妙覚寺ニュース

広島妙覚寺の毎月のニュースを写真入りで紹介します。

6月4日(火)寺族婦人会研修旅行1日目

2019年06月07日 | 佐伯沖組

 

宇品港に7:30に集合し、8時39分発のぞみ8号に乗って、名古屋に向いました! 

一泊二日の研修旅行です!

初めに八丁味噌の郷カクキューを見学しました

八丁味噌は、岡崎城から西へ八丁(約870m)の距離にある岡崎市八帖町(旧・八丁村)で、江戸時代初期より、旧東海道を挟んで向かい合った2軒の老舗が伝統製法で造り続けている豆みその銘柄です。

良質の大豆と食塩を使用。蒸した大豆を味噌玉にし、それを豆麹にして水と食塩で仕込み、そして二夏二冬以上天然醸造させます。永く仕込み置くため色も濃く固いので、辛口と思われますが、塩味はひかえめです。

史料館の見学をしました!

蔵の見学

熟成の際、仕込量6トンに対し約3トンの重石が職人の手によって丁寧に積み上げられます。

お土産ものコーナーで皆さんたくさんお買い物をしました!

お食事処休右衛門でみそ煮込みうどん定食をいただきました!

本社の事務所です!

                        

高田派妙源寺に参拝しました!

三河の浄土真宗で最も古いといわれる、高田派の寺院です。

文暦2年(1235年)、親鸞聖人が関東より帰郷する途中、当地に立ち寄ったことが始まりとされる。付近の領主安藤薩摩守信平は親鸞聖人を柳堂(以前は「太子堂」といった)に招き説法を聞いた。聖人の教えに感化された安藤信平は仏門に入り念信と改名。正嘉2年(1258年)に寺を建立し、これを明眼寺(みょうげんじ)と名付けたと伝えられる。

太子堂(柳堂)は、正嘉2年(1258)に建立され、正和3年(1314)に再建された国の重要文化財です。

本尊は判官九郎(源義経)の持仏であったということから、武将の縁起を担ぎ、家康の所望により、陣中の守り本尊としながら、最後は東京の芝の増上寺に奉納しています。この縁により家康は、「源」の1字をとり、明眼寺から妙源寺と改称しました。

法寶物の展示は8月7、8日に行っています。

沢山の宝物を見せていただきました!

撮影禁止でした。

重要文化財の柳堂にお参りしました。このあと、本堂にお参りしました。

                           

安城市 真宗大谷派本證寺に参拝しました!

上宮寺、勝鬘寺と並んで三河触頭三ヶ寺として知られ、戦国時代には三河一向一揆の拠点となったそうです。こうした経緯から、鼓楼や土塁を備え、水濠に囲まれた城郭寺院(城郭伽藍)となっています。また、書院は親鸞聖人が泊まった際に、天井裏まで雨漏りがしていたのに、部屋までは漏らなかったという伝承が残されており、「雨もり御殿」と言われています!

住職よりお話しいただきました!

沢山の宝物をお持ちですが、殆ど美術館・博物館に収められているそうです!

立派な庫裏です!

おくどさんです!

晩御飯は、しら河のうなぎ会席をいただきました!

さいごに、ひつまぶしをいただきました

 


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