goo

説明

芥川龍之介賞

2020-12-17 06:25:03 | 小説
歴代ベストセラー作品[編集]
ここでは現在までの累計発行部数が100万部を超える受賞作を解説する[注釈 2]。
安部公房 『壁』(第25回・1951年上半期) 130万部
「戦後派」の代表的作家の一人・安部公房の作品。『壁』は3部からなるが受賞作は第1部にあたる「壁―S・カルマ氏の犯罪」で、名前を失った男の奇譚を描くシュルレアリスム風の前衛的な作品であった。石川利光「春の草」との同時受賞で、こちらは対照的に古風な作品である。選考委員のなかでは川端康成、丹羽文雄、瀧井孝作が強く推し「退屈」として宇野浩二が反対したが、他の委員が前者に同調するかたちで受賞が決まった。
石原慎太郎 『太陽の季節』(第34回・1955年下半期) 102万部
「太陽族」という新語とともにブームを巻き起こし、芥川賞の話題性を決定付けた作品である。裕福な家庭で育った若者の無軌道な生活を描いたもので、奔放な性描写が話題となった。選考では最終的に藤枝静男の「痩我慢の説」との対決となり、この2作に対し選考委員の意見が分かれた。委員のうち舟橋聖一、石川達三がそれぞれ欠点を指摘しつつも「太陽の季節」を終始積極的に支持、佐藤春夫、丹羽文雄、宇野浩二が強く反対し最終的に瀧井孝作、川端康成、中村光夫、井上靖が前者に同調した。作者が弟の石原裕次郎から聞いた話が題材になっており1956年に映画化され(主演長門裕之)石原裕次郎も脇役として出演、これが裕次郎のデビュー作となった。
大江健三郎 『死者の奢り・飼育』(第39回・1958年上半期) 109万部
「飼育」が受賞作。大江は前年度の第38回(1957年下半期)にも「死者の奢り」で候補となっていたが、このときには開高健「裸の王様」が受賞。開高の受賞時丹羽文雄は「技巧の点では大江のほうが上だが、視野が狭くて落ちた。開高は作品に傷はあるけれども、故島木健作の持っていたシンの強さがあり、視野も広い」としている[7]。「飼育」は大江の故郷である四国の村を舞台に子供である「僕」と村人に捕らえられた黒人兵との関係を描いた作品で、当時の大江はサルトルの影響を強く受けた作風であった。「飼育」は選考委員の間で評価の高さは一致したものの前述の通り大江がすでに有名作家となっていたことが問題となった。一旦大江をはずして審査し、他に該当作なしとなった後、「今回は賞無しというのも少し淋しいかと思って」(瀧井孝作)というような意見から受賞が決定した。舟橋聖一は「死者の奢り」にこそ賞を出したかったという選評を行なっている。
柴田翔 『されどわれらが日々──』(第51回・1964年上半期) 186万部
東京大学の学生を主人公に、当時の学生運動を背景にして描かれた青春小説。血のメーデー事件による革命への気分の高揚、六全協での挫折が物語の主軸となっており当時の若者に広く読まれた。選考では前述のように280枚の長さが問題となったが「他の候補作品にくらべて力倆は抜群」(石川達三)、「読み出すとスラスラ読めるので、却って、落ちた作の五十枚前後のほうが、読むのに骨が折れた」(丹羽文雄)といった意見から受賞が決定した。柴田はその後ドイツ文学者(東大教授)となった。
庄司薫 『赤頭巾ちゃん気をつけて』(第61回・1969年上半期) 160万部
安保闘争などの学生運動を背景に、日比谷高等学校の男子生徒の一日を軽妙な文体で描いた作品。庄司は本名の福田章二としてデビューし、9年の沈黙を経て本作を発表した。「さようなら怪傑黒頭巾」などに続く4部作の第1作にあたり、作風にはサリンジャーなどのアメリカ文学からの影響が指摘されている。田久保英夫「深い河」との同時受賞。選考では三島由紀夫、石川淳らから激賞を受けている。
村上龍 『限りなく透明に近いブルー』(第75回・1976年上半期) 354万部(単行本131万部、文庫223万部)
作者の実体験に基づき、米軍基地に近い町でドラッグとセックスに溺れる若者をLSD的な感覚で描いた作品。センセーショナルな内容が話題となり、歴代受賞作で最も売れた作品となった。選考では意見が真っ二つに分かれ「因果なことに才能がある」と評した吉行淳之介のほか、丹羽文雄、中村光夫、井上靖が支持したが永井龍男、瀧井孝作が強く反発。受賞後も江藤淳が酷評するなど論議を起こした。受賞作は村上自身の手により1979年に映画化されている。
池田満寿夫 『エーゲ海に捧ぐ』(第77回・1977年上半期) 126万部
三田誠広『僕って何』との同時受賞。池田はすでに版画家として国際的な評価を得ていたため受賞は大きな話題となった。作品は池田自身を思わせる主人公がアメリカの撮影スタジオで、日本の妻と国際電話で会話しながら目の前のアメリカ人女性のヌードを観察するというエロティシズムを全面的に押し出したもの。1979年に池田自身により映画化されている。選考では中村光夫から高い評価を受けたが永井龍男は「空虚な痴態」「これは文学ではない」と授賞に抗議し、この作品と上記の村上の受賞を理由に選考委員を辞任している。
綿矢りさ 『蹴りたい背中』(第130回・2003年下半期) 127万部(単行本のみ)
綿矢は17歳のときに『インストール』でデビュー、芥川賞受賞時は19歳で20歳の金原ひとみと同時受賞し最年少記録を大幅に更新、単行本は『限りなく透明に近いブルー』以来28年ぶりのミリオンセラーとなった。受賞作は周囲に溶け込めない女子高生とアイドルおたくの男子生徒との交流を描いたもので、唯一反対した三浦哲郎を除く選考委員の票をすべて集め受賞が決定。「高校における異物排除のメカニズムを正確に書く技倆に感心した」(池澤夏樹)、「作者は作者の周辺に流行しているだろうコミック的観念遊びに足をとられず、小説のカタチで新しさを主張する愚にも陥らず、あくまで人間と人間関係を描こうとしている」(高樹のぶ子)と各選考委員から高評価を受けた。綿矢の受賞と前後してこの時期10 - 20代前半の作家のデビューが相次ぎ、若年層の活躍を印象付けた[18]。
又吉直樹 『火花』(第153回・2015年上半期) 229万部(単行本のみ)
羽田圭介「スクラップ・アンド・ビルド」と同時受賞。売れない芸人の主人公と天才肌の先輩芸人との交友を描いた作品。お笑い芸人では初の受賞。単行本の累計発行部数は229万部を突破し、芥川賞受賞作品として歴代1位の単行本部数となる[19][20]。
村田沙耶香 『コンビニ人間』(第155回・2016年上半期) 102万部(単行本のみ)
2016年の発売から年内に50万部を超えてからもじわじわと売れ続け、2年を経て100万部に到達した[21]。

村上春樹

2020-12-17 01:39:09 | 小説
村上春樹は、いまや世界で最も広く読まれている日本人小説家である。その世界的な人気の背景には、英語圏——とりわけアメリカ——での成功がある。日本文学の英訳の多くが政府や文化機関の支援を受け、限られた読者(主に日本研究者など)を対象に刊行されてきたなか、村上作品はアメリカの文芸出版の権威であるクノップフや『ニューヨーカー』などの出版社・雑誌から世に送り出され、大勢の読者を獲得し、多くの同時代作家に影響を与えている。
この英語圏での活躍の裏には、それぞれの人生のポイントで村上作品と出会い、惹き込まれ、その紹介に情熱を注いだ翻訳家、編集者、エージェント、研究者、書評家、書店員といった、出版界のスペシャリストたちがいた。翻訳家アルフレッド・バーンバウム、ジェイ・ルービン、編集者エルマー・ルーク、リンダ・アッシャー、ゲイリー・フィスケットジョン、クリストファー・マクレホーズ、装丁家チップ・キッド……。
『ねじまき鳥クロニクル』での世界へのブレイクスルーまでの道のりを後押しした、個性あふれる30余名の人々との対話、そして村上本人へのインタビューをもとに、世界的作家Haruki Murakamiが生まれるまでのストーリーを追う。
目次
バーンバウム、村上春樹を発見する 1984-1988
1 ボヘミアンな翻訳家(?)ができるまで
2 文学と美術のはざまで──大学で文学を学ぶ?
3 生活のために「翻訳家」になる
4 すべては原稿の持ちこみから
5 英語学習者向けのシリーズからの刊行
6 きままな翻訳家?
7 他の活動の傍らで翻訳を続ける

村上春樹、アメリカへ──Haruki Murakamiの英語圏進出を支えた名コンビ 1989-1990
8 エンジンをスタートさせた編集者、エルマー・ルーク
9 ニューヨーク出版界での悪戦苦闘
10 日本行きの切符
11 ルーク、ムラカミと出会う
12 『羊』をアメリカへ
13 同時代的でよりアメリカ的な『羊』作り
14 NYと連携し、広報戦略を立てる
15 前代未聞の広報費
16 人のつながりを辿って
17 注目度を上げるためのペーパーバック権オークション 
18 ニューヨークでの著者プロモーション
19 日本からの「新しい声」を歓迎するアメリカの評者たち
20 アメリカから世界へ
21 『ニューヨーカー』掲載作家になる
22 「ねじまき鳥」と担当編集の女性たち

新たな拠点、新たなチャレンジ 1991-1992
23 プリンストンを新拠点に
24 さらに工夫を加えた英語圏デビュー二作目
25 「ハードボイルド・ワンダーランド」と「世界の終り」の共同「ヴォイス」作り
26 ギリギリのスケジュールで進む編集作業
27 ピンクの女の子らの消滅
28 タイトルを巡る議論再び
29 英国も含めた著者プロモーション

オールアメリカンな体制作りへ 1992-1994
29 新たな出版社を求めて
30 小説家にとって最高の出版社「アルフレッド・クノップフ」
31 エージェントを「選択」する
32 カーヴァー・ギャングに正式に加わる
33 クノップフでの新たな編集者との出会い
34 英語圏で初の短編集を編む
35 個人的な取捨選択?
36 チップ・キッドによる初の村上ジャケット
37 「冬の時代」に支えとなった書評と仲間たち
38 クノップフラーになることの意味
39 村上春樹、「ニューヨーカー作家」になる
40 『ねじまき鳥』の訳者探し
41 バーンバウム&ルーク・コンビのラストダンス
42 バトンタッチと名コンビのその後

『ねじまき鳥』、世界へ羽ばたく 1993-1998
43 厳格な訳者(?)、ジェイ・ルービン
44 村上作品との出会い
45 短編から翻訳する
46 ケンブリッジ・コネクション
47 The Wind-up Bird Chronicle 刊行に向けての長いワインドアップ
48 短縮された『ねじまき鳥』
49 「世界で最も有名な日本人作家へと変貌させた」作品
50 イギリスでの飛躍を支えた新たな出版社

辛島