machaの浅学妄想

今、感じたことや想うことを書いておく。

戦争末期

2007-04-29 | Weblog
父は満州の白城子の陸軍の5864部隊の上等兵だった。
昭和二十年の六月頃、本土決戦ということで満州を引き上げた。三隻の船のうち二隻は沖縄方面へ向かい撃沈され、父の乗った船は本土に向かい父は九州宮崎県都城に上がった。

ソ連のスパイゾルゲや尾崎の策略にかかり日本軍が満州を引き上げた後に、100万のソ連軍が満州を襲った。満蒙開拓民の人々は命からがらに逃げて、白城子に行けば日本の兵隊さんがいると望みをかけて着いた時には、引き上げた後だった。多くの人々が悲惨な目に遭い、子供を捨ててまでして逃げた。たくさんの残留孤児が今もいる。

昭和二十年には親戚の人も沢山亡くなっている。
三月十日 東京大空襲で母の出征中だった叔父の妻と子、
五月二十九日 横浜大空襲で母の叔父の妻37才7人の子供を残し、
六月二十二日 ルソン島で母の兄 戦死24才、
八月二十九日 満州国牡丹江省にて妻の伯父 戦死19才、
九月二十一日 母の叔父47才、
十二月二十四日 満州国奉天市にて母の弟 戦死18才。
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