ムシマルが短歌が好きなことを高知時代のブログを読んでくださった方はご存知かもしれません。
実は、好きなんです。短歌。
ということで仮初めのこの広島ブログでも紹介していけたらなーとそんな風に思う今日この頃ですいかがお過ごしでしょうか?
短歌とはなにか?
というわけで短歌感想に入る前に、短歌って何か簡単に言えば短い歌。
そのまんまじゃないかと思われますがそうなんです。
で、何と比べて短いのかっていうと、なんでしたっけ?
長歌っていう種類に比べて長いんだったと思います。
あと外国(おもに中国)の歌に比べてもたいていみじかいですね。
決まりは五七五七七の文字列。で、季語は入ってなくてもいいんです。
ちなみに五七五で季語入りが俳句。季語なしが川柳。
あと、短歌と和歌の違いは?
ポエム『詩歌』ジャンルの中にある、
ジャパンで発達した『和歌』カテゴリの中の
1形式が『短歌』ってかんじです。
だから 短歌≦和歌っていう広さですね。
『古今和歌集』とかは和歌集て言いながら短歌集だし。
で、百人一首で読まれているのも短歌。
短歌は和歌の中でも一番隆盛を極めたジャンルって感じですねー。
昔は短歌が良ければ(+貴族なら)超モテたみたいな時代あり。
歌のうまい人がカラオケでモテる、みたいなもんでしょうかね、全然違う気がします。
そんなこんなで。
さらに短歌の歴史説明。
短歌なんて古いぜとお思いの方もいらっしゃるでしょうが、
古い短歌は古い、そう思います。
しかしそれはあるいははたして源氏物語だけ読んで「日本文学なんて古いぜ」と思われるのと同じようなことかもしれません。
「何々かな」「何とかや」「〇〇なり」って言葉が短歌では今でも散見されます。
「〇〇でおじゃる」とか言ってた時代の言葉遣いをそのままやっていたら古く思っちゃいます。
えーっと、説明が苦手なんですが
そう、新しいというか今の言葉遣いのままで短歌を書くような流派もあるのです。流派というかそういう書き方。
いろいろあってあれだけど、平成になって俵万智『サラダ記念日』とかがヒットしたり。
短歌のなかには「〇〇けり」とか「いとをかし」とか古い言葉全然使わない普通の日常言葉で使う短歌も多くムシマルはそっちの方が好きです。
柳 澤 真 実
というわけで、前置きが長くなりましたがムシマルが好きな歌を紹介するコーナーが始まります。
柳澤真実さんという、職業歌人でない人の歌。
綺麗でキュッとした歌をうたわれているイメージです、センチメンタルチックな感じ。
ひとつめ
友達と大笑いした後とかに あなたのことを思い出します
区切りを五七五七七で入れさせていただくと
友達と 大笑いした 後とかに あなたのことを 思い出します
ちゃんと短歌。
ないと普通の文章に思われてしまうかもしれない。
なんかこう、心のはしっこ掴まれる感じで好きです。
ムシマルみたいな才能なしがこんなたぐいのセンチメンタルさを演出しようと思ったら
「友達にサヨナラ言った後とかにあなたのことを思い出します」とか「友達と、あなたと一緒に行ったお店に行ったときとかに以下略」そんな、淋しいセンチミエンタル情緒をたっぷり盛ろうとしちゃいそうなところなんですがそれだときっと全然この領域に達せない気がします。
「あなた」とはどうなったか想像しかできませんが、今いない人ってことだけはわかる感じ。
たぶん友達との大笑いも「あなた」と全然関係ないことで盛り上がったんだろうなあ、そんな全然関係ないこと楽しいことがあなたのことを引っぱり出すくらいなんだなーみたいなところがメランコリーにムシマルの胸を打ったような。
楽しい時に思い出してしまう人って、たぶんすごく好きででも今は近くにいない人かなあーーって。
そういうことを思いました。
もちろん短歌の鑑賞は国語の教科書と違って自由。作者が「こういうシチュエーションでこういう気持ちで書きました」って書いてなければいやさ書いていても自由に解釈してしまっていいのでした。
ふたつめ
次の歌。
辿りつく場所に自分が待ってる 早く未来に追いつかなくちゃ
なんていうかポジティブめな雰囲気の歌。
一見。
なんですが、「辿りつく場所に自分」って感じと「未来に追いつかなくちゃ」っていう言葉チョイスに、そこはかない焦燥感を感じてしまいました。
ゴールタイムはおろかラップタイムもチェックしていてズレを許さなそうなちょっと危うい前向きさを感じてしまったのです。
でも前進を望む気持ちや背伸びは人として普通というか正しい気持ちだよなーみたいなせめぎあいの肯定感もあって、微妙に誰だかわかんない人の踏み絵をしているようなそんな気分にもなります。
バリバリ仕事をしてノー残業とか人間関係良好とか、
ジャイ子じゃなくてしずかちゃんと結婚とか、
辿りつきたい未来はいっぱいあるけれどムシマルにもあるけれど強迫観念というか叶えられなくても未来は未来だよなってこの短歌を見たときに思ったかといえばそうではない。
今、感想を書いているときにはじめて言語化したものなんです。
でも柳澤さんがこっちがこういう思いになるかどうか想定してつくられたかまではわかりませんが、
なんか微妙な不安感の残る気になる歌でした。
みっつめ
「あきらめた」まだあきらめてはいないから だから何度も口に出して言う
諦めたのものが恋なのかそれとも仕事とか他のいろいろなのかはわからないんですが、なんとなし恋のような。
諦めてしまわないと明るい材料ないのに、早く次に向かったほうが前向きなのに、こころ裏腹ダメっぽい方に固執しちゃうみたいな雰囲気が。
あとちょっとだけダブルミーニングになっている気がする短歌。
「から だから」が「身体から」っていう言葉意味をひそめているような気がするのでした。
自分のことなのに全然ままならなくて舵取り修正さえも辛そうなところが、かさぶたを自分で掻いちゃうみたいな痛気持ちよさがあってたまらないです。
あと、感想はしませんが、ムシマルが古今東西すべての既読短歌で一番好きな短歌を。
好きな人いたんだ そっか気づかずに回送のバスに手を上げていた
以上。感想あればうれしいですし、なくてもうれしいです。
もしよろしく思われましたら、下の変なカツオマスクにクリックよろしくお願いします。
クリックいただけるとムシマルが喜びます。
広島ブログも参加しました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます