことです、余計なことなど~~要らないわ♬

映画を観て鼓舞されたとは安易に過ぎる、いいじゃない?だらだらな日々を2年も過ごし、まるでニー〇君を脱却する様

秋の花の植え替え、式部の恋を辿って、録画した映画やドラマを観て感性を取り戻し(少しばかりの)なおかつ〆切です

これも私の大事な老いへの抵抗です、紅葉を眺めながら病院通いを散策とし、拙い 57577 に一喜一憂するのも悪くない!

最初の 10 の出だしをね

 

〇坂道を              〇枯葉よと

〇塩釜の              〇埼玉を

〇紅葉狩り             〇スーパーの

〇過ぎた日を            〇手が届く

〇菫色               〇夕空を

今まで空の色を見てうっとりした日があったでしょうか?なんて在り来たりな 57577 にはしたくない(^^ゞ

からなんとか無い知恵を絞ってみますわ みそひともじ(三十一文字)

 




2023/11/17

雨の後の花は色が際立って、秋の空の気ままなのもいいわね、気ままと言えば、

 

『翔んで埼玉』ぶっ飛んだ映画の再放送があって フジTV の土曜プレミアムで今観てる、一回じゃ見切れないので、

明日また書きますね、詳細は続編が放映されることになり番宣絡みで、可笑しくて愉快で笑えてなんて今のご時世には

珍しい好みの映画です、

 

映画『翔んで埼玉』予告 出演:二階堂ふみ/GAKCT

二階堂ふみちゃんが可愛いし、GAKT様は妙にオトコらしくて、二人は恋におちるかな?というところ、抱腹絶倒なんて

忘れてた!

 

独りになった時間に録画してた映画の続きから観た、そこには人知れず埼玉出身者の苦悩が、面白可笑しくけれど悲哀を

こめての歴史が描かれてた、

そのGAKCT様のセリフに大笑いし、東京を敵に回して、埼玉、千葉、群馬が連合して戦を始めちゃった!そこを笑わせる

監督の凄さもそうだけど、埼玉県は、フェスタとコラボして盛り上げてるという胸処の大きさに感嘆した、洒落が分から

なかったら、今はやりの誹謗中傷などに相当するわけだけど、

この映画に関してのクレームは、もしやあったとしても、観客が多いのだから、求められてるという事よね、何事にも

”鷹揚” という気構えがなかったら、文化も進まないのじゃないかしら?

 

声を上げて笑う事など全く無かった(老後などというワードに縛られ過ぎて、自らの可能性を見失って、思考力も衰退

してた)私を、まあ心ならずも見せられて子は言った「早く起きちゃって眠れない時に観たらいいんじゃない?」

どうよ、この優しさ、育てた甲斐がありました、別に連れに思いやれなんて求めるような無駄なことはしないで(笑)

こういう映画が迷ってる人たちに勇気と希望を与えるんだなぁと思ったりして、

文化って好み次第だから、人によっては隔てがあってもしょうがない!って諦めて、前向きに進もうと思った一作ですよ

細切れに時間配分して観ようと思ってる、笑おうと思ってる、まあ、子の休日に昼🍹をしながら楽しむのも一興だわ、

仏頂面されて、興味のない番組を押し付けられて知ったかぶりされて、食事しながらの貴重な時間はを無駄にはしないと

いうことよ、こういう処にも「住んでる世界が違うんじゃ!」という気分、

そして強烈な悪感情を映像や文字にする時には、笑いを絡ませて、重い気分にしないこともぉ勉強させて頂いた監督さん

の力量って大きいなぁ、私も何とかせにゃならん(〃艸〃)ムフッ

それにしても”ずぼらで贅沢” だなんて言われて我慢するのにはむかつく、だから台所のシンクやガス台を磨いた(笑)

 




2023/11/16

シュウメイギクの花もいいけど蕾や咲き終わった蕊もいいもんです、色が可愛いよ!

 

見れば見るほどいいオトコ!の話でもしたいけれど、なんだか意欲に欠けてしまってる私、連れの今の状況は元気であり

こ煩いくらいで、そうそう言い募るようなことがあるわけじゃないけど、つくづく住んでる世界が違うんだよねと思う、

だから1階と2階に別居、食事以外は同室しないようには気をつけてる(笑)

相手も「きっとこのオナゴ、楽しくはないんだろうなぁ」とは気づいてると思う、子に言われて私も少しはしおらしく

してるつもりだけれど、持って生まれちゃった性分は今更どうしようもないんだよね、それは過去の連れの所業に起因

私にも起因はありますけど、道論、相互の行いの結果だと思うけれども、それにしたって詳らかにしたら連れ>私だよ、

「卒婚」という言葉も流行ってる昨今だから、皆、とまでは言わないけれど、粗方の夫婦は、オナゴは特にかもしれない

けれど「卒婚」ってそそられるなぁ(´∀`*)ウフフ じゃないの?

専業主婦なんて体のいい脇役(連れに好都合のという意味で)だった、私はよ、家に居て子らを育て(子らの事に関して

は悔いはない、だって専業ですから、可愛いがり、惜しみなく余るほどの感情も得られたし)家がスッキリしてて、家事

万端抜かりなくしてきたこの私に「”ずぼら” なんてよく言えたよね、そういう無神経な処がそもそもの不仲の理由じゃん

そりゃ今は女優ですので会話もしましょう、笑顔もつくりましょう、序に得意な料理もつくりますわよ、自分で食べたい

モノだけはね」とは言わないでおきました!

                                        日テレ  水曜 22:00 

『コタツがない家』 

最近稀にみる面白さと可笑しさと悲しさと切なさがてんこ盛りで毎週楽しみにしてる、そこで小池栄子さんが働き者で

何でも熟してしまう様子をみて羨望を禁じ得ない(笑)

そりゃ何事にも恵まれてるというわけじゃないけど、連れ(あの北の国からの純、立派なぐーたら亭主だけど夢がある)

の先行きが見えない漫画家を抱え(あら、失敬)反抗期の、だけど優しい息子を見守り、転がり込んできた父親と同居、

羨望には大きな家族の重みがついていた、

それでも持ち前の長女気質(役柄ではそうだと思うけどなぁ)が止まらない勢いで家族を片づけてゆく様はオナゴっぷり

がいいよね、やはり元気じゃなきゃと思わせられるドラマです、

和室があるのにコタツがない家と、和室もないのにコタツがある家とは愉快と言えば言えなくもないけど、どっぷり入り

1日を充実させてる連れの定位置の傍に”コロコロを置いた妻” の私のイヤミが分かるかな、無神経なのよ私も((´∀`))ケラケラ

 




2023/11/17

この後ろ姿も気に入ったわ、可憐で頼りなげで、それでいて存在感も圧倒的!

 

”秋の日のヸオロンのためいきの身にしみてひたぶるにうら悲し” なぜかふと思い出した、それほど高尚なため息でない

けど長ーーーいため息も秋には多いんじゃないかしら? 上田敏センセはそんな婆のため息じゃなくて、ヴァイオリンの

様に上等な音質と訳してるわけだから、そりゃまあ色々なため息は誰にでもありましょう、

婆の私は”暑すぎた夏” と”その後の寒暖差”でやられてしまった心身の疲れを、”ため息”で紛らわそうとしてるだけ、

それにしても”超夏バテ” という事じゃない? でも、花もオナゴもそれにしちゃ強かった(´∀`*)ウフフ

この秋明菊もあの激夏を超えて花を咲かせてるんですよ~どこか寂し気にね、色っぽいよ、

 

「何かが足りないんだよね~」と私が言ったら「ずぼらな割には贅沢なんじゃないか?」と連れが言った「ずぼら?」

私が連れに言われるとは思えない言葉だった、

「フン!ずぼらで子を3人も独りで上手くは育てられないわ、年取ったらあなた小煩くなった、大事な時には家にもいな

かったのに今じゃ常駐だもんね~~~~(´∀`*)ウフフ」

老夫婦はだから無暗に話さない方がいい、だからヴィオロンのため息~~なのよ、

 




2023/11/17

オナゴ心と秋の空と言いますけど本当ね、今朝はざんざん降りだったのに薄日が差したり、でも花を綺麗にみせるわよ、

 




2023/11/17

野猿街道近くのスーパーへ、車中からの曇天の下の銀杏並木、もう少し青空が欲しいわね、

 

 

枯葉 岸洋子

中原淳一センセの絵の様な歌詞が素敵よね~♬ 

 




2023/11/16

この色で式部を語れるなら宜しいじゃありませんの?

先だって式部は光の気持ちや行動に、自身の叶わぬ想いやら、理想を託して創り上げたと書きました、またまた新発見

しました、”源氏物語の原点は光の皇統奪取の物語だと思う” 👈引用

 

ここで面白い記述が、引用だけに頼ってるようで甚だ申し訳ないけれど、教科書の様な感じがしますから、知らなかった

様々なエピソードを拾いながら納得してゆこうかなと、

・・・・近代文学の女流を眺める時,かげによき指導者の存在を見ることが多い、与謝野晶子は鉄幹という売り出し上手

のフィクサー兼夫がいて、第一線に押し出された、岡本かの子も夫一平の協力なくして「老妓抄」は書けなかった、式部

の書いた習作を具平親王が批評する・・・・・・・👈引用 わおっΣ(・□・;)  

式部の叶わぬ恋のぉ相手は”具平親王様”だったの? だとしたら道長を恋の相手にと大河はすすめられないんじゃないの

時代考証のぉ方が仰ったようにギャップを平安に近づけるとしても、相手が全然違うじゃない?面白くなってきました、

 

やはりこの本は”近藤富枝”センセ の研究の賜物と思えました、いや途中ですから思えます、

史実と照らし合わせてという感覚は私にはまったくなかった(お恥ずかしいわ)物語としてしか理解してなかったので、

”紫式部の恋” を改めて多角的に(適語とも思えないけど)読んでいきたい、大河まではまだ時間がありますからね、

 

有体に言えば具平親王に恋をした式部、受領階級の父を持った式部は妻にはなれない、具平親王の妻は為平親王の王女

ですもの、しかもその母は源高明の姫なので、高貴過ぎて式部の入る余地はない、

失恋の式部は傷心を癒やすために都を離れなきゃ「辛くてダメだわ」と思って父の越前赴任に同行したという事らしい、

紙が欲しかった!とか年上の夫となる男から逃げたかったと推量した私も私だけれど、それも一部あったということよね

だって恋してたんだもの(笑)

 

一方では道長が式部の寝所の戸を叩き挑んだということもあるらしい、

『夜もすがら水鶏よりけになくなくぞ真木の戸口にたたきわびつる』翌朝こういう 57577 を届けちゃう道長「どうして戸

を開けてくれなかったの?」だって、まあ天下の道長だから「俺様が訪ねたのになんなのさ?」ということよ、

『ただならじとばかりたたく水鶏ゆゑあけてはいかにくやしからまし』あなたに迷わされたらどんなに辛いことになるか

と、とんでもないわ」と返歌するあたりに高ビー同士の会話が(575777の名を借りて)面白いじゃないの?

高貴な方々にしては「あんたは今空き家かね?」なんてへー民と変わらないじゃないのよ、「愛人なんていませんよ」

これを式部日記に書いたという事は「私、道長をふりました!」と自慢げに言ってるようなもの、舐めたらいかんぞえ!

ってか? 1000年前も今も男とオナゴのことに関しては然程かわらなかったんじゃね?(´∀`*)ウフフ

 

道長を”袖にしたオナゴ” を status にして式部は野望を極めていったように思う、”やり手の道長が私にぞっこん!のよう

だもの、むざむざとこの手を逃す方はないとばかりに、嫌いじゃないけどそれほど好きじゃない気もするわ!というよう

な素振りぐらいはしたでしょうね、

道長を一流のオトコというけれど私には”策士” という言葉がぴったりだと思うわ、子や孫を高貴な血脈の一員とすること

に躍起になってるし、気に入ったオナゴを愛人として、娘や孫の側近側近としても輔弼したということよ、

どっちもどっちだけれど、恋や愛なんてとっくに卒業した道長と式部だし、何もなかったとは言えないけれど、”純粋” 

からは程遠い利害関係がバチッと合った!という処だと婆は推量するんだけどね、

 

やはり現実と物語はあちらこちらでイコールで、式部だってそうそうオトコ心のすべてを知ってるわけじゃ無し、物語を

書いてヒットさせ目論見を果たすというところでしょうか?

父と弟をなんとかしなきゃ!という長女気質が感じられて、私は”是” と思うけれども、世の中そうそうシンプルじゃない

から”否” とする面々からは横やりもありましょうよ、

 

式部の恋を分かりやすく言えば  true love だったのは、具平への掛け値なしの想いで、それを光に託し藤壺とのイケない

恋を成就させちゃった! そして爺過ぎて(失敬!)(´・д・`)ヤダ けれども宣孝でもしょうがないかぁと自棄になって

嫁にいく決心をした、そういうことだって凡そ 1100 年前と今はそうそう違わないんじゃないの?

 

じゃ宣孝は何故に式部を嫁にしたか?女流作家だったからに決まってる、自慢できるオナゴだもの、あの道長をふって、

俺の嫁になったんだよと吹聴したりして(´∀`*)ウフフ いつの時代だってオナゴとオトコの心は大差ないんじゃないのな?

今回、痛切に感じたもんだから、そして自慢できるオナゴを嫁にしてひけらかしてるようなオトコは度量が狭い(笑)

けっこう”うざ!” と式部は思ってたりしたかもしれないよ、

 

式部の恋を追えば追うほど”源氏物語” は式部の経験と実践(ここはちょっとクレームもんかしら?)に基づく”はなし”

と思えてきて益々、興味がわいてきた、光があまりにオナゴを転々とするから、オナゴの読者に敬遠されがちだけど、

光が悪いんじゃない、式部の叶わぬ恋の鬱憤が光を遊ばせちゃうと言った処じゃない?

 

ドキドキの展開となってきましたよ~式部の恋は、

宣孝と死別した式部は娘と共に生きてゆくわけだけれど、その後に求愛者がいなかったわけじゃならしいのよ、独り身に

なって暫くして式部は休載してた源氏物語を書き始めた、そうよね、そういう経験をすればこそ、”はなし” にも重厚感は

でますよ、身に染みてるわけだから、

     見し人の煙となりし夕べより名ぞむつましきしほがまの浦  作者、紫式部:新古今和歌集

親しかった方が煙となって消えてしまった夕方から、「睦まじ」という音に聴く「陸奥(むつ)」の国の「塩釜の浦」で棚

引く塩焼きの煙までもが慕わしく感じられることですよ これですよ、情緒にあふれてていかにも夫思いの一首と

思ってしまいますよ、でも宣孝の死を悲しんでばかりはいない式部の、屈折しちゃった心が「この一首だけよ」との思い

と言ってるように惜別の歌はないそうで、なるほどね~想いを他に残しちゃってた式部だからね、私もこの一首は好きよ

ちなみに「塩焼き」とは塩釜の製塩業のためになびき揺らめく煙のことだそうです、

 

「塩釜」といわれりゃ宮城県のあの塩釜でしょ?そうなってくるとその地に関係の深いぉ方もいるわけで、やはり光の

モデルは独りじゃなくて多数のオトコの境遇を見ながら語っていったということじゃぁないのかしら?

塩釜にご縁の深い”源融 みなもとのとおる” というぉ方が浮上したようよ、塩釜の絶景をこよなく愛し、その展望を模して

庭園を造ったという事で、なかなか興味深い案件を見つけました!ぅ―――っ、塩釜、私にも思い出深い場所ですよ、

 

 

 




続 続 農地の行方

義叔母3の言い分

義叔母「義兄さん(私には叔父1)田んぼをしてきたわけじゃない、私も微力ながら朝から晩まで田んぼや畑で働いてた

義姉さんや義兄さんが分を貰うのなら私にも分けて欲しい、今は家の夫は大工さん辞めてしまって、仕事を転々としてる

私は田んぼがしたい、育てて頂いてこんなことは言えないと思うけれども、家族のことを思えば、先行きのことを思えば

どうかお願いします」と母に伝えにきた、

 

さすがの鬼の長女・母も、今までのことは十分知ってた、家業が上手くいかない時には、義叔母夫婦の為に叔父1は、

JA・NO1として出来るだけの協力を惜しまなかったし、稼業を変えるたびに、例えば養鶏場や育牛の支援をしていた、

きっと義叔母3は、そのことに慣れ過ぎて「いつも義兄さんは助けてくれる、私もあの家の為に尽くしてきたし、義父の

世話は十分に果たしてきたのだもの、だから義姉(母)ちゃん、義兄さんに頼んでください」と直接言われたんじゃ言葉

には詰まって沈黙、けれど、ここで長女・母の使命感は炸裂した、どうしても実家を小刻みにしたくはないし、しては

ならない!と思っていたので、「どうする、長女?」とは思ったけれど私が口出しすることじゃないとの分は弁えてた、

 

母「分かりました、じゃ私が放棄のハンコをついたらそうしてな、その後のことは弟と相談して、あなたたちの助けに

なるように動くから、他の弟妹については私が直接対応するから」私はなかなかの採決だと思った、だってハンコは捺さ

ないと言えない決め業だったのだから、義叔母3は納得して、母の後に押印した、

叔父2、叔父3、叔母1、叔母2は「姉ちゃん(母)が先立ちになって決めることではなくて兄(叔母には弟)が直接頼めば

それでいいのだ」という申し立てだった、まあね、よくある話だからすったもんだ!した挙句に結局は押印した、

それが血脈という事だし、その後、婿は従妹と共に定年後・農業を続行した、

義叔母3は無事に娘を短大に、息子を国立高専に入れて卒業させ、就職し結婚した、その後は私らとは余り交流がない

ので、子を設けて幸せに暮らしてると聞いてる、ただ子らは家にはあまり来ないで義叔母3夫婦は、結局は実家の世話に

なって(義叔母3は、世話してあげてるとのこと、従妹夫婦は面倒みてるとのこと)夫婦二人で暮らしてた、

 

私はそういう経緯を具に見聞してたから、私に関しての◎1、2の言い分があるとすればそりゃありましょう、一枚岩だっ

たはずのあの母の実家でさえ揺れたんだもの~

どうすればいいかは母の前例に従ってセリフももうわかってるし(´∀`*)ウフフ でもなんでその連れ、連れ、連れが登場

してまでオネダリしなきゃならないのかは分からない、オトコが連れの母にオネダリの意味が分からない、けどね?

品格とプライドはどこかに置き忘れちゃったのかも(* ´艸`)クスクス

農地の行方は、母の実家の婿夫婦が何とかしなきゃイケないわけだけど、叔父1がバブル三昧で増築に増築を重ね過ぎて

迷路のようになってしまった大きい家は持て余されてる、

婿夫婦は「自分で解体するかなぁ、田んぼも誰も要らないらしいし」何が正しいかなんて誰にも分からないの、この世は

 

続続続になっちゃうけれど一族のほぼほぼが農業に携わってきて、曽祖父母、祖父母、大伯父伯母、叔父叔母が亡くなり

義叔母がひとりの現在、その家々がどうなってるか考えてみた、

父方実家は従兄の子、つまり本家長男が農業を営んではいるけどもう 79 歳となり、その子らは後継はNG!と最初から

表明してるので、この後は、その家に孫はいないのでここまでと思われる、

父方従姉が嫁にいった家も農業を営んでいる、娘婿も農業には参加してる、元々は大工さんなので、そちらの方に気持ち

が寄りがちの様子、幼い内孫も大人になった外孫も、農業には関心がない様子、同じくここまでと思われる、

父方伯母の家でも今は農業を続けてる、けれど娘が婿を貰ったけれど同居はしてない、今は従姉の息子が営んではいる、

がその嫁は県庁所在地から嫁にきちゃったので、出来れば実家の方に寄りたいようで、農業には参加はしてない、従姉の

子の代で仕舞う感じがする、

 

母方実家は縷々述べたとおりに離農しちゃった、娘二人は全く興味がなさそうで、家から出て暮らしてるので、迷路の

ような叔父の気まぐれ大屋根の家で、従妹夫婦が二人で住んでて仕舞う段取りに入ってるような按配、

大伯母の婚家に嫁にいった叔母3さんの家では従兄夫婦が今の処は同居してる息子と3人で農業を続けてはきたけれど、

従兄が田んぼには出られない状況となり、やがては仕舞うと息子は就職をした、

 

そのように農業一筋だったひとたちがあちらへ集合(失礼)しちゃったので、残された広すぎる田んぼと畑は個人個人で

は持ち堪えられない状況がこうも多いと、なかなかなあと私の親族での状況、別の意味において”美田” はどうなっちゃう

のかしら?国策にでもして貰わなきゃどうしようもない感じは否めない、美しいシーンが思い出されて懐かしいけれど

惜しまれるけれども、今はどちらもこちらもため息ばかり、

 




 

 

コメント (8)
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