「 大根の大きさだけではしゃぐ吾子 」息子が小さかったころ、大根が野菜であるとか、お味噌汁に入ってるとか、まだ大根がどんなものか、わからないようなころ。2才前だろうか、買ってきた大根を持って、うれしそうに掲げてはしゃいでいた。食べるものだと思って喜んでいるわけでもなさそう。ただ、自分で持てる範囲でとっても大きいもの、そんな感覚だろうか。無機質なものでもなく、肌にしんなり馴染む、動かない生き物、とい . . . 本文を読む
「 赤や黄に染まりて静か秋の服 」今日は立冬なんですね。まだ秋の句が残っていました。秋の句を考えると、私は「静か」というイメージ、言葉がとても多いようです。寒いと、寒い、寒い、と体を動かしたり、あたためたりしますが、秋はシーンと少し冷えて、その肌感覚が「静か」な印象になるのでしょうか。秋は秋色の服がしっくりきますね。 . . . 本文を読む
「 幾人(いくたり)の言の葉我を成して色づく 」年齢からか、息子が育って大人に近づいてきたからか、自分が育ってきた過程に思いを馳せることが多い。あの人のあんな言葉、こんな言葉、出会ってきた書物、様々な人の影響を受けて自分が作られてきた、励まされてきたことを思う。それを思うというのが成熟なのかもしれない。私は人生の秋に日を浴びて色づいております。(写真は長野の入笠山からの富士) . . . 本文を読む
「 ミニカーともみじ並べるもみじの手 」ミニカーをいつも手に、寝るときもにぎったままのころがあった。大人は、ミニカーともみじはいっしょに扱わない。子どもは、ミニカーももみじも大事なものとして。並べる小さなもみじの手が忘れられない。 . . . 本文を読む
「 秋すべてしぼりし色か吾亦紅(われもこう) 」吾亦紅、なんとなくかわいくて好きです。丸くて茶色と紫色が混ざったような色。いつも行くお花屋さんがおまけでくれました。秋を凝縮した色だと感じます。 . . . 本文を読む