★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「大晦日の夜」

2022-01-31 22:52:28 | ベトナム・ハノイ

 ハノイ, 今の時間は大みそかの午後8時53分

いよいよ「新年」である。

コロナ禍、会社は在宅。ハノイでは今日も3000人近い感染者、10数名の死亡者が出ている。

それでも時は進み「新年になる」

 自分も1週間前に「3回目のワクチン接種が、社員のおかげでできた」しかし、年齢的にも病歴でも

体形でも「細心の注意を払うべき立場なのはわかっている」

 時間の点では、温かいビーチリゾートでも行ってのんびりもできたが、「細心の注意」という点で

もうしばらく「自重することに決めた」

 大みそかの夜、夕食を買いに「地階のスーパーに行ったら閉まっていた」6時前だったが?

仕方なくシャワーをあびて「ありあわせの物で夕食を食べ」、ブログをUPしている。

 外は寒そうだ、寝室から見える風景は「いつもと変わらないが」

さすがにいつもは、この時間「バイクや車で一杯の道路」も大晦日のこの時間、この寒さ

極端に「交通量が少ない」

今年も「コロナに翻弄された1年だった」来年こそは日越を行き来出来ることを願う。

(いろんなことでより時間をいとおしく感じる自分はこのコロナによる時間の浪費を、一番焦りをもって

感じている。何とか自由な時間をかなえられるように祈るだけだ)

そしてほぼ3年前に患った「大病」がこのまま「おとなしくしていてくれることを願う」

 哲学者「セネカ」が言っているように「今日が人生最後の日のように、時間を貴重なものとして」

生きていけたらと思う。「やるべきこと」と「やりたいこと」双方を後悔なく行えるように。

もう少し「時間が欲しい」

 大みそかの夜、部屋で一人、食事の後に「家にあったジャックダニエル」を久々に飲みながら

BGMに角松敏生の80S LONELY LIGHTOF TOKYOを聞きながら

「そんなことを考えた」・・・

現在の時間、ハノイの自宅寝室から見える風景。中央は「10年来作っているが未だに開通しない

中国支援の新都市交通」その下が「ハノイの幹線道路」交通量は「大晦日」、極端に少ない。あと3時間ほどで

新年を迎える。

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ベトナムハノイの「年末風物詩」

2022-01-31 22:22:30 | ベトナム・ハノイ

 今日は旧暦の「大晦日」である。

「今年最後の買い出しに街に出た」・・・寒い、昨日よりも「一段と寒い」

「日本スーパーへの道すがら」ちょっとだけ「遠回り」して「ハノイのテト風物詩」を

写真に収めた。 今日はもう「昨日よりずっと少なくなっていた」

日本でも「一夜飾り」は良くないと聞いたような気がするが?ベトナムではどうなのだろう?

同じ「仏教的な思考だと思うが?」

 市場に寄ってみたら、「すごい賑わいだった」バイクも通れないほどの人込みだ。

年末独特の賑わいを感じられた。10年以上も「同じ風景」を見ているが、いかにも「ベトナムらしい風景だ」

昔は「日本もこのような風景だったような気がした」(ずいぶん前、3丁目の夕日の頃だが)

 わくわくした「年末の雰囲気」ベトナムでこそ味わえるのかもしれない。

寒い中バイクに乗りながら「そんなことを考えた」

近くの「CHO」(市場の風景)店先も「テトの飾り付けがされ、華やかだ」

市場のいつもの「果物売り」も「テトらしいものを売っている」

バイクに乗りながら「商品を物色するので、当然渋滞する」

テト用品の出店

*日本の「お赤飯」だろうか?「ソイガック」と言う「赤く染められた少し甘いおこわ」

*左は「鶏の丸焼き」(ゆで?)

テトらしい食品が並ぶ。

もう最後の「投げ売り状態」格安で「桃の花の鉢植え」が売られていた。

ここも同じ「日本で言えば【キンカンの鉢植え】である」

なんと80000ドン(400円)で投げ売りされていた。

理由は定かではないが、こうして「花を飾るであろう、花瓶やつぼ」の類もたくさん売られている。

 

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ベトナムハノイの「社員からのバインチュン」

2022-01-31 22:04:49 | ベトナム・ハノイ

 昨日連絡あり、本日「社員から自家製のバインチュンを届けます」と連絡があった。

人伝えなので「急な事でもあり」ありがたくいただくこととした。

 他の社員からも「ぜひうちのバインチュンを食べてください」と10年間毎年申し出を頂いた。

しかし「独り身」では「食べきれない事もあるため」、最低限の量をお願いしてきた。

今年はどうかと思っていると、なんと・・・

バインチュン・・・2個

鶏のまるゆで・・・1羽

バイン***(忘れた)・・・10個(小型のお菓子のようなもの)

と、豪華な「お土産」を頂いた。

さすがに「鶏のまるゆでは自分では食べきれないので、4歳友人宅に宅配時持参し食べてもらった」

せっかくの「頂きものである」早速「年も明けてないが、自分の一番おいしいバインチュンの食べ方」

「バインチュンザン(油で揚げ焼く)」で早速頂いた。

 11年目のベトナム、「日本のお餅と同じ位置づけ、正月の風物詩である」・・感謝し、大事に頂きます。

ありがとうございます。

右側が2つ頂いたうちの「円筒形のバインチュン」とバイン***

 

これがもう1つの「四角形のバインチュン」(これが一番多い形だ)

これを外側の発破で包まれたものを剝いたところ。

四角形の「バインチュン」を切り出し「油で揚げ焼き」した「バインチュンザン」

美味である。

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ベトナムハノイの「またまた宅配ツーリング(極寒)

2022-01-31 21:34:31 | ベトナム・ハノイ

ここのところハノイが寒い。気温すればたかが「最低11℃程度」である。

群馬県の最北市生まれの自分にとっては「涼しい部類」に入ると思っていたが?

どういうわけか「寒い」のである。今日は新暦1月30日(旧暦では12月30日)に相当する。

旧暦基準のベトナムでは「師走も押し詰まった頃」である。

今週初めから「一部を除き在宅になったわが社」では、在宅の「退屈な業務が続いている」

 そんな折、4歳児友人母上から「故郷が寒くて4歳児友人がピンチ」である報告があった。

ハノイで手に入る「防寒衣料」を購入し「タクシーで宅配依頼してほしい」との「緊急連絡があった」

 さすがに「今年の極寒状態は予想できなかったようである」都会育ちの「4歳友人」は

さすがに参っているようだ。「友人のピンチとあっては一肌脱がねばならない」

 ユニクロで「ヒートテック下着」をまとめ買いし、面倒なので自分が「宅配を申し出た」さすがに母上も「辞退したが」

自分は少々在宅で退屈な日々が続き「何か変化のある行動」を求めていたせいもあり。

以前のように「宅配ツーリングを行うこととした」。母上は何とか説得し、「ヒートテックの購入」や

薬や「家にある防寒衣料」などの必要物もまとめて、午後2時30分「4歳児友人のまつ故郷へ向け出発した」

 年末で「市街地以外はバイクの数も少なく」快適なツーリングだった。自分は「極端な暑がり」である。

そのため「ベトナムの寒さなど、生まれたところの寒さに比べれば、取るに足らない」と思っていたが

「4歳友人宅に近づくと」どういうことだろう「寒いのである」、確かに薄手の長そでシャツ1枚の上に

「ウルトラライトダウン」を来ただけだが? まさか「ベトナムで震えるほどの寒さを感じるとは」

日が傾いていたせいもあったが、「寒かったのである」

 故郷で「4歳友人と母上に荷物を渡し」帰途を急いだ。幸い「バイク用ポシェットに薄手のウインドブレーカー」

があったので「ダウンの下に着こみ」大分状態は良くなった。しかし時間が時間、しかも

ハノイ近くになると「霧雨も振り出し」最悪のコンディションになってしまった。

土砂降りにはならず、助かったが「午後7時」家に戻ったときは「最近は感じたことの無い、震えあがるような

寒さ」を感じていた。それでも「ヒマな在宅勤務」よりは「刺激のある楽しい極寒宅配ツーリングだった」

さて今年も残すところあとわずか、来年こそ「日越が自由に行き来できる環境になってほしいものである」

帰宅し「日本茶で暖を取りながら」そんなことを考えた。

4歳友人母上の故郷の家まで1kmぐらいのところか?

今年初めて「手袋を着用した」、寒かったが「楽しい極寒、宅配ツーリングだった」

距離は「往復≒160kmぐらいか?」

田舎はいいな。

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ベトナムハノイの「テト間近の配送ツーリング」

2022-01-26 11:43:20 | ベトナム・ハノイ

 先週中は「健康診断や予防接種」のために一時的にハノイに戻っていた「4歳友人」

とたくさん遊ぶことができた。食事も」何度か一緒に食べたり、テトの買い物なども一緒に行った。

そして「ハノイでの所要」も終わり、故郷の疎開に戻ることになった。

 子供の荷物や「テトのお土産」などで膨大な荷物があったため「4歳児母上のお父様」がハノイに

来て「タクシーで4歳児と共に大量の荷物」と共に即日戻っていった。そしていよいよ「4歳児母上と

その妹さん」がバイクで故郷に戻る段になって、いろんな問題が発生した。残りの荷物が多すぎて

バイクに積めないのである。そのパッキングをしてほしいと依頼があり、家に行ってみると

「全く積載不可能な量の荷物が積まれていた」これを持って行く方法は1つしかない。

自分が「荷物を積み同行するしかない」。母上たちは「とんでもない、申し訳ない」と辞退したが

方法はこれしかないのである。そして「自分は、バイクで遠出するのは苦にならず」しかも現在は「ヒマ」

であることをもし出て「説得した」、正直休日には「ヒマでバイクでこれくらいの距離を走るのはちっとも苦ではない」

そしてそれが「のどかな、日本人などいない田舎ならなおさらうれしい事である」

そういうことで「この2名とバイクで同行し、配送ツーリング」に行くことになった。

午後2時に出発しおよそ往復160kmの道のりを走った。行きは「荷物が多く」又、安全運転の「女性の2人乗り」と同行なので

およそ3時間近くかかった。荷物を置いての帰り道は「快適なツーリングだった」

のどかな田舎道を「風景を楽しみながら」のツーリングだった。18:30に着いた。楽しい休日の

「配送ツーリングだった」

先行して走ったので、SUN TAYと言うところで「2人のバイクを待っていた」

1月なのに「暑いほどの気候」で快適に走れた。

故郷の家まで「もう少し」の場所。ホン川の近くであり。田園地帯。

既に「田植え」を行っていた。(ベトナムでは2期作、3期作は当たり前である)

素晴らしい景色だった。

分かりにくいが「放牧の牛」がたくさん見られた。奥に見えるのは「ほん川」である。

1月なのに気温が25℃ある田舎道を快適に走れた。

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