宇品港に7:30に集合し、8時39分発のぞみ8号に乗って、名古屋に向いました!
一泊二日の研修旅行です!
初めに八丁味噌の郷カクキューを見学しました
八丁味噌は、岡崎城から西へ八丁(約870m)の距離にある岡崎市八帖町(旧・八丁村)で、江戸時代初期より、旧東海道を挟んで向かい合った2軒の老舗が伝統製法で造り続けている豆みその銘柄です。
良質の大豆と食塩を使用。蒸した大豆を味噌玉にし、それを豆麹にして水と食塩で仕込み、そして二夏二冬以上天然醸造させます。永く仕込み置くため色も濃く固いので、辛口と思われますが、塩味はひかえめです。
史料館の見学をしました!
蔵の見学
熟成の際、仕込量6トンに対し約3トンの重石が職人の手によって丁寧に積み上げられます。
お土産ものコーナーで皆さんたくさんお買い物をしました!
お食事処休右衛門でみそ煮込みうどん定食をいただきました!
本社の事務所です!
高田派妙源寺に参拝しました!
三河の浄土真宗で最も古いといわれる、高田派の寺院です。
文暦2年(1235年)、親鸞聖人が関東より帰郷する途中、当地に立ち寄ったことが始まりとされる。付近の領主安藤薩摩守信平は親鸞聖人を柳堂(以前は「太子堂」といった)に招き説法を聞いた。聖人の教えに感化された安藤信平は仏門に入り念信と改名。正嘉2年(1258年)に寺を建立し、これを明眼寺(みょうげんじ)と名付けたと伝えられる。
太子堂(柳堂)は、正嘉2年(1258)に建立され、正和3年(1314)に再建された国の重要文化財です。
本尊は判官九郎(源義経)の持仏であったということから、武将の縁起を担ぎ、家康の所望により、陣中の守り本尊としながら、最後は東京の芝の増上寺に奉納しています。この縁により家康は、「源」の1字をとり、明眼寺から妙源寺と改称しました。
法寶物の展示は8月7、8日に行っています。
沢山の宝物を見せていただきました!
撮影禁止でした。
重要文化財の柳堂にお参りしました。このあと、本堂にお参りしました。
安城市 真宗大谷派本證寺に参拝しました!
上宮寺、勝鬘寺と並んで三河触頭三ヶ寺として知られ、戦国時代には三河一向一揆の拠点となったそうです。こうした経緯から、鼓楼や土塁を備え、水濠に囲まれた城郭寺院(城郭伽藍)となっています。また、書院は親鸞聖人が泊まった際に、天井裏まで雨漏りがしていたのに、部屋までは漏らなかったという伝承が残されており、「雨もり御殿」と言われています!
住職よりお話しいただきました!
沢山の宝物をお持ちですが、殆ど美術館・博物館に収められているそうです!
立派な庫裏です!
おくどさんです!
晩御飯は、しら河のうなぎ会席をいただきました!
さいごに、ひつまぶしをいただきました