★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイ「今日は雨・・・ベトナムにも四季がある?」

2021-10-28 10:01:22 | ベトナム・ハノイ

 いつも通り、会社に来たが「小雨だった」今日の天気予報は曇りから雨。

気温は上がらず、このまま下がるらしい。現在24℃、これからの温度は23℃

自分にとっては「快適な気温である」 これからハノイは、一雨ごとに秋が深まり

やがて気温が15℃以下になると冬になってくる。多くの日本人は「ベトナムはいつも暑い」と思っているかもしれないが?

実は「ベトナムでも、北部のハノイには緩やかに四季がある」(南部は乾季と雨季)

テト明け(2月から3月)から「春」 (花粉症がなく快適である)

4月上旬から5月には「夏、になり」暑さは10月上旬まで続く、(5月下旬からは40℃を超える日も珍しくない)

ようやく10月下旬になり「秋の気配」、暑さは残るが「確実に秋を感じる」

11月からはだんだん気温が下がり冬に。12,1月と「最低の時には10℃以下になる」(ちなみに気温が10℃以下になると学校が休みになる)

こんな感じである。今は一番良い季節だと思う。観光シーズンは10月から3月がおすすめ。

湿度は一年中高い(60-80%)

 雨は不定期に降るが、テト前には冷たい雨が続く。ここのところ夏には「激しい雨がふり、道路が冠水したりする」

この頻度はこの2-3年確実に増加している。(ハノイに来る台風も多くなった)

 ちなみに「雨でもバイク」は変わらない。最近ハノイでも車が増えた。このままでは「ジャカルタやバンコクのような渋滞になってしまう」

古い町ゆえ、道路の拡張には「家を壊さないとならない」住んで10年、たくさんの風情のある街が壊され、街路樹が切られ「社会問題にも

なった」(担当政治家は更迭された)

 この10年でハノイも大きく変わった。気候が変わり、町も変わる、

それでも「会社は変わらず自分もハノイに居る」この先どうなるかは「自分もわからない」

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ベトナムハノイの「昼食の副産物」

2021-10-27 18:33:00 | ベトナム・ハノイ

 昨日の昼食、いつもの通り社員が、「**さん昼ご飯なに食べますか?」と聞いてきた。

考えた末に、今日は「フォーチエン」にした。

これはフォークオン(要するにコメが原料の生地である)の生地を四角にして「あげたものに、肉と野菜のアンを掛けたものである」

ハノイでは「チュクバック湖の近くの店で、フォークオンと一緒に名物で提供されているメニュウーである」

前から、時々食べに行っていたが、最近コロナで食べていなかった。

 オーダーの時に「社員は、Rao Nhiau」(野菜たくさんね)とオーダーするのは「社内の常識」になっている。

(自分が野菜不足と知ってのことだ)

そして届けられた「フォーチエン」がこれである。まあ野菜はそこそこ多いかな?

 相変わらずの味であったが、実はこの右側に写っている「カクテキ(大根のキムチ)」が今日の主役だ。

いつものように「社員の持ち寄ってきたおかずを物色し、おいしそうなものを頂いた」

その中にこの「キムチ」があり、食べてみた。・・・あーらなんということだろう、すごく「うまいのである」

 お代わりをし食べたが、「これは、白米と一緒に食べたい味だ」そう思った自分は

「社長特権」で、これを作った「社員(経理担当)」に、キムチ「タッパ1ケース」の献上を指示した。

これを家に持ち帰り、炊き立ての白米と食べるのが楽しみである。

 

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ベトナムハノイで「天才犬フー太郎を想う」

2021-10-27 10:49:00 | ベトナム・ハノイ

 さっき「日本の実家にいる天才犬フー太郎」の続報が入った。

朝、餌(朝食)をあげたが、完食せずに「おやつをねだったそうだ」そこで

「朝食を完食するまではおやつはあげない」といったら、この写真のような目で「ずっとにらんでいたそうだ」

何とも「人間的な犬である」

真偽は確かではないが、寝る前に「歯を磨くよ」と言うと、不満そうな顔をしながらも

寄ってきて「膝の上にゴロンと横になるそうである」

その辺の子供より「よっぽどたちがいい」ということだ。

はたして、どこまでが本当の事なのか?

日本に帰れたら「確認したいものである」

 どうやら自分を「犬だとは思っていないらしい」

散歩に行っても「猫がいると、いそいそと寄っていき、引っ掛かれたり」

人間には、これも「いそいそと寄っていき、絶対にほえないらしい」

普段「人間としか接していないので、どうやら自分の正体がよくわかっていないようである」

こんな犬も楽しいものだ。

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ベトナムハノイの「不調の時は・・・」

2021-10-26 18:35:54 | ベトナム・ハノイ

 昨日午後、久々に「頭痛になった」ずきずきし、首筋なども固くなっているようだ。

自己判断だが、「これは歯から来ていると思う」3か月前頃、寝る前に糸ようじで「歯間を掃除してたら」

歯が少しだけだが「欠けた」その後、そこの隙間が知らない間に大きくなり、今ではまずいことに「水がしみる」

そのころから「少し頭痛になってきた」 これは早めに歯医者へ行かないと「まずいことになる」

 いつもは「ザンハノイ」(直訳するとハノイの歯)という歯医者に行っているが、これは基本的に「詰めたものが取れた」とか「歯石を取る」

などの時に行っている「ベトナム歯医者」である。さすがに「痛みを伴う治療は、意気地がないが日系の歯医者に行こうと思う」

 というわけで、「この片頭痛は頑固で、会社から帰っても治らない」仕方なく「鎮痛剤」を飲んで様子を見た。

こういう時は「何もする気にならない」「片付けも、食事の用意も全くやる気にならない」

 しかし、冷蔵庫を見てもすぐに食べれるものはない。 仕方ない「意を決して」米を炊いた。

ここの決心をするまで「30分かかった」

おなかはすいているが「準備をする意欲は起きない」 何とか米だけは「炊いた」

「炊きあがるまでの間にシャワーを浴びた」 やはり、この片頭痛で調子が悪い「熱も出てきたようだ」

そして「米も炊き上がったようなので、準備を始めた」

 おー「炊きたてのコメと、運よく冷凍しておいた納豆、そしてなんとラッキーなことに、週末に日本スーパーで

買っておいた【生食可能な卵】、そして【ふりかけ】がある。」あーこれで充分だ。

 体調の悪い時に自分は「あーやっぱり日本人だった」と感じる。 

最近は不調でも「会社などでは、社員が気を利かしておかゆなどを頼んでくれる」(もちろんベトナムのおかゆ【チャオ】だ)

それでもおいしく頂けるような体質にはなったようだが。

 やはり「不調の時は、炊き立てのご飯に納豆と生卵」だ。(要するに和食だ) 

もし、地球が滅びる時、最後の晩餐には何を食べるか?と問われたら。

きっとその時食べるもので「自分のルーツがわかるのかもしれない」

そんなことを考えながら「たぶん30秒以内で完食した」

 そしていつものように「秋の虫の声をYOUTUBEで聴きながら」眠りについた

未だ、20:00前だったようだ。

 

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ベトナムハノイの「断捨離実施」

2021-10-25 10:13:56 | ベトナム・ハノイ

 暇な日曜日「そろそろハノイも涼しくなり、衣替えも近くなった」

そこで、思い切って「断捨離」を決行した。

 改めて考えると「2年前の7月」に「がんの手術」をする前は、物を捨てることに抵抗感があった。

しかし、病気をしてからは「極力シンプルな生活」をするようになった気がする。

前回の引っ越しの時も「いろんなものの断捨離を決行した」

 しかし今回、一段進めて「シーズンになったのに着なかった洋服」は思い切って捨てることにした。

結局、それらは「お気に入りではなく、捨てるには忍びなかった」だけだろうと「理解したからだ」

 今まで自分は、どちらかというと「値段で洋服を選んでたような気がする」(お買い得なものを買ってた)しかし今は

本当に気に入ったものだけを「購入するようにしている」値段は多少高くても、である。

 もちろんお気に入りの「ブランド」(着てみて、快適で質も良いものが残っている)はあるが、あまりこだわってはいない。

きっかけは「アメリカに10年以上住んでいた兄が送ってくれた、ポロシャツ」だった。サイズは少し大きかったが

着心地が良く「ヘビーローテーション」にも耐えた。あとは大学時代「この大学の幼稚部からその学校に通っていた、友人から

着るならこれだ」と紹介(半ば強引に)されたブランドだ。もう着る機会はほとんどないが、それらは未だ

キープしている。

(断捨離した中にもある。ポロシャツはブルックスブラザース、そしてブレザーなのはJPRESSという、地味なTRADな

メーカだ、ここにあるポロシャツはすでに10年以上前のシャツだ、今まで実に長い間頑張ってきてくれたものである。

さすがに古さが目立ち、擦り切れてきた場所も出てきた。今回思い切って処分した)

 格闘2時間、結局「これだけのものを断捨離した」(写真)、ちょうどラインでそんなことをやり取りしてると

かの4歳友人の「母上から」、それを「頂きたいと連絡があった」事情を聴くと、このアパートの仲間たちが

「ボランティアで、不要な洋服を回収し、必要な貧しい人たちに提供しているそうだ」

もちろん快諾し「お届けした」 そんなことを聞いたので「2-3枚、迷っていた洋服を追加し持って行った」

着ない洋服が「お役に立つならありがたいことである」

 ただ捨てるのよりも、なんとなく「気分が良かった」 感謝である。

 

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