特殊な事情で「日本出張の機会を得た」
急な出張で「営業アポも1社しかできず」少々時間が余った。
こんな機会を少々考え、有効に使おうと思った。
・コロナで何度言っても「制限に引っ掛かり」会うことのできなかった「母への面会」
どうやら今回は「叶いそうだ」もうお互いに「最後かもしれない」という思いでいる事だろう
(母は今年で97歳になる。少々耳は遠いが元気である)
・高校時代の親友T君、彼の結婚式の司会もさせて頂いた。現在も「兼特メーカで現役」だそうだ。一級建築士である。
もう「何十年も会っていない」。良く一緒にスキーをやり、水上町,鹿野沢にある彼の家に良く泊まらせていただいた。
とてもおいしい彼のお母さんの手料理、そしてあの頃は自分よりもお酒の強かったお父様もう両方とも亡くなったそうだ。
自分も父を失っている。(母は97歳でまだ存命である)こんな気下でもないと合いには行けなかった。楽しみである。
・兄、もう5年近く会っていない。兄は長くアメリカ在住(17年)に居た。私が長いと言ってもまだまだ兄の領域には及ばない。
兄は家族帯同で「クレムソン」と言うアトランタから400kmの田舎町に暮らしていた。軽井沢のようなきれいな場所だった。
帰国し「アメリカ企業であるG社に60歳まで勤め、その後は東京で暮らし、アパートや一戸建ての賃貸業、そして大がかりに
「太陽光発電」を運用している。大病を患ってから会っていなかった。実家の処理やお墓の扱いについて、話さなければと思う
終活である。未だ健康のようだ、良い事である
・大学時代の親友Y君。成績もよく良いか社に就職したが「厳しい会社で精神がやられた」転職して入り少し良くなったが
「やがて鬱になり、早めに会社を辞めた」今は奥さんと共に「アルバイトをしながら悠々自適の生活をしている」
最近は「鬱をコントロールできるようになった」誠に喜ばしい事である。毎回会うときは「これが最後かな?」と
想いながら今度も又会うことができる。うれしい事である。
・そして、私のベトナム語の先生である。彼女は「国家大学(日本語学科)の大学生だった」日本の国の「国費留学生試験」
に合格し「東京外語大」に、そして今年「一般入試で一橋大学に合格した才女」である。大学生活を始めたばかりだが、
「ぜひ会いたい」ということで「国立で会うことになった」、そう「合格祝い」である。
今回、思いがけずこの5名を訪ねることになった。今までは、こんなことは無かったが、すでに終活を行う年齢、思い切って
実行することにした。