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世間様は、週明けより仕事再開…。:これまで書き損ねていたもの

(以前の記事からの続き⇒)
キリスト教の福音派(原理主義)についての、
ドキュメンタリー映画を見たとき…。
(関連する過去の記事⇒)

彼らは、キリスト教徒であることを“権威”とすることで、
自身を肯定しているようにも思え、
本質的なものから外れているような“危うさ”を感じていたけど。
最近、“クリスチャンナショナリスト”という言葉を聞くことがあった。
キリスト教徒でありながら、聖書の内容も、ほとんど知らなければ、
反科学的で、過激な思想へと傾倒しているように思える人たちになる。
聖書の内容も分からなければ、教義など知りようもなく。
教義を知らなければ、守ることなど出来るハズもなく。
そんな彼らが、キリスト教徒として、神の愛を語り。
異教徒を、野蛮人だと叫び散らすのは、滑稽ではあるもの。
どうにも笑えない気分にさせられる。



そんなクリスチャンナショナリストではないけど。
いわゆる「ネトウヨ」と呼ばれる人たちは、
何故か?統一教会などを支援するような言動や行動が多く。
政治や社会について、かなり無知な人たちも少なくなく。
その環境的な背景には、どこか同じようなものを感じ。
インターネット上における情報の信憑性を貶めている存在として、
一括(ひとくく)りにもしたくなる。

しかし、稀(まれ)に、本質をとらえた言動もあり。
単純にはいかない。



法治国家では、他人の権利を侵害することは、
誰にも許されないものとされているが、
その加害者「他人の権利を侵害するもの」の権利も、
法律のもとで保障されており。
片付くことなく、年月とともに手段が狭(せば)まれば、
そのまま膠着状態となり。
別の問題が積み上げられていくことで、やがて手詰まりとなる。
マスコミのような組織も、社会にタイムリーな話題や情報を提供することで、
利益を得ているのであり。
その視聴者には、(正当な解決手段であっても…)審査や審議などが、
膠着状態のまま、何ひとつ、解決しない状況は退屈なものであり。
その経過を知る視聴者と、新規の視聴者との要望を満たす番組構成とすれば、
かなりの負担にもなる。

やがて、世間の関心も薄れている話題や事件などは扱えなくなり。
“時間稼ぎ”は、不都合な世論への有効な手段になってしまう。
社会の尊厳を貶めている存在が、
社会によって守られているのは、理不尽としか思えず。
巨大な組織カルトと、それに癒着しているや政党には、憤りしかない。



蛇足:
昔から、統一教会という組織は、社会的な批判にさらされたとき、
“宗教迫害”という言葉を用いて、問題をすり替えてきた…聞く。

先月、統一地方選挙において、落選したアリタヨシフ氏によると…。
統一教会やカルトの問題が語られるときに出てくる、
「信教の自由」という言葉が出てくるが…。
これを持ち出す人は、問題を見誤っていると思います。
彼らの行動が、教義に基づいたものだとしても、
それが反社会的であり法律に触れるのなら、
「信教の自由」とは、別の話ですよね…ということだった。
(続く⇒)
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